第6話 門限

 辺りが暗くなると伸之介の高揚した気分が急速にしぼむ。

「あ」

 声を漏らすとせき込んで尋ねた。

「法相寺はどこと?」


 伴左衛門が道筋を教えると伸之介はぴょこんと頭を下げる。

「助けて頂きあいがともしゃげもしたありがとうございました

 踵を返して走り出すとするのを元長が制止した。

 切られた狩衣の袖を検分していた久太郎がひょいと手を伸ばして襟首を捕まえようとする。


 その下をかいくぐって伸之介は走り去った。

 久太郎は猫に手を伸ばしたらビシと叩かれたような顔をする。

 その様子を見て伴左衛門は忍び笑いをした。

「まるで猫のようなやつだな」


 空を切った大きな手を眺めながら久太郎はぱちぱちと目をしばたく。

「指はかかったんだがなあ。思った以上にすばしこい」

 腕を組んで伸之介が走り去っていった方を見ていた元長が長い息を吐いた。

「この顛末を別当殿に報告しなければならないが、さりとて、あの若者も捨て置けないな。法相寺はもう閉まっているだろう。あの様子では今宵の宿の当ても路銀も無さそうだ」


「ここは二手に分かれるしかないでしょう。兄者は別当殿のところへ。私と久太郎はあの者を追いかけます」

 伴左衛門が言うと元長は苦笑する。

「俺に面倒事を押し付けるつもりだな」

「いえいえ、けしてそのような」

「分かった。ではそうしよう。落ち合う先は……」

「石川屋にしましょう。あの者は少し旅の汚れを落とした方がいい」

「では、俺も後から行く」


 伴左衛門が久太郎を連れて北に駆けていくと、元長は十葉菊の紋がついた弓張提灯にもらい火をして灯し西へと足を向ける。

 同心たちはようやく起き上がると地団太を踏んで悔しがった。

 一人になった元長を追おうという意見も出たが、さすがに理性が働く。

 仮に仕返しをしたところで8対1となれば外聞が悪いし、返り討ちにでもなれば恥の上塗りだった。

 同心たちはお互いを労わりながら南に向けて歩き始める。


 その頃、伸之介は教えられたとおりに道を進んで、法相寺に向かっていた。

 無情にも太陽は西の稜線に姿を消して辺りには闇の帳が下り始める。

 ようやく法相寺にたどり着いたときには寺の門は固く閉まっていた。

 門の脇のくぐり戸をほとほとと叩くと中から小僧の声がする。


「なんの御用でしょうか?」

「検非違使の申し込みけ来た」

「本日はもう終わりました。お役人も帰られてますし、また明日お越しください」

 では宿を借りたいと頼んだが、申し訳ないが無理だと断られてしまった。


こんたまじこれはまずいことになった」

 独り言を漏らすと伸之介はしゃがみ込んでしまう。

 なんとか気力でここまでやってきたものの、目的を果たせなかったことでどっと疲労を感じた。


 そこへ薄暗がりの中を駆けてくる足音がする。

 先ほどの京都所司代の同心が夜になったのをいいことに再び捕らえに来たのかと伸之介は考えた。

 綿のように疲れた体を鼓舞して立ち上がる。

 逃げようにもどこへ逃げていいのか分からず追手を待ち受けた。


 夜空に浮かび上がる人影は想像していたよりもずっと高い。

「ああ。ここに居た」

 低い声は先ほど肩を並べて戦った久太郎という大男のものであると気づいて少し安堵する。

 しかし、わざわざ追いかけてきた理由が分からず完全に気を緩めることはできなかった。


「ないか用じゃしか?」

 問いかけてみるが久太郎から返事はない。

 また足音がして声が聞こえる。

「久太郎。一人で先に行かないでください。あなたほど脚が長くないのですから。ああ、見つけたのですね」


 伸之介は今度は伴左衛門に向けて何か用かと尋ねた。

「兄上があなたが困っているだろうからと追いかけるように言われたんですよ。今から行っても間に合わないと声をかけたのに鉄砲玉のようにすっ飛んでいくんですから。さあ、一緒についてきてください」


「ないごてそこまで面倒をみてくるっと?」

「さあ、分かりません」

「わからんとに?」

「私たちは兄上が頼んだから引き受けたまでのこと。まあ、袖振り合うも他生の縁と言うでしょう。少なくとも私たちと一緒にいれば捕まることはないですよ」


 伴左衛門が伸之介と話をしている間に、久太郎は火打金と火打石を打ち合わせて提灯に火を灯している。

「先ほどの連中が仕返しに来るかもしれませんが、それにしても私たちと一緒の方がいいでしょう」


 しばらく伸之介は考えていたが、とりあえず二人を信用することに決めた。

 ここまで親切にしてもらう理由はわからないものの、自分が憧れていた検非違使の狩衣を着用している。

 伴左衛門はつかみどころがないところがあるが、久太郎は大きな体に似合わぬ純真そうな目をしていた。


「よろしゅう頼みあげもす」

 そう告げると伴左衛門は微笑を浮かべ、久太郎は明らかに嬉しそうな顔をする。

「私は浅香伴左衛門、あちらは新庄久太郎です。お名前を伺っても?」

「高橋伸之介じゃ」

「そうですか。では、慎之介さん、行きましょうか」

 提灯を持った久太郎を先頭に3人は歩き出した。


どけ行っとなどこへいくのか?」

 伸之介の質問に伴左衛門が振り返って笑みを浮かべる。

「石川屋です。今の伸之介さんに一番必要なところですよ」

 飯屋かなにかと一人合点をして伸之介は顔を綻ばせた。

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