第20話 元長の推理

「さて、慌ただしいが、仕事に戻ろう。とりあえず、奈良方面に出立する」

 伴左衛門が代金を払うと全員騎乗してゆっくりと進み始める。

「あの場だとおかみが聞いているかもしれないからな。で、俺は3人の話を聞いて考えたんだが、下手人と一緒にいた2人は仲間ではないと思う。そして、その2人と辻売りのおやじは繋がっている。その目的は下手人を都合のいい場所で俺たちに捕まえさせることだ」


「兄上。私たちと頭の出来が違うのは知っていますけど、あまりに突拍子がなさ過ぎて理解できません。捕まえさせるならさっさと突き出すなりなんなりすればいいでしょう」

「それでは一件落着してしまう。そうなっては困るから、こんな面倒なことをしているんだ。では順に説明しよう」


 元長は握り拳を作り指を1本立てた。

「下手人はあくまで個人的な理由で御所を襲撃した。根拠は立ち会った伸之介の感じた印象だ。ただ、俺は正しいと思うが決定的な証拠はない。いずれにせよその下手人の逃走を手助けする別の勢力がいる」


 元長の指が2本になる。

「そいつはかなりの力を持っている。自然な形で俺たちに下手人の行き先が伝わるように辻売りを仕立てるなど手が込んでいるからな。そして、途中で酒を飲ませるなどして馬であれば追いつける速度で下手人を一路南へと逃がしている」


 指を3本に増やした。

「たぶん、この追跡途中で妨害が入るだろう。でも下手人は最終的に伊勢国までは逃れ、そこで瀕死の状態で検非違使に捕縛されるのさ。あと一歩で多気にある蜂矢家領に入るところでな」

 伴左衛門は顔をしかめる。

「つまり、蜂矢家が御所襲撃を企てたと疑われるようにすると」


「そんなことになったら改易もありえます。蜂矢家も黙っちゃいないでしょう」

 久太郎が難しい顔をすると元長は同意する。

「その通りだ。身に覚えのない御所襲撃の罪の上に、その下手人を捕らえたのが我らでは収まりがつかんだろう。蜂矢図書頭はまだ若いし、暴発するかもしれないな。そこが下手人を連れ回している連中の狙いだろう」


「……兄上。そうすると、御所襲撃は最初から仕組まれたものだったんですか?」

「その可能性も否定できない。それを指嗾した黒幕はいたかもしれない。だが襲撃自体は雑だ。起きた事件を奇貨として組み立てたとみるべきだろう。で、ここからが大事な話になる。この推論に従って進むと無駄足を踏むことなく正しい道で距離が稼げてしまう。それだと目的地の手前で追いついてしまうはずだ。その場合、おそらく俺たちは襲撃を受ける」


 元長は自分の発言が浸透するのを待とうとしたが、すぐに返事が返ってきた。

「兄上の推論が正しいか早く確認しに行きましょう。私は間違っているに清酒5合を賭けますよ」

「兄者。腕がなりますね。そうそう、伊勢には美味い餅菓子が多くあるそうです」


 この2人にしてみれば、下手人を追うだけなど退屈すぎるくらいである。

 むしろ、どんな仕掛けでくるか楽しみなぐらいであった。

「私も覚悟はできています」

 少し遅れて伸之介が返事をする。

 元長は笑みを浮かべた。


「意見の一致をみたな。これはめでたい。では少し急ごうか。抜かるなよ」

 速度を速めた一行は昼前には奈良につく。

 ここまでは事実上一本道であった。

 この先道は3方向に別れる。

 真っすぐ進めば今井へ、西に曲がれば和泉国へ、東へ曲がれば伊賀へと通じた。


 伊勢国に向かうには伊賀を通って安濃津へ入る方法もある。

 しかし、伊賀も安濃津も織田家直轄の天領であり、詮議が厳しい。

 人相書きの写しも送られていて、このルートを使った場合、下手人と露見する危険性が高かった。

 このため、蜂矢家領に向かわせるのであれば、今井から伊勢本街道で直接多気に出るコースを使うと予想できる。

 4人は迷わずそのまま南へと進路を取った。


 最初の事件は休憩を兼ねて今井の茶店で、葛餅を食べているときに発生する。

「ほら、これが本物の吉野の葛です。やはり味が違いますね。甘葛の淡泊な蜜と良く合うでしょう」

 久太郎はご機嫌だった。

 元長と伴左衛門は違いが分からないが、折角の気分に水を差すような真似はしない。

「初めて食べましたが、これは美味しいですね」

 伸之介が応じたところに、耳障りな声が響く。


「大の大人が女子供のようにそんなもの食ってやがるぜ」

 10人ばかりの着物の前をはだけた男たちが路上にいた。

 相手にしないでいると先頭の頬に傷のある男がパッと地面の砂を蹴り上げる。

 久太郎はとっさに袖で庇おうとするが、葛餅の皿に砂がかかった。

 表情がみるみるうちに急変する。


 久太郎は気は優しくて力持ちを体現するタイプであり、滅多に怒ることはなかった。

 ただし、食べ物、特に甘い物を粗末にする人間は絶対に許さない。

 ゆらりと立ちあがった久太郎を見て、元長は伸之介をせき立てて席を立った。


「行こう」

「え? いいんですか?」

 置いていこうとすることに伸之介は戸惑いの声をあげる。

「ああなったら、誰にも止められない。ここの藩の役人が来る前に出立する」

 元長たち3人が馬上の人となる前に、既に路上には手足が折れた破落戸が数人転がっていた。

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