第4話 花の三人衆

「待てい!」

 3人組は袴の股立ちを取ると伸之介を追いかけ始める。

 普段だったら伸之介がぶっちぎりで逃げ切っただろうが、今日は空腹だった。

 昨日の昼に粥をすすって以来何も口にしていない。

 武士は食わねど高楊枝というが、腹が減っては戦ができぬのだった。


 家路を急ぐ町の人々が捕り物に目をやって足を止める。

 どんな凶悪犯を追いかけているのかと見れば、まだ頑是ない子供を大の大人が追いかけていた。

「いいぞ。頑張れ~」


 人々は京都所司代の同心を応援しているように聞こえるが、その実、少年を鼓舞している。

 やはり一度沁みついたイメージを払拭するのには時間がかかった。

 中年以上を中心に京都所司代は役立たずという印象が根強い。

 

 しかし、そんな事情を知らない伸之介は京の町全体が敵に回ったような気がしてしまう。

 血気盛んな駕籠かきか何かに道を塞がれては面倒なことになると内心焦りを覚えた。

 何しろ、腹が減り過ぎて目はくらむし、脚も萎えてきているのを感じている。

 

 東西に走る通りからさらに2人の萌黄色の男たちが加わって追手は合計5人となった。

 こうなると追っている方も追われている方も真剣である。

 まるで猫と鼠のように、もともとの理由など忘却し、ただ必死に一方は追い一方は逃げた。

 

 しばらく走ったところで前方に派手な狩衣に烏帽子を身につけた一団が屯しているのが見える。

 三人づれの検非違使だった。

 狩衣に烏帽子は既に時代がかった衣装ではあったが、京都所司代の同心たちと見た目で区別がつくようにと採用されている。

 しめたと伸之介の顔が光り輝いた。


 検非違使も伸之介と同心たちの追いかけっこに気が付いたようで、騒ぎの方へと向きを変えて身構える。

 すらりと背が高い男とがっしりとした男、それになぜか女性が立っていた。

 伸之介は息を切らしながら最後の力を振り絞って呼びかける。

「オイば助けたもんせ」


 がっしりとした男が少し体を横に動かして、走り抜けられそうな隙間を空けた。

 最後の気力を振り絞って伸之介が検非違使の脇をすり抜け……られない。

 ふっと空中に浮いたと思うと小袖の襟と帯をつかまれていた。

「放せ!」

 脚を振り回すが逃れることはできず、まるで首根っこをつかまれた猫のようである。


「これはまた随分とはしこい童じゃのう」

 のんびりした低い声が聞こえた。

 どうやら大柄な男が漏らしたものらしい。

 大柄で精悍な顔つきだったが意外に声は丸みを帯びて柔らかかった。

 息が苦しいのと味方だと思っていた検非違使に捕まったショックで伸之介はすぐには言い返せない。


 もっとも、味方だと思ったのは伸之介の一方的なものの見方であった。

 検非違使にしてみれば、京都所司代の同心に追われている少年に過ぎず、検非違使の衛士への志願者ということは知りようがない。

 どういった事情があるか分からないところで逃走中のものを勝手に逃がすわけにはいかないのであった。


「これ、童。一体何をした? 店先か誰かの懐から何かをくすねでもしたか?」

 大柄な男がのんびりした声で質問をしてくる。

 ようやく呼吸を整えて返事をしようとしたところで足音と共に京都所司代の同心たちが追いついてやってきた。


「そ、その小童を引き渡してもらおう」

 同心の一人が吠える。

 その言葉に大柄な男は伸之介をつかまえたまま向き直った。

 走ったことと悔しささのために肌の血色が増し、合わせの乱れた伸之介の姿は妙に艶めかしい。


 油断なく身構えたままの長身の男は一歩前に出ると冷ややかな視線を同心たちに向ける。

「これは所司代の方々、お役目ご苦労にございます。引き渡せとの仰せであるが、この若衆が何をしたのかな」


「その者は我らが尋問中にいきなり逃げ出したのだ。何か疚しいところがあるに違いない。屋敷に連れ帰って調べる故、引き渡し願おう」

「これは異なことを申される。今は久太郎が捕らえているのだから取り調べをするとあらば当方で行うのが筋というもの。それにしても何か罪科を犯したならいざ知らず、単に逃げ出しただけのことに5人がかりとは所司代の方々も役儀に熱心でござるな」


 役儀に熱心と口に出しているが、要は随分と暇ですねという言い換えに過ぎない。

 さすがは文化の中心でもある京の都らしい婉曲表現であった。

 それでもこのレベルになれば武骨な同心たちにも意味は通ずる。

 同心たちは顔をしかめた。


 久太郎と呼ばれた大柄な男の左隣に立つ紅紫の狩衣を身につけた衛士もそれに応ずる。

「何もせずに逃げ出したと言われるが、好色な目で眺めまわして怯えさせたのではございませんか?」


 伸之介は首を捻じ曲げて横を見た。

 烏帽子を被らず漆黒の髪を伸ばしているので女とばかり思っていたが、やや高めなものの明らかに男の声である。

 しかし、まじまじと見ても臈たけた美女と見紛うばかりの美しい面立ちをしていた。


 伸之介の視線に気が付いたのか僅かに顔を向けて微笑んでみせる。

 遠巻きにしている町娘の中から黄色い声があがった。

「花の三人衆の伴左衛門様よ。今日もお綺麗だわ」

 賛同の声に混じって別の声も上がる。

「泰然とした元長様の大人の魅力も素敵」

「久太郎様に私も抱きかかえられたい」

 たちまちのうちに周囲のギャラリーから同心たちへの強烈な逆風が吹き始めた。

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