第5話 帝国の都
ポート・ポートから帝都へ向かう帆船は、ちょうどそこらの領主屋敷程度の大きさがあった。重く響く汽笛を鳴らしながら、出発の用意が済んだことを知らせている。
乗り込む人々は様々だ。均一な鎧の帝国兵たち。金の匂いのする商人。巨大な剣の旅人。また、よく見れば全員が人間というわけでもない。獣の特徴を併せ持った”獣人”は、帝国で暮らす人間以外の種族の一つ。ほんのり獣っぽい者から、かなり原型に近いものまで。
周辺の国を次々に飲み込んで成長した背景を持つ、帝国の多様性を十分に示す景色だった。
船員たちの動きがにわかに慌ただしくなり、波止場からは歓声があがる。手を振る者、別れを惜しんで泣く者。様々な人の思いを乗せ、帆船は波の中をゆっくりと動き出した。
ヴィクトリアは港に手を振る人々の側には混じらず、甲板に立って海を眺めていた。特に別れを告げる者もいないからだ。潮風を受けて金髪を靡かせながら、ただじっと立っていた。
「誰ともバイバイしないの?」
不意に、横から声がした。
見ると、甲板をぐるりと囲む柵の上に、灰色の翼の生えた女が屈んで止まっていた。素足で柵をしっかりと掴み、船が揺れるのに合わせてゆらゆら揺れながら、こちらを見つめている。
「お別れはもう済ませました。
ヴィクトリアはツンとして答えた。鳥獣人の女は目を丸くして首を傾げた。それはほとんど直角といえる傾きだったが、首を痛めるような様子はなかった。フクロウに似た獣人なのだ。角のようにぴょんとはねた羽は耳にも見えるが、本当の耳は側頭の上下に隠れている。
「へー。じゃ、アタシと同じだね」
広い海から、風が吹きつけた。彼女の羽織るコートの裾が膨らんで開き、腹や肩、腿を広く晒した衣装が顕になった。文化の違いでぎょっとするヴィクトリアを他所に、翼を広げて風に乗る。宙をくるくると回り、やがて船と並んで飛んだ。
彼女が静かに羽ばたく姿を見ながら、ヴィクトリアは目を細めた。ヴィクトリアの暮らしていた地域は帝国の中でも人間以外の種族が多くなかったし、出会っても気軽にお喋りする機会がなかった。いよいよ、自分が本当の旅に出たのだという実感がした。
「アタシ、ニコル。友達いないと不安だからさ、仲良くしてねー」
「ヴィクトリアですわ。よろしく、ニコル」
『よろしくな、ニコル』
突然、面白半分でアキラが声を上げた。華奢な令嬢から男の声がするのを聞いた彼女の目がまた真ん丸になって動きが止まり、そのまま危うく船に置いていかれそうになった。アキラは笑い、ヴィクトリアは顔を覆った。
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「ニコルは”冒険者”ですのね」
「そー。帝都で就くなら無難な仕事だよね」
ニコル:HP350 MP400
冒険者とは、帝都を中心に活動する何でも屋の名称である。手近なプロフェッショナルがいない場合や、とにかく頭数が欲しい時に依頼を出すと、適切な人材が派遣されてくる。元は特技を持たない旅人たちがどうにか食べていこうとあらゆる仕事を引き受けたのが始まりとされるが、現在は世に出たばかりの若者やギルドがないマイノリティの職業人などを内包して、独特なアイデンティティを確立している。
ニコルはフクロウ鳥獣人の特性を活かし、運搬や斥候などの仕事を受けているらしい。この船に乗ったのは仕事の帰りだそう。出身は北の魔法国家だ。
「あとねー、帝都の中じゃ殺しは重罪だよ。ポート・ポートじゃ緩かったけどねー」
「ですってよ」
『ハイ、ハイ』
冒険者への依頼はギルド(組合)を通して管理される。地位が低い労働者という印象が知られているが、トップクラスの冒険者は魔物との死闘や不思議な未知領域の探索によって、想像できないほどの富と力を得ているともいわれる。この仕事に夢を見る者は多い。
ヴィクトリアもまた、冒険者として登録することにした。
冒険者ギルドに舞い込む依頼の中には戦闘能力が必要になるものも少なくない。衛兵だけでは対処できない問題があるからだ。ヴィクトリアとアキラの力を活かすにはぴったりな仕事だといえた。
帝都に到着すると、ニコルから簡単な地理の紹介を受けた。帝国有数の大市場、様々なサービス店が集う繁華街、帝都の何処からでも目にできる巨大な帝国宮殿。そして、冒険者ギルド。
ギルドの受付から登録用紙とペンを貰って来て、さっそく書き込む。
『家名は書かん方が賢明だな』
「ええ、念の為」
帝都では紙をよく目にする。これは、東の方にある製紙工場から大量に運ばれてくる。冒険者ギルドに始まるあらゆる団体が紙を使って情報を管理しており、帝国に欠かせない産業の一つといえる。
ニコルはヴィクトリアにちょうどよい宿を探すと言って、一旦別れた。
「またねー」
冒険者ギルドの登録に必要な情報を書いて持っていくと、受付の手前でヴィクトリアは変なやつらに絡まれた。大男と眼鏡の二人組。大男の方は犬に似た耳が付いている。獣人だ。彼らはあからさまに大きな声でヴィクトリアに絡んだ。
「なんだこいつ?HPもMPも低いぜ!」
「僕はステータスを見るのが上手いからわかるが、筋力も耐久力も、大したことないな!ただ敏捷性は平均以上で、顔がかなり綺麗だ。でもそれだけだ。冒険者は向いてないよ!」
『あーあ、ダセーなァ。弱えと思うなら絡んでんじゃねェよ』
アキラが頭の中で罵った。
ヴィクトリアは彼らを無視し、間を抜けようとした。
「オイオイオイ、無視か?」
「面白いな!お前連れて帰りたいぞ!」
彼らは食い下がり、ヴィクトリアの細腕を掴もうと手を伸ばして来た。秀麗な眉がぴくりと動いた。
「〈アクセル〉」
次の瞬間、ヴィクトリアは受付に到達して書類を提出していた。
「よろしくお願いします」
「はい!承りました!」
受付嬢が微笑む。無事、届出完了。これでヴィクトリア・ウェルスは帝都の冒険者として登録された。正式に依頼を受け、働くことができる。またひとつ一人前に近づいた気がして、密かに微笑んだ。
風を切る気配を感じ、咄嗟に屈んで避ける。その頭上を、ブロードソードの横凪ぎが通過した。
「こいつゥー……俺を馬鹿にしてるだろ!アァ!?」
無視された男は完全に気に食わない様子で、続けて剣を振り回す。ヴィクトリアは床を転がりながら、回避、回避。いくつかの机と椅子が巻き込まれて斬られ、砕けた。仲間の制止を聞いても彼は止まらない。
しかしふと気がつくと、ヴィクトリアは姿を消していた。
「ちくしょオ……どこいったァー!?」
獣人の男は牙を剥いて怒り狂いながら、いつの間にか見失った女の姿を探す。彼の毛がざわざわと逆立ち、人間に近かった顔つきが徐々にオオカミの特徴を帯びていった。ギラつく眼差しで見回しても、目につくのは散らばった木片ばかり。苛立って吠える。
次の瞬間、彼の視界が闇に包まれた。ひんやりとした柔らかい肌が己の顔を覆い、体の中の力が引き抜かれていくのを感じた。彼はそのままあっさりと倒れた。
瓦礫の影に潜んでいたヴィクトリアはタイミングを捉えた〈アクセル〉で間合いの奥に入り込み、顔に右手を直接触れることでMP吸収を決めた。急激な精神力の減衰を受け、男は戦闘不能となった。
仲間の眼鏡男が慌てて彼に駆け寄る。
ヴィクトリアは騒ぎに背を向け、さっさと歩き出した。
「……殺しましたの?」
『いいや、ちょっと残した。殺しは御法度なんだろ?』
横目で見ると、暴漢のMPは確かに残っている。ショックで気絶しているが、死んではいないようだった。少し感心する。
名も知らぬ暴漢:HP500 MP50/400
「あなたがルールを守るなんて、珍しいですわね」
『ハハハ。殺人の作法には厳しいんだ、俺は』
ヴィクトリアは呆れたように鼻を鳴らした。騒ぎを聞きつけて集まって来た衛兵たちと何食わぬ顔ですれ違いながら、そのままギルドを後にした。
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その後、すぐにニコルと合流した。彼女もギルドで諍いがあったと聞いて飛んできたのだが、ヴィクトリアが無事なのを見て安堵の息を吐いた。
「ごめんね、アタシが離れたから。ああいうのに絡まれない通り道とか、あったんだけど。ホント油断してた」
「謝ることありませんのよ。私には傷一つありませんわ」
「そっか。強いんだね」
得意げに鼻を鳴らすヴィクトリアを他所に、ニコルは思案した。
「でも、ギルドの中で堂々と剣を抜くなんて……荒っぽいにしても妙だね。なんか、嫌な予感がするよ」
『ここらじゃ珍しいのか』
ニコルは真剣な顔で頷いた。
「だって、変なことしたらすぐに衛兵が飛んでくるもん。小突き合いならわかるけど、剣なんて抜いたらすぐにお縄だよ」
『へえ……ア、そうだ。あいつの財布スッて来たからさ。分けようぜ』
「いつの間に盗っていましたの?」
ヴィクトリアの右手が革袋を取り出して、三人の真ん中に置いた。中には少額の帝国硬貨、くちゃくちゃの紙が数枚、そして数粒の小さな錠剤だった。彼らは目を見合わせた。
『なんだこりゃ。クスリか?』
「鑑定屋さんに見てもらおうか。危ないものじゃないといいけど」
2人が相談する側で、ヴィクトリアはしわくちゃの紙を左手で丁寧に開いた。それは写真だった。獣人の男と妻、子供たちが写っている。古くも新しくも見える。そこに写った穏やかな表情の家族を見て、ヴィクトリアは静かに思いを巡らせた。
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