第2話 悪魔憑きの娘

海辺の交易都市、ポート・ポート。

酒場の2階は宿屋になっていて、旅人が酒場で食事をし、そのまま一晩過ごせるつくりだ。

朝食を食いながら酒場で談笑する人々の中へ、マントを深く被った人物が階段を降りる。その者を見た瞬間、談笑の声がぴたりと止んだ。酒場に集った人々の目が一気に集まる。その者へ。


「くっ……」


マントの者、領主令嬢ヴィクトリアは奥歯を噛み、視線に耐える。そのまま酒場を出た。

また食事や談笑に戻る人々の中、一人の白髪の老人だけが、剣呑な視線を彼女の背中に送り続けていた。



盗賊の襲撃を切り抜けてから、数日の時間がたった。あれ以来、ヴィクトリアは自分の体が思い通りに動かせないと感じていた。悪夢を見ることも増えた。


交易で栄える都市ポート・ポートには、様々な職業の者たちが集まってギルド(組合)を作る。そのうちの一つが盗賊ギルドである。行き場のない者たちが集まり、徒党を組んで活動する。暴力や窃盗などを働くので、治安を守る衛兵隊は彼らを認めていないが、構成人数が多いために上手く解決し切れないでいる。


それが近頃、盗賊ギルドのメンバーが数を減らしていた。それも並大抵の速度ではない。

狩られている。正体不明の女が緑の光を纏いながら現れ、かたっぱしから盗賊のMP(精神力)を0にして殺している。そういう風に、街ではもっぱらの噂だった。盗賊だけではなく、近くにいた住人を光線の巻き添えにすることすらあるらしい。

そんな噂が恐れと共に囁かれるようになってから、ヴィクトリアへ向けられる街人の視線はどんどん冷たくなっていった。彼女には全く身に覚えがない。

動揺を隠し、意気込む。


「(剣術で盗賊を討ち取り、私の仕業ではないと証明しますわ)」


薄暗い路地に入り、目的地を決めずにグルグルと歩く。人気がだんだんと減り、どこか湿った雰囲気が立ち込め始める。

しばらくすると、行く手を影が塞いだ。汚れた身なりの盗賊たち。背後にも同様。囲まれている。


「お嬢ちゃん。こんなところで、探し物かい?大人しくしな」

「おい、待て。コイツ、あれじゃないか?噂の……」


ヴィクトリアは細剣を抜く。


「いいえ。私の名前はヴィクトリア。怪しい緑の光ではなく、この剣があなたがたを裁きますわ」


盗賊たちも武器を取り出す。

ヴィクトリアは深呼吸し、心を落ち着けた。自分ならやれる。これまでの自分の人生と、気高い家のことを思った。

細剣を構える。


「さあ、覚悟なさい!」


◆------------------◆


目が覚めると、宿屋のベッドだった。


「……」


窓の外は夜。


「……」


部屋の中を見回す。それは惨状だった。テーブルの上には食い散らかした肉と果物。帝国の硬貨が散らばり、床にはワインの瓶がいくつも転がって割れていた。壁には酒のシミ。完全に”奴”の仕業だった。


「ワァ……ッ」


ヴィクトリアは顔に手を当てて泣き出した。この数日間、ずっとそうだった。盗賊ギルドのメンバーを倒せば、衛兵から賞金が払われる。街についてから盗賊に戦いを挑み、金を稼いでいたはずなのだが、その間の記憶は一切残っていないのだった。

あの噂は無関係だと、否定することはもうできなかった。

何者かに自分の体が乗っ取られ、意識が無いうちに活動している。悪魔か、亡霊か。噂によればその間の行いはたいてい品がなく、何かを壊しているか汚しているか、盗んでいるかするのだった。


ヴィクトリアは荷物からペンダントを取り出し、祈った。出立の折、家族から受け取った魔除けのペンダント。見知った者もいない街で、この他に頼れるものはなかった。驚くほど久しぶりに、孤独でいることの冷たさを感じた。

これをギュッと握りしめながら、ベッドの上で丸まって眠った。まどろみの中で、自分の過去について考えた。父と母、育った家、その庭。メイドたちや騎士たち。ジョナサンはヴィクトリアが5歳のころから屋敷にいた騎士で、知らない間柄ではなかった。彼もあの日、盗賊の襲撃で戦って死んだ。どうして彼の遺体を放ったまま、置いて来てしまったのだろうか。幼い頃に飼い犬が一匹死んだ時、あの子の亡骸はずっと抱えて離さなかったのに。今まで忘れていた記憶だった。


「……」


今の自分を見て、両親はなんと言うだろう。

しばらくして、ヴィクトリアは眠りに落ちた。


真夜中、パチリと目が開き、緑の瞳が暗闇に光る。

もう少しだ。体のコントロールを握れる時間は、少しずつ長くなっている。もう少しで、この娘の魂は消え去り、体は俺のものになる。その時こそ完全な復活。異世界転生。自由だ。

彼は口の端を歪めてニヤリと笑い、また目を閉じた。


朝が来る。


◆------------------◆


盗賊たちの朝は早い。

日が昇りきらぬうちから、今日その日の活動について準備を始めている。


そして今日も悲鳴が上がる。盗賊の悲鳴だ。


「ちくしょう!またかよ!」


仲間を助けるため、彼らは現場に集まる。

薄暗い路地の中、MP 0になった死体を投げ捨て、取り憑かれたヴィクトリアは愉快そうに笑った。


「また殺しに来てやったぜ、チンピラ共」

「くそっ……今日という今日は許せねえ!」


盗賊が指笛を鳴らすと、暗がりからぞろぞろと仲間たちが集まってくる。狭い路地に、十数人。ヴィクトリアは包囲され、脱出の余地はない。しかし、依然余裕の表情。危険な光線を放つ指先を構える。


「ハハハハ。たくさん集まるじゃねェか。こいつは儲かるぜ」

「生きて返さねえぞ、テメエ……!」


どろり。路地が殺気で溢れ、空気がこごる。住人たちは建物に隠れて窓を閉め、隙間からこっそりと何が起こるのか見守っていた。


「串刺しにして殺してやる!」

「ハハハ……やってみろよ……」


盗賊たちは剣を抜き、ヴィクトリアに迫った。ヴィクトリアもまた、細剣を抜く。


『……ン?』


怪訝そうな声が上がった。ヴィクトリアの表情から、先ほどまでの攻撃的な気配が消えた。瞳は青色。何処か気高い決意に満ち、まっすぐに敵を見据えた。


「〈アクセル〉ッ!」


ヴィクトリアの体が加速し、迫る盗賊たちの間を抜けて背後に立った。盗賊の一人が血を吹き出して倒れる。盗賊たちはどよめいた。

頭の中、喚く声が聞こえる。


『オイッ!テメエ何してる!?体ァ返しやがれ!』

「こちらの台詞ですわ!」


ヴィクトリアは脳内に響く声に、発止はっしと答えた。

扉の隙間から覗く住民がこっそりとステータスを見ると、ヴィクトリアの側には二枚のウィンドウが並び立っていた。そこで上下を競り合うように、激しい勢いで入れ替わりを続けている。


ヴィクトリア:HP150 MP120/150

アキラ:HP0 MP10000


「私の体は私のもの……!あなたのような悪霊には渡しませんわ!もう二度と!」

『ナメてんじゃねえぞ!?』


頭の中で言い争う間にも、血走った目の盗賊たちが迫ってくる。ヴィクトリアは前を向く。


「〈アクセル〉!」


再度加速する。一人の懐に潜り込み、三度目の〈アクセル〉で脇を抜け、斬り捨てる。


「お前ら慌てんじゃねえ!ステータス見ろ!すぐにMPが切れらあ!」


盗賊たちは陣形を組み、じりじりと距離を詰めてくる。ヴィクトリアのMPは残り60。〈アクセル〉の消費MPは30であり、使えるのは実質あと一回。それ以上は命に関わる。


「お父様、お母様……。私に力を……!」


胸から提げたペンダントを握りしめる。悪霊が身じろぎした。


「〈アクセル〉!」


加速!


陣形の只中に斬り込み、まず一人が倒れる。残りMP30。瞬間、周囲を固めていた盗賊たちが、彼女めがけて一気に押し寄せる。避けねば一瞬の後には四方八方から突き刺され、生き延びるのは不可能。耳鳴りがする。


ヴィクトリアは覚悟を決める。体の拒絶を押して、加速魔法の呪文を叫んだ。


「〈アクセル〉ーッ!」


加速し、包囲を抜けた。


ぐらり。路地の真ん中でヴィクトリアはよろめき、体が傾いた。


そして、倒れずに踏みとどまった。

加速の余韻も乗り切り、バランスを取って着地、また剣を構えた。


何故、力尽きていないのか。彼女のMPは、変わらず30。


代わりに。


『ギャアアアーッ!?』


彼女の脳内に、耳をつんざく悲鳴が聞こえた。彼女に取り憑く悪霊が、身を捩って苦しんでいる。ステータスを確認すると、彼のMPが、みるみる減少していくのが見えた。


アキラ:HP0 MP9000/10000

______ MP8500/10000

______ MP8000/10000


『やめろ!苦しい!』

「やめませんわ!」


見れば、彼女が握ったペンダントが熱を持って輝いている。MP切れの淵、魔除けのペンダントはその力を正しく発揮し、代わりにヴィクトリアに取り憑いた悪霊のMPを強引に消費していた。

ペンダントを通して、悪霊の力が流れ込んでくるのがわかる。

今や、ヴィクトリアのMPはほぼ無制限。遠慮ない〈アクセル〉の使用が可能だった。〈アクセル〉さえあれば、盗賊たちに対してヴィクトリアは無敵!


「〈アクセル〉!〈アクセル〉!〈アクセル〉ーッ!」


目にも止まらぬ速さで路地の中を駆け回り、盗賊たちを仕留めていく。まさに縦横無尽。


「ぎゃっ!」

「うわーっ!」

『アアアアーッ!!?』


盗賊と悪霊の悲鳴が重なって響く。悪霊が必死に体を奪おうとするのを感じるが、ペンダントをギュッと握って堪える。離さない。

休みなく加速し、剣を振り続ける。


「___あっ!?」


ある民家から、少女が窓から身を乗り出して落ちた。つい夢中になり過ぎたのだ。落下そのものの怪我は無いが、落ちたのはちょうど戦場の只中。盗賊に踏みつけられそうになる。

加速したヴィクトリアはそれを斬り捨て、少女を支えて起こした。


「お怪我は無いかしら?」

「う、うん……ありがとう!」


慌ててドアを開けた母親に少女を預け、戦闘に戻る。


程なくして、戦いは終わった。もとより、反則じみて高速移動を続けるヴィクトリアに盗賊たちが立ち向かうことはできなかった。集まった人数の半分が倒れる前に、彼らは逃げ出した。


「お姉ちゃん、ありがとう!」


助けた少女がドアを開けて出てきて、ヴィクトリアに笑いかける。


「……」


ヴィクトリアはただ優しく微笑んだけで答えず、そのまま〈アクセル〉で姿を消した。その額には脂汗が浮いていた。

取り残された少女は心配して見送る。


「お姉ちゃん……?」


◆------------------◆


宿に帰ったヴィクトリアは、後ろ手にドアを閉じた。青白い顔で、震える息を吐く。弱っている。

ギラリ。右目が緑に変わり、激しく輝く。


『テメエェーッ!ナメた真似しやがって!』


頭の中で、悪霊が喚く。


『俺を殺そうとしやがったなーッ!』

「お黙りなさい!悪霊”アキラ”!」


左目は青色を保ったまま、理性の光を灯している。歯を食いしばり、答える。


「言ったはずです、あなたに体は渡さないと!この体は私のもの、この人生も私のものですわ!」

『ウオオアアアーッ!!』


ヴィクトリアは薄暗い部屋で頭を抱え、右に左に身を捩った。魔除けのペンダントはもう輝かない。既に戦闘の中で力を使い切り、押さえ込む力を大きく減じている。

一連のMPの吸収を以てしても、悪霊を滅し切ることはできなかった。彼の魂はほんの僅かに残り、抵抗を続けていた。


アキラ:HP0 MP30/10000


ヴィクトリア:HP150 MP30/150


今、一つの体の中で、二つの魂がせめぎ合っている。


「むぐぐぐ……!」

『ウガガガ……!』


部屋の中をよろめき、ふらふら歩く。壁にぶつかり、扉にぶつかり、バタバタと音を立てる。肘を机にぶつけて空瓶を落とした。割れて砕け散る。おぼつかない足取りで歩みながら、少しずつ、明るい窓の側へ。汗が床に落ちて染みになる。先の戦闘からずっと、二人のせめぎ合いが、肉体の脳に負荷をかけていた。それが今、限界に達しようとしている。冷静な判断を失う。お互いがお互いを殺そうとする!


「『ウ……ウワアアアアーッ!!?』」


二人は声を重ねて絶叫しながら走り、窓を突き破って飛び出した。空中で頭を抱えながらも、二人の決着はつかない。落ちる。コントロール者のいないヴィクトリアの体が、地面に叩きつけられる……!


呆然と見つめる群衆の中、咄嗟に影が飛び出した。その者は空中でヴィクトリアを受け止め、ふわりと着地した。少しの音も出なかった。

それは老人だった。厚く白い眉の下から険しい眼差しで、ヴィクトリアを見つめている。落下の衝撃で気を失い、二人の魂は意識を失っていた。


「修行が……必要じゃ」


老人は厳かにそう言って、いつの間にか人混みの中に消えていった。




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