第2話 それぞれの夕暮れ
「道を空けろ!」
「御用だ」
野次馬をかき分けて浅葱色の陣羽織を着用した一団が人だかりの輪の中へと入ってくる。
「堺町奉行所の同心である。両者、刀を引けい」
その掛け声に伸之介はまずいことになったと思うが後の祭りであった。
カッとなって刀を抜いたが、相手はまだ手をかけただけで抜いていない。
どちらに非があるかといえば明らかである。
伸之介は歯噛みしながらも刀を鞘に納めた。
「貴殿ら、街中で刃傷沙汰に及ぶとはいかなる御存念か?」
「刃傷沙汰とは? それがしは抜いてもおらぬし、狂犬が吠えかかるのに身構えただけのこと。それがしには奉行所による改めを邪魔する気はござらん。そこな若者、好きなだけ取り調べられるが良かろう。では、御免」
言い放つと男は人だかりを抜けて悠々と去っていく。
「待てっ!」
伸之介は追いかけたいが奉行所の捕り手に囲まれていてはにもなすすべはなかった。
この後の取り調べを思うと伸之介はうんざりする。
しかし、同心は伸之介に生国と姓名を尋ね、目的地が京の都であることを聞きだすと堺の町の境界となる掘割まで同道したものの、そこで伸之介を放免した。
刀を抜いたものの、誰一人怪我人が出た訳でもないため、実は拘束する理由がなかったのである。
立ち合いを邪魔されたことの怒りをぶつけるわけにもいかず、伸之介は不機嫌な顔で詫びのようなことを言った。
「手間ばかけ申した」
軽く頭を下げて伸之介は京の都に向けて歩みを進める。
奉行所の同心はその背中を見送り、やれやれと首を振った。
伸之介は知らなかったが、このところ、同じような若者による事件が続いており堺の町奉行所はその対応に追われ疲弊している。
足利家に代わり織田家が征夷大将軍の地位について150年余り、天下泰平の世であったが、それがために社会のひずみが生じていた。
家を継げる見込みがない次男坊、三男坊が都市に流入するという現象が発生していたのである。
特におおよそ千年の歴史を誇る京の都には多くの者が群れ集った。
そのため安土幕府の成立以来長きにわたり京の都の治安維持は京都所司代が担ってきたがついに手が回らなくなる。
そこで、朝廷が約400年ぶりに検非違使復活を要求し、八代将軍信輝がそれを容れたのだった。
もともと、安土幕府と朝廷の関係は良好であり、過去のいきさつもあって朝廷に対して遠慮している部分がある。
それというのも以下のような事情があった。
本能寺の変において、信長の嫡男信忠は妙覚寺に滞在していたが、二条新御所に移動して明智軍に対して奮戦する。
その後、誠仁親王が内裏へ移動する際に女御の一人に扮して脱出し、安土城に逃れたのであった。
この信忠が安土幕府初代将軍であり、以来朝廷との関係は平穏に過ぎている。
こうして、約400年ぶりに検非違使が復活した。
それに当たり、実働要員にあたる衛士の職に就く者を広く全国に求めることとなる。
再発足して10年となるが、華美な衣装に身を包む衛士は全国の若者のあこがれとなった。
一方で様々な理由で欠員が生じることも多く、この度、3年ぶりに衛士の追加募集が実施される。
伸之介もこれに応じて上京してきた一人だった。
全国から腕自慢があつまり、京の都への西国からの玄関口に当たる堺の町でも小競り合いが頻発している。
怪我をさせたり、人を殺めればともかく、刀を抜いたごときで牢に入れていてはとても牢の数が足りないのだった。
堺から京の都までは約25里、健脚な者が一日ぶっ続けて歩けば到着する距離であった。
昼過ぎに船から降りた伸之介がもしも堺で一泊すると都につくまでに2夜過ごすことになる。
最初から堺の町に泊まる気はなかった伸之介は、すぐに不愉快なことを忘れて元気に歩き始めた。
もともと楽観的で嫌なことをいつまでも引きずる性格でもない。
華々しく活躍する未来を思い描いてご機嫌になり鼻歌がついて出る。
伸之介は一路北上すると淀川の左岸に到達した。
播磨からの街道筋にも当たるこの地は宿場町として栄えている。
夕暮れどきが近いこともあって客引きの声もかまびすしいが、伸之介は誘いの手を振り切って歩き続けた。
宿に泊まろうにも金がない。
ここまでで路銀をほぼ使い果たし、肩から提げる行李の中の巾着にはもう100文ほどしか入っていなかった。
屋台でうどんが1杯20文である。
とても宿に泊まれるものではなかった。
日が暮れかかると辻に建つ地蔵堂に立ち寄る。
手拭いでお地蔵様の埃を払うと手を合わせた。
裏の軒下を一晩お借りいたします。
季節は夏なので凍える心配はなく夜露をしのげれば文句はない。
伸之介は刀を鞘ごと引き抜くと軒下に腰を下ろして刀を抱き抱える。
明日はいよいよ都だと思うとなかなか寝付けない。
それでも、日が明ければすぐに歩き出せるようにと無理やり目を閉じるのだった。
その頃、伸之介ともう少しで立ち回りを演じるところだった男は、宿の2階の縁台で片膝立ちで夕涼みをしている。
俺もまだ青いなと自嘲し精悍な顔に苦笑を浮かべていた。
主君に密命を受けて堺の町にはるばるやってきたというのに、無駄に耳目を集めてしまったことを反省する。
「それにしても……」
ひとりごちながら昼間の少年の姿を思い出した。
あの若さであれほどの腕とは末恐ろしい。
いずれ自分の前に立ちはだかるのではないかという予感めいたものを感じていた。
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