第27話 伴左衛門の災難

「ああ、ああ。一昨夜にお泊りになった方ではございませんか。どうか私をお助けください」

 宿の主は元長にすがりつく。

「まずは俺の連れがどうなったのか話すんだ」


「それでございますよ。お連れ様が私の困りごとでして」

 元長の顔が険しくなった。

「それは聞き捨てならんな。伴左衛門が困りごとだと? そんなことよりもあいつは無事なのか?」


「伴左衛門様と仰るのですね。無事は無事なんだと思いますよ。怪我はされているようですが」

「はっきりせん奴だな。怪我をしているかしていないかも分からないのか? まさか医者も呼んでいないのか?」

「いいえ。もちろんお呼びしましたよ。しかし、あの方が診察をさせてくださりません。医者どころか誰も中に入れて下さらないので一体どうなっているのやら」


「で、一体どこにいるんだ?」

「直接ご覧いただいた方が早いと思います」

 宿の主は先に乗馬を厩に預けるように提案するが伸之介が断る。

「馬に何かしようと企む下男がいるんじゃおちおち預けられないよね」

 その発言に主の顔は真っ青になった。


「それは私もあずかり知らないことでして……」

「ふーん。まあ、いいや。次に何かあったら容赦しないからね」

 宿の主は番頭を呼びつけて直々に馬の世話をするように命じる。

 それから、母屋を回って裏手にある蔵のところに元長と伸之介を案内した。


「なんだ? 伴左衛門を蔵なんかに閉じ込めているのか?」

 元長が呆れた声を出すとしどろもどろになる。

「いえ。伴左衛門さまが戦いながら自分でお入りなったんです。無理に入ろうとすると短筒を撃ち放つと脅されて側にいくこともできません。あの中にはお客様にお出しする米俵や酒樽を保管してあるんですが、それを運び出すこともできず困っております」


 蔵の前まで行くと漆喰を塗り固めた観音開きの扉は開け放たれていた。

「なるほどな。よし、俺が呼びかけてみてやろう。おい、伴左衛門。俺だ」

 元長が大きな声を出すが引き戸の中から返事は聞こえない。

「まさか……。いや、どちらかというと……」

 独り言を漏らすと元長は引き戸に手をかけた。

「おい、開けるぞ」


 しかし、元長が力をこめても引き戸は中からしんばり棒でもかってあるのか動かない。

 元長は引き戸の隙間から再度大きな声をかけた。

「おい。俺だ。元長だ。いい加減にしろ」

 

 ようやく、中から微かな声が聞こえる。

 少し待っていると人が近づく気配がして、がたっと音がした。

 今度は戸を引くと動く。

 元長と伸之介が中に入ると、外からの光の中に幽鬼のような姿が浮かび上がった。

 伴左衛門の形をしたものはふらふらと揺れている。


「兄上。なにをそんなにぐらぐらと揺れているんです?」

 伴左衛門からは強烈な酒の香りがした。

 やれやれと元長は首を振る。

「揺れているのはお前だ。一体どれだけ飲んだんだ?」


 伴左衛門は口からも酒臭い息を吐いた。

「さあ? 一斗樽をいくつか開けましたけど、全部は飲んじゃいませんよ。兄上も一献いかがです?」

 元長の後ろに伸之介の姿を見出すと伴左衛門は花のような笑みを浮かべる。

「あ、伸之介じゃないか。お前もつきあえ」


 伸之介は酒の臭いに顔をしかめて、伴左衛門に白い目を向けた。

 その表情に伴左衛門はショックを受けた顔になり、よろけて元長に掴まる。

「兄上。伸之介が私のことを睨んできます。昨日まではあんなに可愛らしかったのに」


 恨めしそうな顔はまるで徒し男に振られた女性のようであった。

 元長はぼうっとした顔をしている宿の主に命令する。

「部屋を1つ開けてもらおうか。それと清水を1升と着替えも頼む。それと粥を炊いてくれ」


 1刻ほどのち、座敷で平素と変わらぬ顔つきの伴左衛門が端然と座っていた。

 この間にお互いの情報交換は終わっている。

 一昨年の朝、伴左衛門は贋金を使ったとの嫌疑を受け、とっさに財布を放り出すと打ちかかってきた捕り手に威嚇射撃をしていた。


 相手が怯んだ隙に帳場の裏から外に逃れたものの、脱出路を塞がれたことで伴左衛門は蔵に立て籠もる。

 そうこうするうちに捕り手の数が減って、宿の者しかいなくなった。

 外から事情を説明した主の説明によれば贋金を使った疑いが晴れたらしい。

 どうか出てきてくださいと頼まれたものの疑いをかけたことに対する謝罪がなく腹を立ててずっと引きこもっていたということだった。


「主ときたら、役人に私が贋金使いの一味だと言われたので自分に責任はないと言い張るんだ。少し無責任だとは思わないか?」

「まあ、名誉の問題でもあるからな。だが、それで酒を喰らっていたことの説明にはならないだろう」

「閉じこもったはいいが、他にすることはないし、生米があっても食えないからな。となれば酒でも飲んで兄上が戻ってくるのを待つしかないと思ったんですよ」


 そこへ宿の主がやってきて畳に額を擦りつける。

「伴左衛門さまが贋金を使ったと申し上げた非礼はこの通りお詫び申し上げます。ただ、私は単なる宿屋の主。お役人様がそう言われるのを否定できる立場にないことご理解くださいませんか」


 伴左衛門はうんうんと頷いた。

「最初からそう言えばいいんだ。で、そうやって詫びているのは、俺が飲んだ酒代が欲しいということなのだな?」

「いえ、その、はい。有体に申し上げれば、お支払い頂ければ幸甚にございます」


「俺が放り投げた財布の中身はどうした?」

「お預かりしております」

「宿代を払ってまだ釣りがあるはずだ。財布ごと取っておけ」

 主は泣き笑いの顔になる。


「恐れながら、酒代にはとうてい足りません。私に哀れをおかけくださいませんか?」

 見かねた伸之介が1両を懐紙にくるんで滑らせると、宿の主は伸之介のことを菩薩様のように心の広い方だと伏し拝むのだった。


 

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