6日目

 昨日と同じように会場に来た。


 今日は、本当に。本当のお別れの日だ。


 箱に入っている君を見る。今すぐ出てきなよと、そう叫びたい気持ちを理性で捻じ伏せて、瞳の隙間から流れ出そうな雫を堰き止めて、横隔膜の痙攣を力を入れて止めようとする。

 もうわかっている。死んでるって、本当に死んでるんだって、分かっている。純白のドレス。それはウェディングのようにきれいなレースが付いたものではなくて、あまりにも質素な純白の、純白の………死装束。

 無駄に明るい照明も、君の顔に血の気が無い事を強調するみたいに照り輝いている。死は、あまりにも儚い。そして、死というものは



 自分が、自分の家族が、自分の友達が、死んだ。そうなったら、本当にその場で『死は尊い』なんて戯言言えるのか。言えない、言えないよ。少なくとも自分は、こんな状況で言えるわけがない。


 ポツ


 と、音がした。もう、気が付きたくなかった。


 カチ


 と、音がした。式が始まる時間が迫る。


 コト


 と、音がした。振り返ると、あいつのお父さんだった。


「………最後に、目に焼き付けてくれたのかい」

「はい」

「………ありがとう」


 優しい声色だった。余計に、目頭が熱くなりながら席に戻る。




 時間になった。




「これより、告別式を執り行います」


 喪主の人が無情にもその言葉を告げる。

 参列している皆がをただ静かに待っていた。


「ではまず、読経を行います」


 お坊さんが出てきて、力強い声でお経を唱え始める。正直に言って、この時間が自分には何よりも無駄な時間に思えた。勿論お坊さんだって仕事でやっているんだから、あんまり悪くは言えないけど。それでも、お経を聞くよりあいつの顔を少しでも長く目に焼き付けておきたかった。


 長い時間が経った。


 それは予想外に長く、何故だろうか。焦燥感を急き立てられた。


 でも、その焦燥感を埋めるように、読経を行う太い声が耳を覆う。


「読経を終了します。それでは、弔辞の紹介に移ります」


 お経が終わったと思ったら、今度は人が出てきて何やら手紙を読み上げ始めた。それぞれ、あいつとの関係性やエピソードトークを展開していく。自分の方が、もっとあいつの事を分かっているのにと思いながらそれを黙って聞く。

 聞いているはずなのに、何故か内容が入ってこない。この後執り行われる惜別の瞬間を想像するとあまりに怖くて、何も聞く気になれない。


「ご冥福をお祈りいたします」


 気が付くとそれはもう終わっていた。


「それでは、お焼香に移りたいと思います」


 淡々と進められる。喪主、親族、そして自分たち………

 どうしてもこの順番に納得が行かなかった。いいや、分かっているんだ。自分よりもきっと親族の人の悲しみは深いって。でも、きっと自分の方があいつのを知っていた。きっと、そうだった。

 一握りの遺憾の意を感じながら、でも仕方ないと悟りながら少しずつ進んでいく列の順番。とうとう自分の番が来た。


「………」


 棺に向かって、礼をする。あいつに頭を下げたのなんて何年ぶりだろうか。あいつがノートを見せてくれと頭を下げてきたことはあったけれど。前に頭を下げたのは小学校5年生の時だっけ。追いかけっこをしていてぶつかったんだった。懐かしいな。次君が頭を下げるのは………いや、違う。違うんだ………


 ごめん、ごめんな。本当にごめん………


 故意ではない。そう思いながら、心の中で呟いた事を心の中で謝罪する。


「………」


 抹香を一撮みして、目の高さまで持ち上げる。やり方は本当にあっているのか分からない。でも、哀悼の気持ちだけは本当だ。本当に、本当に哀しいと、そう思っている。本当はあったはずの存在しない記憶を思い描きながら、抹香を香炉へ落とす。


 自分の後に続く人は誰もいなかった。


「喪主の言葉です」


 席に着くと、すぐにあいつのお父さんが前に出てきた。少し震える声で、手紙を読み上げていく。息が詰まる。時間が過ぎていく………


「最後に、生花で故人様の周りを埋めましょう」


 白い花と赤い花が一輪ずつ渡される。艶のある花、君には少し劣るけど。


「………じゃあね」


 誰にも聞こえないくらい小さな声でお別れを告げる。もう泣かない。


 席に戻り、気持ちを落ち着かせようと瞼を瞑る。走馬灯のように、あいつとの記憶が再び蘇る。あんなことやこんなこともあったなと。思い出に一瞬のうちに耽る。目を開けると、頬に一筋の熱さを感じた。


 司会進行の人が式を閉める。それと同時に、君と生花が入った棺の蓋も閉められる。蓋の鍵も、窓も、閉められていく。それと同時に、自分の心も絞められていく。絞められた空っぽの心はいとも容易く悲鳴を上げた。




・・・・・・・・・・・・・・・




 君が炎の中に入って何分経っただろうか。味のしないジュースで喉を無理やり通して、昼ご飯を詰め込んだ。苦しかったのは喉か、それとも他のどこかか。今は悲しみよりも虚しさが多かった。自分の両親の顔は、はっきり見えない。


「荼毘が終わりました。皆様、こちらへ」


 茶の間から移動して、君のいるところへ向かう。そこには、何倍も小さくなった君が居た。白いドレスはもう来ていないのに、君は白くなってた。

 涙を呑んだ。もう、ここまで来てしまった。


「………ほら、箸で移してあげて」


 母親から箸を渡される。震える手を震える手で押さえながら、白骨を掴む。係の人が、『それは骨盤の骨です』と言った。僕は今、君の骨盤を掴んでいる。君を、箸で摘み上げている。


「はい、ありがとう」


 まだ震えている手から箸を離して、君に背を向けた。水鞠が跳ねるのを見せたくなかったから。


 そして、僕が絶対に入れない骨壺に君がいとも容易く入っていった。もう、君は見えない。欠片さえ。


 一週間前まで笑顔を見せてくれていた君は、泡沫のように消えてしまった。床に落ちた水鞠が弾けた結露に移ったのは水界の景色。そこには生命を宿した君が清明の雫を水琴窟の様に一滴落とした音が聞こえた気がした。慌てて骨壺を見た、何も起こっていなかった。


「以上で、葬儀の執り行いを全て終わりとさせていただきます」


 終わってしまった。全て終わってしまった。


「夕食の用意がありますので、また会場へ行きましょう」


 会場に着くと豪華な食事が用意されていた。普段食べることのないような食事だ。寿司に、天ぷら。フライや煮物が多く並べられていた。その奥には、君の笑った顔が飾られていた。


 もくもくと食事をする。美味しい。美味しかった。さっきまでは味がしなかったのに、今は美味しかった。疲れていたのもあってか自分の分はすぐに食べ終わってしまった。


 もう解散の時も近い。そんな時に、ピンクの紙袋を貰った。中には、インスタントのお味噌汁が何個か入っていた。


「味噌汁、食べるか?」

「うん」


 父親に問いかけられて、肯定の意を示す。机に乗っていたポッドをカップに注いぐとすぐに出来上がった。ズズっと啜ると、冷え切った体を温めてくれた。美味しかった。


「あんた、紙袋に制服入れちゃいなさい。お食事こぼしたら今日は洗えないんだから」


 母親にピンクの紙袋へ制服の上着部分を入れろと言われる。素直にピンクの紙袋に入れる。そうか、明日学校なのか。

 そう思っているうちに、全員が食べ終わったようでもう解散の時となった。


「これで、お別れだよ」


 もう、終わってしまった。


 あいつはもういない。いないんだ。


 明日学校に行ってもいない。


 迎えに行く必要もない。


「………分かってる」


 未だ表情を崩さずにわらいかけて来る君に背を向けて、歩き出す。もう顔は見ない。だって………こんだけ泣いたのに、まだ泣いてしまう自身があるから。


「さよなら………」


 車に乗り込む。夕焼け空だった。雲一つない夕焼け空。

 小説みたいに、哀しい気持ちの時に雨が降るなんてことはない。哀しくても、雲一つない空の奥に燦燦と照り輝く橙色の太陽が自分をのぞき込んでくるだけだ。




 自宅へ向けて、車が走り出した。




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