第9話 翌朝

 翌朝、伸之介はひどい頭痛と共に目を覚ます。

「お早う」

 声の方を見れば、端然と座った伴左衛門が一人手酌で飲んでいた。

 伸之介が体を起こすと伴左衛門は笑みを浮かべて手招きする。

 障子から漏れる外の明かりを背にしてこぼれるような色気を振りまいていた。


 伸之介が近くに寄ると伴左衛門は今まで手にしていた盃を空け、新たな酒を満たして差し出してくる。

「寝起きの一献いかが?」

「あ、いえ……」

 伸之介は力なく断った。


「いけずやねえ」

 つまらなそうに伴左衛門は盃を引き寄せて飲む。

「せめて注いでもらってもいいかな?」

 それには取り合わず、伸之介は周囲を見回した。

「二人はどけ行ったと?」


 ほっと寂しげなため息を漏らすと伴左衛門は手酌でまたもう一杯飲む。

「朝湯に行った。兄者は昨夜風呂に入れていないからね。久太郎は私に付き合わされるのが嫌になったみたい」

 伸之介は二人きりということに身震いした。


 昨夜の記憶が鮮明に蘇る。

 もう飲めないという伸之介に絡んで伴左衛門はしつこく相伴するように誘った。

 散々飲まされた結果が今朝の頭痛となっている。

 それでも十年来の友人のように色々と話ができたのは良かったと伸之介は思っていた。

 

 酔いのせいで遠慮がなくなったせいか、素面では聞けないこともいくつか聞けている。

 元長が雪のように白い髪の毛をしているのは子供の頃に大病を患って生死の境を3日3晩彷徨った結果だし、久太郎が稲の穂のような髪色をしているのは、母親の血を引いたからということも知った。


 伸之介はそわそわとする。

 伴左衛門と二人きりというのがどうにも落ち着かなかった。

 昨夜一緒に風呂に入ったから間違いなく男だと知っているのだが、こうして物憂げにしているとたおやかな美女と一緒にいるのではないかとの疑念が晴れない。

 襖が開いて元長と久太郎が入ってくると心の中で安堵の吐息を漏らした。

 

「お、目が覚めたか。早速伴左衛門の餌食となっているとは気の毒に」

「兄者。だから起こして連れて行きましょうと言ったんですよ」

「でも気持ちよさそうに寝ていたからなあ」

 そんな軽口を叩き合う二人に伸之介は手をついて起床の挨拶をする。


 元長は手を振った。

「おいおい。もう一緒に飯を食って酒を飲み、同じ床で寝た仲じゃないか。そういう他人行儀はやめてくれ」

 それを聞いた伴左衛門は含み笑いをする。

「兄上。その言い方だと誤解を受けそうですよ。それでは可愛い子兎が悪い我らにとって食われたと思われるやもしれません」


「そう思いたい奴には思わせておけばいいんだ」

「そうは言っても伸之介は恥ずかしいようですよ」

 伴左衛門が指摘するように伸之介は耳の付け根まで赤くなっていた。

 酒の席での話として男色や稚児の話を聞かされて、新しい世界を知っている。

 そして、自分もそういう対象として見られているということも聞かされていた。

 そういう相手として最適な年齢が16歳という余計な知識も得ている。


「そうか。伸之介にはまだ刺激が強かったか」

「子どん扱いはよしたもんせ」

 伸之介が頬を膨らませると元長はにやりとした笑みを浮かべた。

「そう、その顔だ。そういうのに心惹かれるのが多いんだよ」


 そこへ襖の外から声がする。

「朝餉が届いておりますが、お出ししてもよろしいでしょうか?」

「ああ。支度してくれ」

 襖が開け放たれて膳が運ばれてきた。


 夜とは異なり朝はシンブルである。

 白がゆと香の物、それに大根と青菜の御御御付だけだった。

 それでも白がゆは大きな土鍋ごと運ばれてきてたっぷりと量がある。

 朝食を食べているうちに伸之介の酔いも抜けてきた。

 茶まで喫し終えると部屋に着替えが運ばれてくる。

 昨日伸之介の着ていたものも埃を落として綺麗に洗われていた。

 

 手洗いをすませると、4人はそれぞれの衣装へと着替える。

 3人が狩衣姿となり検非違使然とすると伸之介はため息をついた。

 今朝までの酔態が嘘のようにしゃきっとした伴左衛門が笑みを向ける。

「どうしたのです。朝から辛気臭いため息など。若者らしくないですよ」


「すっかり、そんつもりでおったば、まだ衛士になっちょらんじゃったんじゃなって」

「心配しなくても大丈夫ですよ。昨日見せてもらった腕前があれば採用間違いないでしょう」

 伴左衛門が言うと、久太郎も体の全身を使って大きく頷いた。

「ああ。その通りだ。そんな顔をせずに胸を張っていけ」

 元長も太鼓判を押す。


 伸之介は憂い顔を解くと頭をかいた。

「そうやった。全力を尽くしてきば」

 茶屋を出ると途中まで同道する。

 烏丸小路と丸太町通りが交わるところまでくると3人は慎之介にしばしの別れを告げた。


「結果の如何にかかわらず、選抜が終わったら一度検非違使庁を訪ねてくるといい」

「兄上。その言い方はどうなんです? そこは合格したらと言うところでしょう」

「世の中には万が一ということもある。そんなときでもだな、一緒に善後策を考えようと……」

「はい、はい」


 伴左衛門は元長に背を向けると伸之介に向けて艶やかな笑みを浮かべる。

 それを目撃した数名の女性が心の臓の発作を起こしかけたが当人は気づいていない。

「私は伸之介の合格を信じている。一緒に働けることを楽しみにしているよ」

「頑張れ」

 久太郎は短く言うとばんばんと伸之介の肩を叩いた。

 元長は片手を挙げる。


 伸之介は頭を下げた。

いたっきもんでいってきます

 顔を上げると胸を張って法相寺へと足を向ける。

 その後姿を見送った3人は検非違使庁へと歩き出した。

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