第8話 お茶屋
その後到着した元長と連れだって4人は茶屋に出かける。
途上で伸之介は持ち合わせがほとんどないことを告げた。
その伸之介は粋な小袖に身を包んでいる。
ぱっと見には分からないが小紋に桔梗柄が散らしてあって涼しげだった。
もちろん、こんなものを伸之介は持っておらず、風呂屋の石川屋の貸衣装である。
浴衣から元の自分の服に着替えようとしたが見つからず、伴左衛門が見立てて着せていた。
伴左衛門が着せ替えを楽しんだので結構時間がかかっている。
その最中、伴左衛門はかなりご機嫌だった。
風呂代もないぐらいなのに、これ以上は迷惑をかけられないというのに対して、元長は伸之介の肩を抱く。
「伸之介さん。検非違使になりたいのだろう? 採用されれば我らは朋輩だ。これはいわば前祝いのようなもの。そういう場では先輩が後進の面倒を見ることになっているんだ。まさか、その機会を奪おうというんじゃあるまいね。それにもう4人分の仕出しを頼んであるんだ。無駄にすることはあるまいよ」
横から伴左衛門も口を添えた。
「これから共に肩を並べて働くんです。同じ釜の飯を食べてこそ、いざというときに呼吸も合って立派な働きができるというものさ。それに兄上は今宵のことを別当殿に報告してからわざわざ駆けつけたんだ。ここは兄上の顔を立てると思って」
久太郎も言葉少なながらかき口説く。
「俺もまだ話足りないけん。ぜひ」
そうまで言われては伸之介も断り切れなかった。
実際のところ、ここで放り出されては夜が明けるまで、どこで過ごせばいいのかの思案もない。
そもそも、自分が京の都のどのあたりにいるのかすら分からなかった。
金が入った時は必ず今日の礼をするということで最後には折れる。
茶屋に入ると店の主が丁寧に出迎えた。
「これはこれは細川様、お待ち申し上げておりました。ささ、こちらへ」
通されたのは川のせせらぎが聞こえる心地よげな座敷である。
すぐに膳も運ばれてきた。
膳の上には伸之介が初めてみるような料理が並んでいる。
鮒の甘露煮、かまぼこ、鶉の団子、鯉の洗い、煮卵の椀。
横に座った酌をする小女の説明を聞いても、伸之介には食べてみるまではどんな味がするのか分からない。
盛りつけられている器も美しく彩色されたものであり、目でも楽しめるようになっている。
小女が銚子を取り上げて伸之介に酒を勧めた。
盃に注がれたものをしげしげと眺めて、顔に近づけ匂いを嗅いでみる。
元服を済ませているものの、伸之介はまだほとんど飲酒をしたことがなかった。
ちろりと舐めて杯を置く。
「どうしたの? お酒は飲めない?」
着流し姿の伴左衛門が伸之介に尋ねた。
まだ少し濡れたままの髪が艶めいており、油断すると女性かと見間違えてしまいそうな佇まいをしている。
「姉にお酒はあまり飲まんごつ言われちょっで」
伴左衛門はつまらなそうな顔をした。
「そうですか。肥後生まれなら、いい酒の相手ができたと期待していたのですが、無理強いしてもいけませんね」
横から久太郎が嬉しそうな声を出す。
「それなら、俺と一緒だ。お姉さん。同じものを彼に」
ことりと置かれた湯呑を伸之介が手にすると爽やかな匂いがした。
「砂糖入りの生姜湯だよ」
久太郎は自分の湯呑を取り上げて飲んでみせる。
伸之介が口を付けるとすっきりとした生姜の味とかすかな甘みが口に広がった。
食事をしながら、話題は自然と夕刻の喧嘩のことになった。
伸之介は3人の腕前に感心したということを告げる。
世辞ではなく、あのような凄腕の者がいる検非違使になりたいという念がますます強くなったというようなことを言った。
それに対して3人は伸之介の身軽さを誉めそやす。
生姜湯が入って口が軽くなったわけではないだろうが、久太郎が面白おかしく京都所司代の同心たちの真似をする。
それを見て伸之介は笑い転げた。
ひとしきり本日の各人の活躍の話をした後で、伴左衛門は小女を下がらせてから元長に尋ねる。
「それで別当殿はなんと仰っていたのですか?」
「あまりやり過ぎないようにとお小言を頂いたが、本音ではよくやったという感じだったと思う。明日参内して報告してくださるそうだ」
「そうですか。お叱りを受けたのでなければ良かったです」
「伸之介さん。今の発言を聞いたかい? 伴左衛門は嫌な役目を私に押し付けるために、伸之介さんを探しに行くと志願したんだよ」
「兄上、それを本人に言いますか?」
「別に構わないだろ。事実なんだし」
「理由はなんであれ、助かりもした」
伸之介は座布団から降りると折り目正しく体を折った。
「ほら、余計なことを言うから伸之介さんが恐縮してしまったではないですか」
伴左衛門が唇を尖らせる。
「俺が悪いのか?」
「まあまあ」
久太郎が間に入りつつ、伸之介を助け起こした。
いいタイミングだと伸之介は気になっていたことを質問をする。
「あまり遅うなってはご迷惑じゃなかと?」
少し酔いが回ったのか頬にぽっと紅色が浮かんだ伴左衛門が手を打った。
「帰りのことね。ああ、茶屋のことを知らないよね。心配しなくても大丈夫。今夜はこのままここで雑魚寝だから」
驚き目を丸くする伸之介に元長が説明する。
「茶屋はそういうところなんだよ。場所を貸す商売なんだ。だから気にしなくていい」
「とういうことで、伸之介さん、気兼ねなく飲もう」
先ほどの自分の発言を棚に上げて、お銚子と杯を持った伴左衛門が伸之介の横にぺたんと座った。
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