第18話 疑惑

「それでどうするのです、兄上。久太郎の舌を信じてあのおやじをひっくくりますか?」

「それもちょっと性急すぎるな。もう少し情報を集めたい」

「では見張りますか? ちと我らは目立ちますが」


「見張りは伸之介にお願いしよう。やってくれるな?」

「分かりました。それで元長さんたちは?」

「人を集めておく。もし、あのおやじが嘘をついているとすれば、俺たちの目を南に向けさせたいということになる。一旦は派手に宇治の方へと移動をしてみせる必要があるかもしれないな」


 元長たちと別れると伸之介は大きくぐるっと街区を回って、辻売りのおやじを監視できる位置に移動する。

 朝晩は涼を感じられる季節になってきたといっても、あくまで日中に比べればの話であった。

 今夜は風もなく、まだまだ昼間の蒸し暑さが残っている。


 にゃーお。

 見張りをしている伸之介の背後で猫の鳴き声がした。

 それから近くに人が寄ってくる気配がする。

「親分。お疲れ様です。おいらが見張っていますんで少し休んでください」

 

 伸之介の初見回りということで、次郎吉も張り切っていた。

 自分の子分ともいえる子供たちを動員して伸之介の手足のように動いている。

 先ほどの猫の鳴き声も次郎吉の鳴きまねであった。

 不用意に伸之介に近づくといきなり斬られかねないので、事前に合図を送ることになっている。


「大丈夫だよ。まだ見張りを始めたばかりだから」

「でも、大将というのはどーんと構えているもんらしいですよ」

「誰から聞いたの、そんなこと」

「辻講釈からの受け売りです」

「そうか。でも、僕は大将じゃないよ。それは元長さんだから」

「おいらの大将は親分さ」


 伸之介はあくまで自分で見張りをするというのは譲らなかったが、それでも次郎吉の存在はありがたかった。

 常に動きがあるわけではない辻売りの見張りは退屈だったので、時折話をするだけで気分が紛れる。


「そういえば、御所を騒がせた下手人で捕まった方のは何者だったんです?」

にやられて自分がもう誰かも分からないらしい。きっと逃げた男に嘘偽りの身分を吹き込まれたんだろうね」

「それじゃあ、もう一人を取っ捕まえないことには何も分からないということですか?」


「そういうことだね。だから、あの人相書きの男を必死になって追っているんだ」

「で、あのジイさんがその手掛かりを持っているってわけですね」

「そういうこと」

「そいつは気合を入れなきゃ。おいらに任せてください」


 実際上も伸之介一人ではないということは何かと便利だった。

 長時間見張りをしていれば、喉も渇けば小腹も空くのだが、その度に次郎吉がどこからともなく、竹筒に入った水や腹の足しになりそうなものを持ってくる。

 また、ちょっとはばかりに行きたいときも代わりに見張ってもらうことができた。


 さらに次郎吉は複数の子分を使うことで、辻売りと接触があったお客さん全員を尾行して住処をつきとめるということまでしている。

 客の行き先を見届けるとその度に次郎吉のところへやってきて、人相風体とともに報告した。

 それを伸之介は矢立から取り出した筆で反故紙に書きつける。


 そこまで綿密にする必要はないし、通常ならば手が回らないのだが、何しろ次郎吉は張り切っていた。

 橋の下などで寝泊まりしている者は少なくなく、それを自在に使えるというのは大きい。


 夜半を過ぎて人通りが極端に少なくなると辻売りの数は減って、葛饅頭を売っていたおやじも店じまいをする。

 屋台の真ん中にある天秤棒を肩に担ぐとひょこひょこと移動を始めた。

 その後ろを伸之介は物陰に隠れながらついていく。

 何か緊迫する事態が起きないかという期待に反して、おやじは一軒の長屋に消えた。


 しばらく動きがないか見張っていたが、どうやらおやじは寝てしまったようで何も動きはない。

 辻売りのおやじが帰宅したら一度検非違使庁へ戻るように言われていた伸之介はその指示に従うことにした。

 次郎吉は念のために子分を2人その場に残すと伸之介についていく。


 門のところで待っていた伴左衛門が温かく伸之介を出迎えた。

「初めてのことだし慣れない見張りで疲れただろう」

「いえ、実際に駆けずり回ったのは次郎吉ですし」

「伸之介さんの忠臣というわけだ。大したもんだな。次郎吉。ご苦労だったね。中に入って腹ごしらえをしていきな」


 かがり火が焚かれている横手に回らせると縁側で、伴左衛門は次郎吉に梅干し入りの湯漬けを振る舞う。

 伸之介はその間に、反故紙に書きつけた内容を報告した。

 すべてを聞き終わると元長は目をつぶって考える。 


「あのおやじは怪しい。だが、俺たちを南に向かわせようという意図が分からんな」

「目くらましでは?」

「ならば都から動かないのが正解だが、逆にそれを狙っているのかもしれない。それはそれで何も状況が変わらん。ここは我らだけで敢えて相手の策に乗ってみよう」

 元長は決断すると伸之介に優しい目を向けた。


「せっかく伸之介に探ってもらっておいて悪いな」

「いえ、むしろ何も探り出せず申し訳ありません」

「なに、見張りとはそういうものだ。気負いすぎて暴走するよりはよほどいい。明日は早朝に発つ。少し休んでおきなさい」

 宿坊に案内された伸之介は布団に横になった瞬間に眠りに落ちていた。

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