3日目
あいつの家を訪ねた。自分を含めた家族全員で。
制服は着ない。今日は着てはいけないらしい。
「………娘さんのご冥福をお祈りいたします。この悲しい時に、私たちの心は彼女とあなた方と共にあります。彼女と息子との思い出は永遠に私たちの心に残り、彼女の人生が私たちの息子に与えてくれた喜びと感謝を忘れることはありません。この悲しみを共有し、亡き友人が穏やかな眠りに就けることを願っています………」
「いえいえ、こちらこそ。娘が………む、すめがっ、あな、た方のっ………息子くんと過ごっせ、て………よ、良かった、でっす………!!!」
何か、両親とあいつのお母さんが話をしていた。いつも大人の文章に心の中で『そこは違うんじゃない?』とか突っ込んでいたけれど、そんなのどうでも良かった。というより、何も考えられなかった。
いつも慌ただしく出てくるあいつを、この扉の前で待っていた。時折聞こえてくるあいつのお母さんの声が、今はこんなにも近くに聞こえる。でも、あいつとよくにているいつもの
どこから出しているのかさっぱり分からないような、震えの中絞り出した声だった。昨日、自分が発した声と酷似した声だった。
あいつのお母さんは声を一回落ち着かせて、自分たちを家に上げてくれた。小さい頃、何度か見た風景だった。和室に通されて、煎茶とあられ煎餅を出してくれた。でも既に喉には何かつっかえているような気がしたから、手に取るのはやめておいた。
それからあいつのお母さんはたまに自分の事を気にかけてくれた。両親は昨日の姿を話していた。高校生にもなって他人に泣いているのを話されて、恥ずかしいかと思ったけれどそんなことは無かった。いや、そんな感情の居所がもう自分の心には無かった。いくらか時間が経って遂に、あいつの顔を見る時が来た。
息を喉の奥に詰め込むと同時に襖が明けられた。そこには、純白の大きな箱があった。この部屋の壁紙と同じ色でありながら、明らかに異質なその物体が存在感を放っていた。
「見てあげてください………」
「………っ」
声にならない悲鳴と戸惑いが襲い掛かってきた。箱にある窓を開けると、そこには眠っている様なあいつの顔があった。その姿は本当に気持ちよさそうで、今にも背伸びしながら起きてきそうな気がした。
「………おーい、起きて。ねぇ………」
でも、それは完全なる虚像だった。眠っている様だって、思いたかっただけ。気持ちよさそうだって、思いたかっただけ。本当に起き出してしまいそうな顔だって、思いたかっただけなんだ。ただ、自分の目が現実という名の実像を受け入れららずに、実像を反転させて虚像にしてしまっていただけなんだ。
「本当に、起きてしまいそうだよね………これで、もう目を覚まさないなんて………信じられない………よね」
湯灌で、君の頬に触れる。ただ眠っているような君の顔は、確かに冷たかった。君の手の平に触れる。あまりに、硬く冷たかった。握手をした時もあったけれど、その時とは程遠い。現実を自分自身で、布越しに感じた。
あいつのお母さんも、きっと自分と同じ。辛すぎる実像を直視したくないから。言葉で分かっても、せめて見たくはないから。眠っているだけだって思いたいんだ。あぁ、まただ。でも止まらない。
他人の家の畳の色を濃い色にする。止めないとと思いながら、体の制御が出来ない。自分が畳の色を深くすると、あいつのお母さんも畳みを深く変え始めた。そして、自分の着ている洋服の黒も。より深い色へとなっていく。
「………あんた。もうそろそろ、失礼するよ。迷惑掛かっちゃうから」
「いえいえそんな………息子さんが居てくれるだけで、この子はずっと楽しく暮らせてました。だれも迷惑だなんて思いませんよ………」
「いえいえとんでもないです………」
もう一度、透明な板を挟んで顔を見る。やっぱり眠っているだけだった。何回見ても眠っているだけだった。ただ、胸が上下に動かないだけで。体が微動だにしないだけで………確かに眠っているだけだった。
「明後日も、あるから。行くよ」
「………はい」
「………ありがとうございました。また、明後日お越しください」
「いえいえ。重ねてではありますが、心よりお悔やみ申し上げます」
それを右から左へ流しながら、あいつを思い出す。今まで遊んだ場所、普段の表情、可愛らしい
水晶体を通さずに、頭の目であいつの顔を見ている。鼓膜を通さずに、頭の耳であいつの声を聞いている。意識せずとも、あいつが躍っていたダンスは体を人たび動かせば踊れてしまうような気がした。
「………大丈夫?」
「うん、大丈夫」
「じゃあ、帰ろう」
大丈夫じゃない。でも、あいつとあいつの遺族はきっともっと大丈夫じゃない。
とてもじゃないけどただの友達の身でありながら、きっと遺族も対応に追われて、忙しくて言って無い『大丈夫じゃない』なんて言葉
言えない。言えるはずが無い。
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