究極の闇の力「インターネット」

 見るものに畏怖を与える威圧感。その巨大な牙は木々の隙間を縫って降り注ぐ月の光を浴びて、まるで死神の鎌のように鈍く輝いている。


 体毛は一呼吸ほどの空気も通さないほど密集していて、鍛え上げられた鋼の鎧のようだ。


 凶器を孕んだ瞳を俺に向けてくるそのイノシシ型の魔物は、名前を「ガルムホーク」という。あれから俺も知識が増えて、あの日に遭遇した魔物のことも頭の中に入っていた。


「……ふぅー……。何もいなかった。いいね?」


上位チャット:草

上位チャット:それは無理がある

上位チャット:真後ろにいるのにそれは草なんよ

上位チャット:ペットじゃなかったとしたら普通にヤバくね?


 俺はガルムホークから視線を外してスマートフォンの配信画面を見つめる。


 あーなんかコメントの流れが速いなーなんか盛り上がってるなー!


「――逃げるんだよぉ――!」

「ブルぁぁぁぁ!」


 俺は叫んで座り込んでいた姿勢から飛び上がるように走り出した。


 うおおおおおおお! ヤバすぎだろ!! なんで音もなく俺の後ろにいるんだよ! 普通もっとなんか音とかするだろ! 葉っぱを踏む音とか木の枝を踏む音とか何かこうわかるやつ!


 ガルムホークは走り出した俺を当然のように追いかけてきた。口の端から涎がぼたぼたと零れ落ちててとても不気味で怖い!


 昔はね? あいつの突進受け止めたりしましたけどね? あんなことしてまた気を失ったらそのままあの世に直行ですよ!? できるわけないって!!


上位チャット:うおおおおお画面があああああ

上位チャット:酔う! これは酔う!

上位チャット:俺3Dゲームとかもダメなんだって!

上位チャット:異世界ニキー!


 走り出すときに握りしめたスマートフォンのどこかに指が当たったのか、急にスマートフォンから音声が流れてきた。


「え、なにこれ気持ち悪い! 明らかにネオバルディアの言葉じゃないのにネオバルディアの言葉で聞こえてくる!」


 コメントの人たちが感じてた気持ち悪さってこれのことだったのか! 身をもって体験してしまった!


上位チャット:異世界ニキ今それどころじゃないでしょ!

上位チャット:自分の魔術のせいでしょ!

上位チャット:異世界ニキ後ろ! 後ろ!

上位チャット:画面ブレブレでよくわかんないけどなんか突っ込んできてない!?


 そのコメントの読み上げを聞いた瞬間、俺はほとんど反射的に横に身を投げ出した。手からスマートフォンがどっかに飛んでいき、倒れ込むように地面に転がる。


 そしてその次の瞬間、俺の背後をガルムホークが通過していき、その進路上に生えていた木に激突した音が鳴り響いた。ミシリと木の幹が軋む嫌な音が聞こえてきて、怒りを孕んだガルムホークの鳴き声が森の中に広がっていった。


「いってぇ……!」


 あんなのにぶつかられたら死ぬって! 前の俺よく生きてたな!?


 俺は素早く立ち上がると、ガルムホークから意識を外さないようにしながら周囲を見回す。正直言ってあいつから逃げ切れる自信がない。


 ガルムホークは勢いよく木にぶつかったからか、少しふらついている。もしかしたら意識がはっきりしていないのかもしれない。ただ、その状態が長く続くことはないだろう。この隙にできるだけ遠くに逃げよう。


上位チャット:なんかこのスマホ浮いてね?

上位チャット:異世界ニキと動物が両方見えるな

上位チャット:さっきまでのブレブレ画面じゃなくなったな

上位チャット:なんで浮いてんの? 異世界ニキが何か魔術使ったんか?


 俺の近く、頭の横くらいからコメントの読み上げが聞こえてくる。思わずコメントが聞こえてきた方に顔を向けると、確かにさっき俺の手からどっかに飛んでいったはずのスマートフォンが空中に浮かんでいた。


「え、なんで浮いてんの? スマートフォンってもしかして空中に浮くもんなの?」


上位チャット:そんなわけない

上位チャット:未来の技術すぎる

上位チャット:流石に空中に浮くスマホとかない

上位チャット:異世界ニキが魔術か何かで浮かせてるわけじゃないのか


「いや俺にそんな魔術使えなあぶねえ!」


 俺とコメントの話し声に反応したガルムホークがまたしても突っ込んできて、俺はなんとかもう一度横っ飛びで体を投げ出して突進を避ける。


 これ俺生きて帰れるんですかね!? よくエルウィンとリリーはこんなの倒したな! そりゃ勇者と聖女になれますわ! あいつが突進した木倒れそうになってるんですよ!?


上位チャット:異世界ニキ何か魔術でどうにかできないんか!?

上位チャット:戦闘魔術? 使えないって言ってたし無理なんじゃね?

上位チャット:異世界ニキ……お前死ぬのか?

上位チャット:流石に何かどうにかする手段あるよね? ね? ……ないの?


「何かどうにかする手段があるならこんな逃げ回ってないんだよなあ!」


上位チャット:成仏してクレメンス……

上位チャット:↑まだ死んでないんだよなぁ

上位チャット:冗談抜きでヤバくね?

上位チャット:流石に人がボロボロになって死ぬ姿とか見たくないぞ


「逆に聞くけどどうしたらいいと思う!?」


 またしても突進してきたガルムホークを避けながらコメントに聞き返す。息が上がって足の動きも鈍くなってくる。


 激しく呼吸をしすぎたせいか、喉の奥から血の味がしてくる。正直もう限界。なんでもいいから何かないかなぁ!?


上位チャット:いきなり言われても困る

上位チャット:そもそもそいつなんなん? イノシシっぽいけどやけにキモいし

上位チャット:目が逝っちゃっててやばい

上位チャット:木に自分から突っ込むとか明らかに頭おかしいし


 俺の言葉に、コメントでそんなガルムホークをが返ってくる。そういうのじゃなくて、何か解決策とかさぁ! と俺が思った瞬間――


「ブルぁ!?」


 急にガルムホークが何かに殴られたかのように吹き飛んだ。


「なに!? なんなの!? なんでいきなりあいつ吹っ飛んだの!?」


 マジでなんで!? 周りに何もいないよね!? 俺なんもしてないよ!? ていうか何かできるならとっくにしてるし!


上位チャット:急に吹っ飛ぶやん

上位チャット:なんで? 異世界ニキ何かしたんか?


「何かできるならとっくにしてるって!」


上位チャット:まあそうよな

上位チャット:配信画面越しでも吹っ飛んだ瞬間涎が飛び散ったの見えてて草

上位チャット:あまりにも汚い

上位チャット:ずっと涎垂れてるのは流石にキモイ


 またしてもガルムホークを貶すようなコメントが聞こえた瞬間、立ち上がりかけてたガルムホークがまたしても何かに殴られたかのように吹っ飛んだ。


「また吹っ飛んだんだけど!? なんで!?」


上位チャット:わからん

上位チャット:意味不明でわろた

上位チャット:いやこれもしかしてなんだけどさ

上位チャット:なにかわかったんか?


「何かわかったんか!?」


上位チャット:異世界ニキ俺らの言葉移ってきとるやん

上位チャット:いやもしかしてなんだけどさ、俺たちがあのイノシシっぽい動物のことキモいとかなんとか悪口言ったら吹っ飛ぶんじゃね? って

上位チャット:何それヤバすぎ

上位チャット:悪口がリアルに攻撃になるとかやばすぎて草


「悪口言ったらあいつが吹っ飛ぶってマジ!?」


 そんなことある!? いやでも確かにあいつが吹っ飛んだタイミング二回ともコメントからあいつの悪口流れてきた時だったけど! もう一度言うけどそんなことある!?


上位チャット:試してみればいいんじゃね?

上位チャット:そうだな

上位チャット:涎垂れてんのキモすぎ

上位チャット:どんな獣生? 歩んで来たらそんなキモくなれんの?

上位チャット:ママの子宮からやり直して来たら?


「お前らなんか悪口のキレよすぎじゃね?」


 なんて俺が思わずコメントに突っ込んだ瞬間、三度ガルムホークが吹っ飛んだ。


上位チャット:罵倒で吹っ飛ぶのマジじゃん

上位チャット:これもしかして異世界ニキの力か?

上位チャット:異世界ニキの配信で相手を罵倒するとダメージ与えられる……てコト?!


「何それ知らん……こわ……」


 悪口言っただけで物理的に相手を傷つけられるとか怖すぎじゃね? どうなってんのマジで。


上位チャット:これが異世界ニキの「インターネット」の力か……

上位チャット:罵倒コメントでダメージを与えられるよ☆

上位チャット:この能力闇深すぎん? どんな人生歩んだらそんな力手に入るわけ?

上位チャット:小さい頃から優秀な周りと比較され続けた挙句、恋人の幼馴染を同じ幼馴染に寝取られたら、かな

上位チャット:うーん、改めて言葉にされると自分では歩みたくない人生だな


「まだリリーがエルウィンのところに行ったって確定してないって言ったのお前らじゃん!? なんでそんなこと言うんだよ!」


上位チャット:この状況で反応するのそこなんだ

上位チャット:異世界ニキ、実は結構余裕あるな?

上位チャット:異世界ニキの余裕、それすなわち俺たちのキレのいい罵倒

上位チャット:嫌な余裕だなぁ……


 ねぇマジで何なの!? 結局インターネットって何なの!?


 マジで悪口とか罵倒とかで相手を物理的に傷つけられるんならヤバすぎだろ。コメント今みたいに読み上げにしておけば、相手が人だったら精神的にも傷つけられるんでしょ?


 この力あまりにも闇深すぎだろ!!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る