第28話 監視下の久太郎

「あんな奴に情けをかけることはなかったんだよ。この私を罪人扱いにしたんだからさ」

 伴左衛門は今井へ向かう道すがら馬の背に揺られながら伸之介に文句を言う。

「すいません」

 素直に伸之介は謝った。


 先頭を行く元長が振り返る。

「伸之介が詫びを言う必要はないぞ。だいたい、あの宿の主に非があるのは事実だといえ、蔵の酒を勝手に飲む理由にはならないのだからな」

「それはそれとしてですね、こんな調子だと悪党どもが人の好い伸之介に集るんじゃないかと心配しているんです」


「その段で言えば、一番危ないのが伴左衛門だな」

「兄上。それは酷くないですか?」

「だいたい伴左衛門は飲み過ぎなんだよ。やってきたのが俺と伸之介だから良かったものの、あの状態で蔵に討ち入られたらどうするつもりだったんだ?」


「もちろん徹底抗戦しますよ」

「ほう。へろへろで酒樽に浸かっていたのかというような臭いを振りまいていた状態でか」

 2人の間の気圧が下がりつつあるが、伸之介は心配していない。


 元長と伴左衛門の言い合いは猫のじゃれ合いのようなものだと理解していた。

 それにこうやって口論する姿をまた目にすることができて良かったと心の底から思っている。

 何か運命が狂っていれば、この2人がお互いを非難する様を見られなくなっていたかもしれない。


 微笑ましい光景だという風情で自分たちを見ている伸之介に2人は同時に気が付く。

「なあ、伸之介。伴左衛門は飲み過ぎだと思うだろ?」

「兄上は少々生真面目すぎると思わないか?」

 仲良く2人だけで喧嘩していればいいものを伸之介を味方につけようとし始めた。

 

 半分は駄口というつもりなのかもしれないが、2人の視線は真剣である。

 それ視線を受け止めて慎之介は笑みを返した。

「そんなことより久太郎のことが気になります。僕、先に行きますね」

 この探索行ですっかり懐いた馬が伸之介の意を汲んで脚を速める。


 そんなことと一刀両断された兄2人も慌てて馬腹を蹴った。

「ほら見ろ。お前に愛想をつかしたんだぞ」

「いーえ、兄上が堅物なのに呆れたんです」

 この言葉を最後に2人は口論をやめる。


 しばらくして今井の町に入った3人はそのまま今井藩の陣屋を訪ねた。

 今井藩は所領が大きくは無いので城を有してはいない。

 代わりに街中に陣屋を構えて統治を行っていた。

 検非違使の制服に身を包んだ元長を先頭に3人に今井藩の藩士は丁重に対応をする。


「新庄殿については、当屋敷内にて静養頂いております。こちらへ」

「なに? それほどの重傷なのか?」

「怪我の数は多くござるが床に臥せってはおられません。百聞は一見にしかず。直接ご覧いただくが早かろうと存ずる」


 馬を預けて庭を突っ切り、陣屋の敷地内の静かな一角に立っている離れに案内された。

 早く会いたかろうと気を利かせたのか、庭先に回される。

「兄者。伸之介、伴左衛門」

 久太郎の元気な声がした。

「私が最後なのか」

 伴左衛門は小さな声でぼやくが久太郎の耳には届かない。


 庭先から座敷を見ればあちこちに包帯がまかれ、膏薬が貼られている久太郎が脇息に寄りかかって座っている。

 小娘が横にちょこんと座って食事の世話をしているようだった。

「随分と怪我をしたみたいだな」

 縁側に腰を下ろした元長が問いかける。


「ああ。兄者。大した怪我じゃないんですよ。ほとんどかすり傷のようなものばかりで。でも、ここの人たちは安静にしてなさいって出立を許してくれないんです。兄者からも俺が平気だって言ってくださいよ」

 久太郎は身じろぎするが、それを横にいる小娘が制止しようとした。


 元長の顔に笑みが浮かぶ。

「そこの娘さんの様子だとすごい重傷のように見えるぞ」

「勘弁してください。あんな奴らに後れを取るわけないでしょう?」

 実際のところ圧倒的な膂力であぶれ者たちを蹂躙していた。

 ただ、体が大きいのが災いして、久太郎は投げつけられたものが命中しやすい。

 そのため、あちこちに多くの打撲や切り傷ができている。


 売られた喧嘩に完勝した後、今井藩の役人は辞を低くして、検非違使の狩衣姿をしている久太郎への事情聴取を行った。

 早々に久太郎に非はないことが確認でき、医者が呼ばれてきて久太郎の診察をする。

 そして念のために2、3日は様子を見た方がいいということになった。


 久太郎としてはすぐに元長たちの後を追いたいところだったが、医者が厳しく止めた上に、常に誰かが側についているようになる。

 これが居丈高に命じられたのなら久太郎も無視するか反発しただろうが、誠実そうな娘が懇願するため大人しく従っていた。

 目に涙をためて説得されれば、力づくで出ていくわけにもいかない。

 こうして今井藩の陣屋に足止めされていたのである。


 無事が確認できたので元長は今井藩の役人に話をつけた。

 ようやく自由を取り戻した久太郎は伸びをする。

 だいぶ日も傾いていたので、今井藩の厚意に甘え、その日は離れに4人で泊めさせてもらうことにした。

 お互いの身の上に起きたことを教えあう。

 その日は夜遅くまで語り合う声が離れから聞こえていた。


 ***


 同じころ、鈴木甚内を使って蜂矢藩を陥れようとしていた黒幕の男は続報を前に渋い顔をしている。

 黒羽組は叩きのめされたうえに主だったものは怒った今井藩主の命で捕縛され、恐らく遠島となる見込みであった。


 伴左衛門を贋金使いだと吹き込んだ者は今井藩から追われており、当面はもう使うことができない。

 直接襲撃した者と甚内に付けていた牢人5名は全員死亡していた。

 金で雇ったものばかりではあるが手足が減ったのは間違いない。

 今後いろいろな企ての実行に支障が出るのは免れえなかった。

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