第3話 誰何

 翌日、空が白み始めると同時に目を覚ました伸之介は草鞋の紐を締め直すと元気に歩き出す。

 淀川沿いの街道には朝もやが漂っていた。

 乳白色のもやの中、まだ人の少ない道を伸之介の足音だけが響いている。

 

 昨夜から何も食べておらず腹が減っていたが、伸之介はしきりと鳴く腹の虫は無視した。

 川で魚を獲ることもできなくはないが、捕まえて火を起こし焼いて食べる時間が惜しい。


 別次元の後世では新快速で30分の距離であるが、この世界のこの時代では徒歩で1日がかりである。

 伸之介は街道をすたすたと早足で歩いた。

 すれ違う旅人が何事かと思って振り返るほどの速度である。

 これほど急ぐにはわけがあった。

 その日のうちに検非違使を募集している法相寺に辿り着かなくてはならない。

 辿り着きさえすれば、今夜の寝床は確保できる。


 日没になれば門が閉まるであろうから、それまでに到着する必要があった。

 市中での野宿は禁じられている。

 それを取り締まる側になろうというのに、その禁を侵すわけにはいかなかった。

 脇目も振らず歩き通した伸之介は、なんとか暮六つ刻までに京の都の外縁部に到達する。


 古の時代と異なり、今の都には市域を囲う壁も門もない。

 人々が集まるうちに宇治の近くまで無秩序に町屋が広がっている。

 道行く人に法相寺の場所を聞いてまだ半里ほどあると聞いた。

 もう近くだと思っていた伸之介は慌てる。

 草深い田舎暮らしが長いため、これほどまでに大きな町があるということが分かっていない。

 

 礼もそこそこに伸之介は駆け出した。

 向かって左手の空は見事な茜色に染まっている。

 暮六つ刻は南蛮渡来の機械で表すところの午後6時であり、冬場であればとっくに日は落ちていたが、この時期まだ日没までには時間があった。


 淀川にかかる橋を渡って走り続け、下京を通り抜けて中京に入る。

 烏丸小路を北に向かって急ぐ伸之介は前方に萌黄色の陣羽織を着用した3人一組の一団がいるのを認めた。

 伸之介が走りよってくるのに気づくと3人は散開して道を塞いだ。


「何事だ。そこの者止まれ」

ないごてなんでオイば道塞ぐと?」

「そのように血相を変えて走っておれば、何か変事かと思うたまでよ。どこへ急ぐ?」

 一番年かさの男の問いかけに伸之介は法相寺へと向かっていることを説明する。


 途端に一団は馬鹿にした表情になった。

「また田舎から出てきた小童か」

「随分と小汚い格好をしておる」

「しかし、汗と埃塗れで酷い臭いじゃ」

 男たちは小馬鹿にしたような笑みを浮かべる。


 伸之介は腹を立てたが、今はそんなときではないと思いだした。

 今夜の宿が確保できなければ、路頭に迷うことになる。

 そんなときに今目の前にいる連中、恐らくは京都所司代の侍に見つかれば今以上に面倒なことになるのは明らかだった。


 検非違使が復活した当初は、朝廷も幕府も検非違使と京都所司代がお互いを助け合って治安維持に努めることを期待している。

 少なくとも上層部においてはそうだった。

 しかし、同じような役割の組織が二つできれば、現場で張り合おうとする意識が芽生えるのはやむを得ない。


 代々の京都所司代を務めるのは織田家縁故の大名であり、その下で実務を担当する与力や同心にはエリート意識が強かった。

 自分たちは同じ武士の中でも他の者よりも偉いと考えている。

 それに反して、検非違使の衛士は実力主義で出自を問わなかった。


 こうなると反目が生じない方がおかしい。

 京都所司代の与力や同心は検非違使をなり上がり者と蔑むし、検非違使は逆に京都所司代の武士を気位ばかり高い無能と思っていた。

 かくして、この両者は今ではかなり仲が悪いことで知られている。

 もちろん伸之介もそのことは聞いていた。


「先を急ぐで、用がなかれば行っど」

 そう宣言してみるものの、3人組は行く手を阻むのを止めようとはしない。

 伸之介の様子から日没までに法相寺にたどり着きたいということを察して嫌がらせをするつもりだった。


 日頃から面憎く思っている検非違使の衛士とは事あるごとに乱闘騒ぎを起こしている。

 衛士になろうという少年の邪魔をすることに仄暗い喜びを感じていた。

 このまま日が暮れれば役儀として二条城の北にある京都所司代の屋敷に連行することができる。

 

 憎い検非違使に一矢報いることもできるし、些細な罪とはいえ、夜間に徘徊していた不審者を捕縛するという手柄を上げられて一石二鳥であった。

 さらに3人組の劣情を刺激したのが、目の前にいる少年の容姿である。

 今は目を怒らせているが、まだあどけなさの残る美童であった。


 この時代、衆道はとくに忌避されるものではない。

 寺社が多く、また、男女比が大きく男に偏っている京の都では、美童専門の揚屋も存在していた。

 さすがに京都所司代の屋敷で狼藉を働くわけにはいかないが、身寄りもなく働き口もない少年の行きつく先など決まっている。


 身を持ち崩して客を取るようになった姿を想像して悦に入る。

 少し生意気なところがあるのもまた良い、などと考えていた。

 伸之介は反応がないことに痺れを切らす。

 築地塀に向かって助走をつけて跳躍すると壁を蹴りながら身を翻して3人組の向うへと降り立った。

 驚くほど軽い身のこなしに目を見張る3人組を尻目にいっさんに駆け出す。

 男たちがようやく我に返って振り返ったときには、伸之介はもう5間10mほど向こうを走っていた。

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