私の華麗なる逃走劇(リリアン視点)

 ネオバルディアという国の王城には、王族が緊急時に脱出するための秘密の通路が存在しているらしいということを、リリアンはこの一年と半年の王城生活の中で耳にしていた。


 だからと言ってその場所を把握しているわけではないが、聖女の身に纏う魔力を少し応用すればその通路を見つけることはそこまで難しいことでもないだろう。


「聖女の魔力って普通の魔力と何か違うのか?」


 月が空の頂点に上り、王都の街の明かりが消えた頃。


 廊下に設けられた天窓からわずかに差し込む月明りに照らされた王城の廊下で、各々の部屋からこっそり抜け出したリリアンとエルウィンが合流していた。


 二人の服装は自由時間のうちに出入りの商人に頼んで誂えてもらった、冒険者風の恰好だった。エルウィンは簡素なズボンとシャツに、動きやすさを重視した軽くて伸縮性のある外套を。腰には訓練用の片手剣を下げていて、反対側にはいくつかの瓶をぶら下げていた。


 リリアンは如何にも魔法使い然とした古めかしいローブを身に纏い、しかしながらその中身は王都で年頃の少女に流行りの可愛らしいワンピースを冒険者用に改造した服を着ていた。ピンクのアクセントが可愛らしいブーツを履いて、手には片手で扱える小さな杖を握っている。


「普通魔力って自分の中の魔力か外の魔力かのどっちかしか使えないでしょ? 聖女の魔力は自分の魔力を外の魔力に馴染ませて同時に使えるの」

「それって何かいいことあんの? 俺魔術のことってよくわからないんだけど」


 ひそひそと声を潜めながら会話をする。王都の民も王城に努める者もみんな寝静まった時間帯だ。大きな声を出す事は憚られるし、そもそも誰かに見つかるわけにもいかない。


 こんな深夜でも王城では毎日見回りの兵士が廊下をうろついている。下手に声を出して兵士の耳に届いたら大変だ。


「自分の魔力使う方が簡単だし、繊細な魔術が使えるの。でもそのかわり量が少ないからすぐなくなっちゃうし、長時間使ったり派手なことは苦手なの。外の魔力を使うのはその逆で、使うのは難しいし繊細な魔術はほとんど使えない。でも外の魔力はいくらでもあるから、よっぽどのことがない限りなくなったりしないし、長い時間使ったり派手な魔術が使えるの」

「ふんふん……それで?」


 二人で周りを見回しながら、足音を立てないようにゆっくりと歩を進めていく。そうしながら、リリアンは杖に己の魔力を集めるとふっと杖の先から放出した。


「聖女の魔力は自分の魔力を外の魔力と馴染ませることができるから、二つの魔力のいいとこどりができるってわけ。だから、こうやって王城全体に薄く広く魔力を伸ばして――」


 リリアンの握る杖の先が仄かに光を帯びる。それは瞬きの間にさっと廊下全体に広がり、その先の部屋まで広がり、わずかな間に王城全体に広がっていった。


 リリアンは王城全体に薄く広く伸ばした魔力から、不自然な空白の空間を探り出す。王城の構造的に中身が詰まっていないとおかしい場所に空白があれば、そこは何か人には言えない秘密の部屋か廊下か、何かがあるということだ。


「――見つけた」

「マジ?」


 リリアンは王城に初めて来たときに渡されたの王城の見取り図を取り出す。広い王城の、外に出してもいい部屋の位置や構造が載った地図で、さっきリリアンが魔力を伸ばして探った王城の形もだいたいこの地図と同じ構造をしていた。


 ただ、いくつかの場所に不自然な空白部分があって、それがどれも細長い廊下のような形をしていて、これが王族用の逃走経路なのだと理解できた。


 リリアンは「杖をペンに変える魔術」を使って杖をペンに変えると、取り出した地図に今探った情報を書き込んでいく。合計五本ある通路のうち、四本が偽物の通路だ。先が行き止まりだったり、落とし穴があったり、地下水に通路が埋まっていっていたり。


 それらを全て記録して、エルウィンに見せる。


「五本の通路があるけど、正解はこの一本だけ。三階の図書室の廊下の突き当りにある。普段は見えないようにしてあるけど、何かしらの仕掛けを解くと入れるようになるんだと思う」

「へぇー……図書室は何回も行ったことあるけど全然気づかなかったな」

「まあ私たちが簡単に気づける方が不味いし、そんなもんだと思うよ。それよりも、ここは唯一本物の道なだけあって、他の場所よりも警備が厚いみたい」


 リリアンはさらに地図に書き込みを入れていく。それぞれの通路の位置と、その周りの見張りや警備の兵士の情報を。


「だから、お義兄さんの計画通り、この四つの偽物のうちの一つを曝け出して、注目を浴びさせる。別に壊す必要はないし、私たちがその道を通って外に出る必要もない」

「で、混乱した王城の中を訓練の指導の一環で王城に来た冒険者のふりをして堂々と出て行くって話だよな? そんなにうまくいくか?」

「まあ、そこはお義兄さんの『他者の存在を希薄にする魔術』と『他者の気配を誤認させる魔術』を信じるしかないんじゃない?」

「やっぱそうだよな……」


 あの日義理の兄がリリアンの部屋で宣言してから、リリアンとエルウィンはすぐに行動を開始した。王城を脱出するための情報を集め、冒険者用の装備を整えた。


 どうして義兄が急に王城を出ると言い出したのかはわからない。何か義兄にしかわからない事情があったのだろう。


 リリアンとエルウィンがそれに一も二もなく飛びついたのは、二人ともここでの生活に嫌気が差していたからだ。


 別に望んで聖女や勇者になったわけではない。急に故郷から連れてこられて敬われたり丁寧に扱われたり、かと思えば粗雑に扱われたり明らかに見下されたりなんて、そんな生活はうんざりだった。


 魔王が蘇った、なんて言われたところで、実際に自分たちがしていることと言えば王都に籠って訓練の毎日だ。まともに魔物と戦うことすらしていないのに、魔王と戦う人類の使命だなんだと言われたって全くピンと来ない。


 リリアンは所詮田舎の村娘なのだ。頭もよくないし、人類だのなんだの大きなことを言われたってそんなの困る。私はケー君と一緒に暮らせていられればそれで幸せだったのだ。そんな思いがリリアンの中にはあって、それを強制的に崩されたという事実からますます人のためになんていう思いを抱くことができずにいた。


 だから、王城から出て行くということに全く未練も躊躇もなかった。確かにこの一年と半年程度の時間で仲良くなったものはいるが、ケー君と会うことができるようになるならその人たちとの別れも些末なことだ。


 むしろどうして今までこの王城を脱出するという発想が浮かばなかったのか? 聖女の魔力を十全に使えれば逃げ出すことはそこまで難しくなかったはずだ。現に、今こうして王族とその周囲のごく近しい者のみが知っているであろう秘密の脱出通路を、いとも簡単に発見できている。


(流石の私やエルウィンでもそれくらい考えそうなものだけど……)


 ふと芽生えたそんな疑問を何とかして頭から追い出す。今はそんなことを考えている場合ではない。脱出に集中しなければ。


 地図を片手に王城の警備を搔い潜り、偽物の通路のうちの一つにたどり着く。偽物とはいえ本物と誤認させるため、入り口は秘匿され何かしらの仕掛けを解かなければ中に入ることができないようになっていた。


「んー……ここを押して、こっちを引く……」


 リリアンは一見すると切れ目のない綺麗な壁の一部を押し込み、逆に近くの本棚に置かれた本のうちの一冊を引き抜く。すると、目の前の壁の一部が急に動き出し、人が一人通れる程度の穴が姿を現した。


「すげー。よくわかるなそんなの」

「さっき通路を探したのと似たような要領だよ。自分の魔力と周りの魔力を馴染ませて不自然なところを探るの。それから『鍵を開ける魔術』を使えばいいだけ」

「とりあえず俺には無理っていうのだけはわかった」


 「エルウィン魔術苦手だもんね。ケー君は得意だったけど」などと言いながら、リリアンは踵を返してきた道を引き返す。エルウィンもそれに続いて歩き始める。


「この穴を発見した警備の人が騒ぐまで、たぶんそんなに時間はかからないと思う。騒ぎ初めに動いたらおかしいから、騒ぎが十分広がって騒がしくなった段階で抜け出そう」

「そうだな。それまで一旦どうする?」

「私の部屋でケー君の話しようか」

「え”……俺またあの話聞かされるの……?」

「文句ある?」

「イエ、ナイデス……」


 などと会話をしながらリリアンの部屋に向かって歩く。


 王城から脱出したら、まずは故郷へ向かってケー君に会いに行こう。それからケー君に優しくない故郷の村を出て、ケー君とゆっくり暮らせる場所に行こう。違う国でもいいし、周りがうるさいならどこか山の中とかに小屋でも作って暮らせばいい。


 とにかくケー君と一緒にいることが優先だ。それ以外のすべては些末事だ。


 リリアンの思いは既に王城を脱出した後のケー君との日々に向かっていた。失った時間をどうやって取り戻すかを考えていた。


 だから気が付かなかったのだ。聖女の力に紛れて、何かよくわからない力が自分に宿っていることに。それが「インターネット」という力の一部だということに。


 翌日、王城から聖女と勇者の二人が堂々と正門から姿を消した。多くの人間が目撃していたし、門番などは会話までしていたにもかかわらず、誰も気にも留めなかった。


(待っててね、ケー君♡)


 自分の胸の内のケー君にそう告げると、リリアンは力強く歩を進めるのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る