花の検非違使三人衆と禁裏衛士

新巻へもん

第1話 喧嘩

 高橋伸之介ははるばる博多から乗ってきた船を降りるとぐうっと伸びをする。

 腕を下ろすと周囲の様子を興味深げに眺めた。

 少し茶色がかったくせのある短髪に幼さの残る顔立ちをして小柄な体は俊敏そうである。


 伸之介はすぐに堺の街中を歩き始めた。

 左右に向けられる大きくつぶらな瞳が好奇心に輝いている。

 まだ子供のように見えるのに腰に長い刀を差しており、周囲に与える印象のギャップが大きかった。  

 

 すれ違った二人連れの町娘が素早くお互いに顔を見合わす。

 顔はいいけどちょっと服装が少し野暮ったいかな、と声に出さずに視線で意見を交わした。

 物珍しそうに歩いている伸之介は町娘たちがそんなことをしているとはつゆ知らず道を歩いていく。


 堺の町は京の都への海の玄関口として栄えていた。

 歩いているのは日本人だけでなく、博多と比べれば少ないものの、南蛮人や華人の姿もチラホラ目に付く。

 左の腰に刀を佩いている武士の中には右に短筒を下げている者も多かった。


 着用している裃や水干もはっきりとした明るい色合いのものが多く、小紋が散らしてあって華やかである。

 伸之介は服装には無頓着だったが、それでも自分の着用しているねずみ色のものは堺の町では逆に浮いていることに気が付いた。 


 安土幕府の実質的な開祖である信長公の派手好みを反映して、そのお膝元である近畿一円には派手で華やかな文化が花開いている。

 遠く都から離れた九州の地とは同じ国と思えないほどに服装などの趣味嗜好が異なっていた。

 そんなわけで伸之介は一旗揚げようと都に登ってきた地方出身者ということが丸出しになってしまっている。


 志学を迎えたばかりの伸之介は血気盛んであると同時に他人の目も気になる年頃であった。

 武士たるもの外見ばかり整えてどうするという気概があるが、さりとて、周囲が向けてくる侮蔑を含んだ視線を完全に無視できるほど心の修練はできていない。


 伸之介が腹ごしらえをしようと露店で食事をしていると、近くの商店の店先で立ち話をしている男の話が耳に入ってくる。

「人がぎょうさん集まるのはええことでっしゃろけど、あまりに山猿が多くてかないまへんわ」


「おい。近江屋。それを言うたら俺も白河の関の向こうの出身だぞ」

「いやいや、どこの出身かを言うてるのではおまへん。ボロは着てても心は錦、そういいはりますけどな。当節外見を整えるのも嗜みや。わてが言うてるのは着の身着のままではるばる都目指してやってくる連中のことですわ。立身出世もかなわんで身を持ち崩し、押し込みやらなんやらするようになるんでっせ。ほんに迷惑なこっちゃやで」


 近江屋と呼ばれる商人の目線と伸之介の目線が交錯した。

 顔に浮かんだ薄笑いに伸之介は自分のことを揶揄していると感じてしまう。

 かき込んでいた粥の丼を卓の上に置くと立ち上がった。

「オイのことば、馬鹿にしちょっと?」


 伸之介の左手は早くも刀の切羽に添えられている。

「おい。小僧。やめておけ」

 近江屋と話をしていた男が低い声を出した。

「なら、よぜろしかうるさいこと、言わんばよか」


「すぐ刀を抜こうとするのが肥後者ひごもんの悪いところだ。言葉には言葉で返すのが筋だろう。そもそも、この者はそなたのことを言っていたわけじゃない」

「ぐ」

 伸之介は言葉に詰まる。


「若者が血気盛んなのはいいことだが、町人相手に刀を抜くというなら、その喧嘩俺が買おう」

「名ば名乗れ」

「小僧に名乗る名などない」


 その言葉に伸之介はたちまちのうちに頭に血が上った。

 ざっとわらじで足元の砂を払うと鯉口を切って抜刀し八双に構える。

「お、抜いたぞ」

「喧嘩だ。喧嘩だ」


 周囲を歩いていた者たちが歓声を上げると遠巻きにした。

 どんどんと人だかりができる。

 早速臨時の賭場が開帳した。

「若いのに200文。誰か受けねえか?」

「萌黄のお侍に2朱でどうだ?」

「どう見たって、腕に差がありすぎだ。もう1朱上乗せしな」


 この当時1朱はおよそ250文であった。

 つまり、伸之介の勝ちには3対1以上でないと賭けが成立しないと周囲は見ているということである。

 自分の方が未熟だと思われていることを悟り伸之介の顔がさっと紅潮した。

 

 対手の男のことを改めて観察する。

 小粋な衣装に身を包んでいるが精悍な顔つきをしており微塵も隙がなかった。

 まだ抜刀こそしていないが、さすがに両手を腰のものに添えている。

 実際に上背もあるものの伸之介の目にはそれ以上に大きく見えていた。


 伸之介は顔立ちこそ幼いのだが、故郷の道場では神童と言われた腕前である。

 まだ若いゆえに皆伝は許されていないが、目録は授与されていた。

 片田舎の剣士が開いた町道場でありさしたる知名度はなかったが、尚武の気風が強い地のことであり、伸之介の師匠の腕前も実はかなりのものである。


 その伸之介が全く打ち込む隙を見いだせずにいた。

 単に血の気の多い若者というだけであったなら既に斬りかかって、したたかに打ち据えられていたかもしれない。

 慎之介は対手の力量を見測れるだけの実力は有している。

 

 もう一方の男も内心舌を巻いていた。

 世間知らずの若造が短気を起こしたのをたしなめるつもりだったのだが、容易ならざる相手だということに気が付いている。

 刀を抜いて雰囲気が全く変わっていた。

 峰で打ち据えて町奉行所に引き渡すつもりでいたが、とても刃を返す余裕はない。

 負けるとは思わなかったが、真剣勝負となったことを密かに悔やんでいた。


 伸之介は相手が刀を抜かないことから居合を警戒する。

 先に相手に斬らせてから、後の先を取る技は刀の軌道が読みづらい。

 ただ、いつまでもこうしているわけにはいかなかった。

 こうなれば相手を上回る速度で刀を振るうだけである。

 覚悟を決めた伸之介はジリと左足を前に滑らせた。

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