幼馴染で恋人の女の子が勇者と結婚すると聞いた俺、究極の闇の力「インターネット」を手に入れてしまう
「ケイ君。今日の仕事はもうおしまいだよ、お疲れ様」
「あ、もうそんな時間ですか……お疲れ様です」
古い紙と乾いたインクの匂いが混ざり合う。
部屋に取り付けられた木枠の窓が開けられていて、傾いた日の光が差し込んでいる。
光を反射してキラキラと光る埃と、乱雑に置かれた紙の束。
「これが今日の代賃だ。いつもいつもよく働いてくれるね」
「まぁ、他にやることもないんで。早く村出て行きたいですし……お金、ありがとうございます」
「そうか……君が出て行くとなると寂しくなる」
「この村で俺にそんなこと言ってくるのフォグさんだけですよ」
今日の分のお金が入った小袋を受け取ると、俺は机の上に広げられていたペンと紙を纏めて棚にしまっていく。棚には翻訳途中の資料と翻訳が終わった資料が綺麗に整頓されていて、俺は設置されている仕分けの仕切りに従って紙を置いていった。
フォグさんはこの村に住む唯一の翻訳家だった。この村にというか、この辺りには近くの町も含めて翻訳家はフォグさんしかいない。だからいつも仕事がたくさん舞い込んできていて、常に忙しそうに仕事をしている。
フォグさんは初老に差し掛かろうかというくらいの年齢の男性で、白く染まった髪を丁寧に撫でつけて、長い髭を蓄えながら優しい目つきをした老魔術師のような見た目をしている。指先はインクの色が移って黒ずんでいて、白い髪や髭との対比がちょっと面白い。
フォグさんは元々この村の人ではないけど、町での生活に疲れて数年前にこの村に引っ越してきたらしい。だから忙しい割には一人で仕事をしていることが多くて、そこに俺を雇ってもらっている。
俺は村でいろいろ仕事をしているけど、このフォグさんのところで働くことが一番多い。
「そろそろ翻訳の魔術は習得できたかい? 僕の見立てだとそろそろだと思うんだけどねぇ」
翻訳の魔術っていうのはフォグさんが仕事で使っている魔術だ。その名の通り言葉を翻訳するための魔術で、フォグさんはこの魔術を自分の眼鏡にかけたりペンにかけたりしながら翻訳の仕事をしている。
「うすボンヤリとって感じですね。眼鏡にかけたらなんとなく読み取れるかな……? くらいの感覚です。ペンにかける方は何とも。成功したり成功しなかったりで、安定感がないです」
「何、君の歳でそこまでできているなら上出来だよ。僕が君くらいの年齢の頃なんか魔術を使うための魔力操作すらろくにできなかったんだ。それを思えばできすぎなくらいさ」
フォグさんはそう言って褒めてくれるけど、俺の中では「リリーならとっくにできてるんだろうな……」という想いがあって、素直にフォグさんの言葉を受け取ることができなかった。
「ありがとうございます。ただ……」
「ん? ないだい?」
「あ、いえ……リリーならもっとうまくやれるなって、そう思っただけです」
「……リリアン君からの手紙は今も届いていないのかい?」
「……そうですね」
リリーからの手紙が届かなくなってもうしばらくの時間が経った。俺とリリーたちが別れてから一年以上が経っている。俺は一年以上もリリーの顔を見ていないし、声も聞いていない。
リリーからの手紙が届かないのは、何か事情があるのだろう。最後の手紙はエルウィンの話題ばかりで、俺との話なんて全然書いてなかったけど、それも何か事情があるに違いない。
……そう思わないと、俺の心は折れてしまいそうだった。
小さな頃から一緒に育って、恋人になって、将来を約束して。そして連れて行かれて。
遠く離れていても俺たちの心は一緒だって。そう思って、王都に出るためのお金を貯めるために頑張って。
リリーと一緒に暮らして、家族になって、子供を作って、幸せに暮らして。それしか願っていないのに、何故だかそれがこんなに遠くなってしまって。
俺がリリーを思う気持ちは変わらない。リリーが俺を思ってくれる気持ちも変わらないはずだ。変わらないはずなんだ。
だからさ、リリー。また手紙をくれよ。俺に笑いかけてくれよ。声を聞かせてくれよ。
もう少しで目標にしている金額まで溜まりそうなんだ。フォグさんが王都の知り合いの翻訳家に話を通してくれるって言ってくれてるんだ。行商人のマテさんも俺を王都まで乗せてってくれるって約束してくれてるんだ。
だから、それまで、どうか。
お願いだ、リリー――。
王都に行って、しばらく生活できるくらいのお金が溜まった。
俺と幼馴染たちが別れてから、一年半年ほどが経っていた。
相変わらずリリーからの手紙は届かず、でも俺からは手紙を送り続ける日々。
そんな日々にもお別れを告げる日が近づいていた。
「ケイ君、王都へ行くんだね」
「そうですね」
「恋人の君に手紙の一つも寄越さないうちのバカ娘に会ったら、私たちが怒っていたと伝えてくれないかな?」
「もちろんです」
お金が溜まったからそろそろ王都に行こうと考えている、とリリーの両親に話をすると、そんなことを言われた。リリーの両親はリリーに似て朗らかで人当たりのいい、穏やかな夫婦だった。
リリーが聖女に選ばれたことは喜ばしいことではあるけど、親として危険なところに行ってほしくはない、なんて複雑な心境を抱えながらも、時々俺にも目をかけてくれる。そんな人たちだ。
俺の親は俺には無関心のままだったから、どっちかというとこの人たちの方が親っぽいかもしれなかった。まあ別に飯食わせてもらってるだけ感謝はしてますけどね、自分の親にも。
「王都の知り合いに君のことを伝える手紙を送っておいた。それと、これは推薦状のようなものだ。これに書かれている住所に行くといい。きっと歓迎してくれるだろうさ」
「ありがとうございます、フォグさん」
「何、君はよく頑張った。その歳で翻訳の魔術が使えるなんて凄いことだよ。十分誇っていい。その魔術があれば王都でくいっぱぐれるなんてことはないはずさ」
「いえ、フォグさんのおかげです。本当にお世話になりました」
フォグさんからはそう言って王都の知り合いの翻訳家の人への推薦状を貰った。
もうすぐで王都に旅立つ。王都に着いたら家を見つけて、仕事を見つけて、生活の基盤を作って。でもその前に、一番にすることがある。
王都に着いたら幼馴染たちに会いに行く。会えるかどうかはわからない。何せ相手はお城住みの聖女と勇者だ。幼馴染だなんだといったって他のお城の人にしたら関係ないだろうし、兄の家族なんです、とか言っても信じてもらえるかどうかなんてわからない。
でも、それでも会いに行かないなんて選択肢はなかった。幼馴染に会いたいし、何よりリリーに会いたい。兄には……まあ別にって感じだけど?
それで、会って、なんで手紙寄越してくれないんだよ! って怒って、それでも想い合ってるって確かめたいんだ。
そのために俺は王都に行く。リリーに会いに。俺がリリーを迎えに行くんだ。
そう決意して、準備して。後はもう出発するだけ、だったのに。
その悪夢のような言葉は、誰が最初に言ったのか。誰が俺に届けたのか。
村の大人から向けられる視線は憐れみだ。
リリーの両親とエルウィンの両親は青褪めながら俺に謝ってくる。
俺の両親は相変わらず何も言ってこなかったけど、逆にそれが俺の心を少しだけ留まらせたのかもしれない。
『聖女リリアンと勇者エルウィンの結婚が決まった。魔王討伐の暁には王都にて盛大に婚姻の儀式を上げる予定である』
それを聞いた俺は、ただただ真っ白になっていた。
俺の中でピンと張りつめていた何かが壊れた気がした。
聖女リリアンと勇者エルウィンの結婚。それを俺に伝えてきたのが誰だったのかは、あまりのショックに覚えていない。リリーの両親かエルウィンの両親だったかもしれないし、行商人のマテさんだったかもしれないし、フォグさんだったかもしれない。
とにかく、誰かが俺にそのことを伝えて、俺は。
俺は……もう、どうしたらいいのかよくわからなくなって。
気づけば頬を涙が伝っていて、俺は一人村を飛び出して森の中まで走っていて。
「あぁぁああぁあ……! なんで……!? どうして……!? なんでそうなるんだよぉ――!!」
そこで俺は今まで自分の中に溜まっていたものを全て吐き出すように泣き叫んだ。
あらん限りの力で泣き叫んだ。
もしかしたら村に聞こえてたかもしれない。でもそんなことはどうでもよかった。
小さな頃から優秀な兄や幼馴染たちと比べられて育ってきた。村の大人は俺のことを憐れんでくるような奴らばっかで、居心地が悪かった。
子供なんていうのはそんな大人を見て育つもんだから、同年代の子供にも憐れみを向けられるようなこともあった。そんな奴らが嫌いだった。
でも俺の幼馴染たちは違った。俺と仲良くしてくれて、自分たちの方が優秀なのに俺のことを下に見るなんてことはなくて、俺はそんな幼馴染が大好きだった。
だから俺は教会で叫んだし、幼馴染に会いに王都まで行こうとした。
「その結果がこれかよ――」
……なんとなく。なんとなくこうなるんじゃないかとは思ってたんだ。目を逸らしてたんだ。考えないようにしてただけなんだ。
リリーからの手紙の内容が、だんだんエルウィンのことばかりになっていっていたこと。俺とのことが減っていって、最後には書かれなくなっていたこと。手紙が届かなくなったこと。
エルウィンたちは城でずっと一緒に暮らしていて、俺は田舎の村に離れて一人。数日や数週間ならまだしも、もう一年半も会っていない。
厳しい訓練の毎日で、本当の意味で頼れるのは一緒に来た幼馴染だけで。そんな状態で、二人の仲が縮まらないなんて、誰が言える? 二人がお互いを支え合って、惹かれ合わないなんて、誰が言えるんだ?
俺は心のどこかで理解していたその現実から必死に目を背けて、自分の理想の輝かしい未来だけを見て、大丈夫だと自分に言い聞かせていただけだ。
そんなのわかってる。自分が一番よくわかってる。バカなのは俺で、あいつらじゃない。
でも、でもさ! 俺にとってはそれが全てだったんだよ! そのために頑張ってきたんだよ! それだけのために生きてきたんだよ!
それが突然二人が結婚するなんて聞かされて、はいそうですか、なんてなるわけねぇだろ! 納得なんかできるわけねぇだろ!
「俺はこれからどうしていけばいいんだよ……!」
森の中で倒れ込む。息が上がって、視界が滲む。
仰向けになって空を見上げる。木々の隙間から暗くなった空が見えたけど、何も頭は働かなかった。
頭の片隅に残る俺の理性的な部分は、これからのことについて考えなければいけないと警鐘を鳴らしている。けれども、俺の頭の中の大部分を占める感情的な部分が、今は何も考えたくないと理性を追いやった。
頭も、心も空っぽだ。体力も空っぽで、暗い空に輝く星を眺めることしかできない。
「うっ……くぅ……ひっく……うぅ……」
俺は一人、森の中で泣き続けた。
どれぐらいそうしていただろうか。まだ空は暗いままだったから、案外そんなに時間は経っていなかったかもしれない。
いつの間にか涙は止まっていた。でも、まだ動けるほど俺の心も体力も回復していなかった。
これからどうしようか。
一瞬、そんなことを考える。考えてから、思考を放棄する。まだもう少しくらい何も考えない時間があったっていいじゃないか。
明るくなったら考えるから。明日になったら考えるから。そしたらこの昏く沈んでる心もどうにか引き上げるから。
だからもう少しだけ待ってほしい。そしたら俺もいつもの俺に戻るから。
だから、だからさ――
そんな俺の耳元に、突然誰かの囁き声が聞こえてきて。
気づけば俺は、何か意味不明な力を手に入れていた。見たことも聞いたこともない名前で、でもなぜかそこには無限の可能性と、人の醜悪さを詰め込んだような何かを感じて。
『Welcome to Underground』
幼馴染で恋人の女の子が勇者と結婚すると聞いた俺は、気付いたら究極の闇の力「インターネット」を手に入れていた――。
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