私の恋人は彼しかありえない(リリアン視点)

 透明なガラスがはめ込まれた窓から外を眺める。目に優しくないほど輝く太陽の光が窓から差し込んできて、気分を憂鬱にさせる。


 綺麗な部屋に、豪華な調度品。故郷の村にいたら一生お目にかかれなかったようなお金のかかった家具が設置されているこの部屋が、今の自分に宛がわれた牢獄だった。


 故郷であるエンドリス村から遠い遠いこの王都まで連れてこられたリリアンにとって、この賑やかな王都も煌びやかな王城もすべてが憎たらしく思える。魔王討伐のためという名目でここに連れてこられた時から、リリアンは己の中で「絶対にここにいる人間のためなんかに働いてやるもんか」と固く誓っていた。


「ケー君……」


 自分一人しかいない部屋で、思わず呟く。毎日毎日、何度愛しいあの人の名前を呼んだことか。何度心の中で呼びかけたことだろう。


 もう一年半も会えていない。恋人にこんなに長い期間会えないなんて絶対におかしい。恋人とは常に一緒にいて、喜びも悲しみも分かち合うものだ。一緒に苦労して、一緒に笑い合って、絆を深めていくもののはずだ。


 自分のこの感覚がおかしいはずはない。間違っているのは恋人同士を本人の意思に関係なく引きはがす教会で、引いては自分勝手に聖女だとか勇者だとか言い出す「主」とやらだ。


 「主」とかいうやつが私のことを勝手に聖女とか言い出したからこんなことになっているのだ。「主」とかいうやつがいなければ私は今頃ケー君と一緒に過ごせていたのに。


「はぁ……」


 そこまで考えてリリアンはため息を吐いた。


 もう何度も何度も同じことを考えては、恋人のいない現実に打ちのめされてきた。


 こんなに会いたいと思っているのに会うことができない。こんなに寂しいと思っているのに寂しさを埋めることができない。頭がおかしくなりそうだった。


「どうして手紙をくれないの? ケー君……」


 ぽつりと零した自らの言葉で、リリアンはまた打ちのめされる。


 以前は定期的に届いていた自らの恋人からの手紙が届かなくなってから、すでに半年ほどが経過していた。











「ほんっとうにすみませんでしたぁっ!!」


 朝から自分の部屋の床に額を擦り付けて謝罪をする幼馴染の姿に、リリアンはベッドの淵に腰かけながら呆れとともにため息を吐いた。


 故郷の村から一緒に連れてこられた幼馴染――エルウィンは着の身着のままといった態で、動きやすい訓練着のまま部屋にやってきた。汗を流すという気持ちの余裕すらなかったのか、汚れたままの恰好でやってきたのは正直勘弁してほしいと内心思う。


「別に……エルウィンがどうにかできる問題じゃないし」

「俺もできるだけ頑張ったんだけどさぁ! あいつら俺の話なんて全く聞いてくれなくって! だからお願いします! 殺すのだけは勘弁してください!」

「いや、殺したりするわけないじゃない。私のことなんだと思ってるわけ?」


 エルウィンが自分の部屋に来てまで、こうして額を擦り付けているのには訳がある。


 聖女である自分と、勇者であるエルウィンの結婚が決まった。そう聞かされたのはつい先日のことだ。


 リリアンにとってはまったく寝耳に水のことで、言われた瞬間は何を言われたのか全く理解できなかった。いや、言われた瞬間だけではなく今も理解できていない。


 自分と、エルウィンが、結婚? 何を言っているのか全く分からない。理解できる言語で喋ってほしい。


 結婚の話を持ってきたのは、いつも魔術の訓練をしてくれる教会の司祭だった。聖女だからと言って何も訓練しなくても癒しの魔術が使えるわけではない。そもそも聖女なんてものに選ばれるまで、リリアンは癒しの魔術なんてものはまったく触ったこともなかったのだ。


 そのため、王都に連れてこられた時から癒しの魔術の訓練をずっとしている。リリアンもエルウィンも戦闘のど素人だったから、一人前の勇者や聖女になるまでということで、毎日毎日来る日も来る日も訓練の日々だ。


 まったくもって自分で望んだものではないし、訓練もきついだけで欠片も楽しくない。だから訓練をしてくれる司祭だからといってリリアンは好感なんて持っていなかった。言葉や態度の端々から「田舎の小娘」とバカにしているような雰囲気が感じ取れて、むしろ嫌ってすらいたといえる。


 そんな司祭からいきなり結婚の話を聞かされたリリアンは、頭が真っ白になりながらも司祭に詰め寄った。


「私、故郷に恋人がいるって何度も言いましたよね? 恋人以外とは絶対に付き合わないし結婚もしないって。だから貴族の養子縁組も断って、ただのリリアンとして生きるって。どうしてそれがこうなるんですか?」

「歴代の文献を紐解くと、歴史の上では常に聖女と勇者は共にあったと語られている。ならば今代の聖女と勇者もその歴史の慣習に倣い、一緒になるのが務めというものだろう」

「顔も名前も知らない大昔の聖女と勇者の話が、どうして私に当てはめられなきゃいけないんですか?」

「それが教会の歴史だからだ」

「……くだらない」


 リリアンはそう吐き捨てて司祭の元を後にした。リリアンの捨て台詞に司祭が何かわめいているような気がしたが、知ったことか。


 リリアンは無視を決め込むと自分に与えられた部屋に戻った。


 それが先日結婚の話を伝えられた時の出来事で、そして今日。


 幼馴染が朝から自分の部屋で床に額を擦り付けているさまを見せつけられている。


「はぁ……ねぇ、エルウィン」

「はい!」

「朝から幼馴染が床に額を擦り付けているさまを見せつけられてる私の気持ち、考えたことある?」

「すみませんでしたぁ!」


 ガバッと上体を勢いよく上げるエルウィン。床とにらめっこしていたその視線がようやくこちらに向いてきて、リリアンはこれ見よがしにため息を吐いた。


「いや、でも、本当にごめんな、リリアン。俺にもっと力があればこんなことにはならなかったかもしれないのに」

「……教会の人間の様子を見るに、エルウィンがどんだけ頑張ったって関係なかったと思うわ。私とケー君の仲を引き裂こうともしてたみたいだし」


 先日部屋に戻ってから、リリアンはどうにも我慢ができなくて教会に赴くと片っ端から教会関係者に突っかかっていった。自分がこの結婚の決定にどれだけ不満を持っているかをさめざめと見せつけ、万が一にも翻意を促せないかという小さな試みだったが、その最中にある一つの事実を知ったのだ。


 愛しの恋人から手紙が届かなくなっていた。リリアンはとても寂しい思いを抱えながらも、ケー君も忙しいのだろうと自分を無理やり納得させて我慢をしてきた。遠い遠い恋人に会うことのできない寂しさを手紙に書き募り、何度も何度も手紙を故郷に送った。恋人からの返信はなかったが、自分の想いが届いているのならそれだけでもよいと思っていた。


 それが、どうしたことか。


 あろうことか教会の人間がリリアンの手紙を勝手に検閲し、代筆を生業とする人間にリリアンの字そっくりの字で手紙を書かせ、それを故郷に送っていた。そして恋人から送られてくる手紙は教会で勝手に処分していたというではないか。


 どんな手紙を送っていたか、中身まではそいつのあずかり知らぬところではあったが、どう考えたってろくでもないことに違いない。


 リリアンの怒りは爆発し、王城にほど近い場所に建てられていた大聖堂の礼拝堂は文字通りめちゃくちゃになった。椅子を吹き飛ばし、ステンドグラスを割り、「主」とやらを模した石造を叩き割った。しばらくはあそこで礼拝なんてできないであろう。むしろその程度の爆発で収めた自分を褒め称えたいくらいだ。


 普通の人間が大聖堂の礼拝堂をめちゃくちゃにしたら死罪確定だ。けれども、他でもない教会がその存在を大々的に宣伝している聖女がやらかした行為だ。聖女自体を教会が選ぶことはできない。聖女がいなくなって困るのはむしろ教会だ。


 だから起こした事象に比べて、リリアンに言い渡された沙汰は酷く大人しいものだった。礼拝堂をめちゃくちゃにしたことで謹慎を言い渡され、今日はこうして自室で大人しくしている。


 王都に連れてこられてからろくなことがない。訓練はきつくて苦しいだけだし、恋人には会えないし、自由に出歩くこともできない。


 貴族とも無理やり顔合わせをさせられるし、挙句の果てには恋人との仲を切り裂く卑怯な工作を受けている。これでどうしてリリアンが大人しく言うことを聞いて魔王討伐なんてしてくれると思えるのだろうか?


「――ともかく、どうにかしてケー君に連絡しなきゃ。まったく嬉しくないけど私たちって無駄に有名だから、私たちが結婚するなんて話すぐに広まっちゃうに決まってる。そんなのケー君が知ったらきっと泣いちゃうよ……ううん、泣くだけじゃ納まらないかもしれないし」

「そうだな……俺だってリリアンと結婚する気なんかさらさらないし。何とかしてケイにこのことを伝えなきゃな」

「私の手紙勝手に捏造してケー君に送ってたらしいし、こんな話ケー君の耳に入ったら絶対誤解されるに決まってる。私が今もこれからも好きなのはケー君だけなのに……」


 リリアンとエルウィン。二人で顔を突き合わせてどうしたらいいかを考える。


 魔術でどうにかしてケイと連絡を取るだの、今からでも伝書鳩をかっぱらってきて何とか本当のことを書いた手紙を送るだの、二人で適当な意見を出し合うがなかなか解決策が出てこない。


 うんうんとうなっても良い案がいきなり出てくるわけでもなく。元々リリアンもエルウィンもそこまで頭が良いという訳ではない。エルウィンは小さい頃の教会の課題の成績こそケイと同程度だったが、それ以外のの部分ではケイの方が頭が良いとわかっていた。リリアンに至ってはケイに勉強を教えてもらっていたレベルだ。


 ケイだって別に突出して頭がよかったわけでもないのに、そのケイより頭の出来が悪い二人が考えたところでよい案など出るはずがない。そう考えた二人は早々に考えるのを諦め、自分たちよりも頭のいい人間に頼ることにした。


「……お義兄にいさんはどこにいるかわかる?」

「今日は見かけてないけど……たぶん、税務室辺りで仕事してるんじゃないか?」


 そうエルウィンが答えた直後「お待ちください! 今中には婚約中のお二人がご歓談をされています!」なんて叫ぶリリアン付きのメイドの声を押し切って、リリアンの部屋に入ってくる人物が一人。


 それはつい先ほど話題に出した人物。自分たちの幼馴染の兄で、リリアンの恋人の兄でもある。将来の義理の兄。


 王城で仕事をするようになってからかけ始めた眼鏡を、中指でクイと持ち上げ位置を直す仕草がなんだか様になっている。


「お前たち、準備しろ」


 突然の義理の兄の乱入に顔を見合わせるリリアンとエルウィン。そんな二人にお構いなしに義理の兄は制止して来ようとしたメイドを追い出し、部屋に鍵をかける。


「この城から出て行くぞ」


 当然のように宣言する義兄に、突然のこと過ぎてなんだかよくわからないがとりあえず状況が変えられそうだと、リリアンとエルウィンの二人は歓声を上げるのだった。

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