トゥンク・トゥンク・レボリューション
三月のとある日の帰り道。藤井が校門に向かって歩いていると前方に宇田川がいたので、小走りで追いついて声をかけてみた。
「ウダちゃん」
宇田川は気付いて後ろを振り返る。
「結奈」
彼女の艶やかな髪に見覚えのあるものが付いていた。それは白い花があしらわれたヘアピン。クロがクリスマス会のプレゼントとして用意したが結局持ち帰ったものと同じデザインだ。
「あら」
「何?」
藤井はニヤニヤを抑えることができなくなった。
「あーら、あらあらあらあら」
宇田川も藤井の言いたいことに気が付く。ヘアピンを手で隠して紅潮した。
「こっ、これは自分で買ったやつだから」
「はいはい」
クロがクリスマス会でそれをプレゼント交換しようとしていたことは黙っていようと思う藤井なのであった。そう言う自分も、翔太のプレゼントであるチョコレートドーナツのキーホルダーをランドセルに付けている。彼に好意を伝えた翌日から付け始めたのだが、宇田川はそれに目ざとく気付いた。
「結奈の方こそ、そんなキーホルダー付けてたっけ?」
「ああ、これ?」
藤井は宇田川の前に立ち、キーホルダーを見せつける。
「これはダーリンからのプレゼントだよっ」
「ダーリンって何!?」
宇田川に衝撃が走る。言葉を失い、藤井の答えを待っていると、彼女は満面の笑みを浮かべて言った。
「私、好きな人がいるの!」
藤井の表情は喜びが溢れ出しているかのようで、それが宇田川には太陽のように眩しく見えた。宇田川は呆然としそうになったが、なんとか正気を保とうとする。
「バレンタインの前はそんなこと言ってなかったのに、この噓吐き女め……」
「ははは……それはごめん」
藤井は照れくさそうに頭を搔いた。宇田川は次の質問を口にする。
「とりあえずおめでとう。好きな人がいるってどんな感じ?」
すると藤井はうっとりとした顔をして、周囲にはハート型のオーラが漂い始めた。
「……その人が目の前にいると、その人を中心に世界がキラキラと綺麗に見えるの。私が気付いたときにはもう、世界がそんな風になっていた、かな」
「ぐはっ! げふっ、げふっ」
急に咳き込み始める宇田川。藤井は焦った。
「ちょっと大丈夫? どうしたの?」
「大丈夫……結奈があまりにも乙女すぎたから、あたしの邪悪な心が浄化されそうになっただけ……ごほ」
「ウダちゃんってやっぱり邪悪な存在だったんだね」
「やっぱりって何」
宇田川は呼吸を整えると、気を取り直してまた藤井に尋ねた。
「で、訊くまでもないと思うけど、その相手は山田君だよね? ヤマダーリンなんだよね?」
「それは……教えてあげないよーだ!」
藤井は校門の方に向かって小走りで逃げ出した。
「ま、待てー(棒読み)」
藤井に何が起こったのかさっぱり分からない。仕方がないので、とりあえず今日も彼女を追いかけてあげる宇田川なのであった。
翌日、天気はあいにくの雨。藤井が女子トイレで手を洗っていると、クラスメイトが話しかけてきた。
「ねぇねぇ、藤井さん」
修学旅行でも一緒に行動していた、恋バナが好きな子だ。
「何?」
「藤井さんって山田君と付き合ってるの?」
藤井はギョッとした。慌てて周囲を見回すが、他には誰もいないようだ。
「……なんで?」
「だって前は堂々と二人で帰ってたりしてたじゃん。それに、今は隣の席で仲良さそうだし。最近もこっそり二人で帰ってるときがあるって聞いたよ」
堂々と一緒に帰ったのは冬の始めのこと、翔太が宇田川と一緒に帰っているのを見て早とちりしたときだ。最近というのはバレンタインデーか桃を拾った日のことだろう。
「べべべべべ別に山田とはそんなんじゃないから!」
「そうなの? 藤井さんは黒田君といい感じだと思ってたけど、やっぱり山田君の方がお似合いだよね」
「お、お似合い……?」
「うん」
頭の中に、自分と翔太のツーショットが思い浮かんだ。二人の周りにはハートマークがふわふわと漂っている。
「そ、そんなんじゃないからー!」
自分の想像で顔が真っ赤になり、走って逃げ出した。
教室で自分の席に座って気持ちが落ち着くと、藤井は冷静になって考え始めた。あまり意識しないようにしていたが、確かに藤井と翔太は付き合っているということになるのかもしれない。ストレートに好きって言うのは恥ずかしいから言ってないが、質問に答える形で、好きだということはもう伝えている。
そこでふと疑問に思う。どうして隠さなきゃいけないんだろうか、正直に言っちゃってもいいのではないのだろうか、と。でも誰かに教えたら、あっという間にクラス中に広まるだろう。試しに想像してみる。みんながそれを知っている状況を。それに去年、宇田川に言われたことを思い出した。
「ちなみにそっちのクラスにいるあたしのスパイによると、結奈と山田君はもうクラス公認のバカップルみたいに見られているらしいわ」
藤井は頭を抱えた。あの頃は気にならなかったけど、今はやっぱり無理なようだ。三バカと宇田川以外の人たちから、付き合っていると認識されるのはかなり恥ずかしい。恥ずか死ぬ。それに、昨日宇田川と話したときに浮かれまくっていたことも今更恥ずかしくなってきた。あのときの自分を今すぐ埋葬したい。
その日、藤井はそわそわとしながら一日を過ごす羽目になった。隣の席の翔太には話しかけられず、翔太から話しかけられても素っ気ない態度を取ってしまい、嫌われたのではないかと不安になった。
そして下校時間、藤井は自宅の鍵を忘れていることに気付いた。母親は夕方まで帰って来ないから、それまで時間を潰さなければならない。マンションの入り口で待つのは変だし、図書館に行くのも悪くはないが、今日は一人になりたいから帰り道の途中にある公園に行くことにした。
しとしとと降りしきる雨のおかげで、公園には誰もいなかった。雨が木の枝葉に遮られている場所にベンチがあったので、まばらに付いている水滴をハンカチで拭き、赤い傘を差したまま、ランドセルを胸に抱えてそこに座る。でも段々寂しくなってきた。
すると、誰かが近づいて来る気配を感じた。傘を上げて見てみると、そこには翔太がいた。彼の方は青い傘を差している。
「よっ」
「山田!」
「こんなところで何してんの?」
「……家の鍵忘れちゃったから、お母さんが帰って来るまで待ってるだけ」
「ふーん」
翔太は雨を気にすることなくランドセルをベンチに置き、傘を差しながら藤井の右隣に腰を下ろす。それを見た藤井はおずおずと口を開いた。
「ごめん、もし誰かに見られたらちょっと恥ずかしいかも……」
また言ってしまった、とすぐに自己嫌悪に陥る。本当はもっともっと一緒にいたいのに、嫌われたくないのに。
「なるほど」
翔太の方はショックを受けているわけでもなく、何でもないという風に返事をした。そして藤井から離れるどころか、スライドするような動きで更に近づいてきた。
「ちょ、ちょっと」
藤井が驚いていると、翔太は自分の傘を少し彼女の傘に重ね合わせた。二つの傘が小さなドーム状の形となり、二人はその中にすっぽりと収まった。
「これなら誰にも見つからない。秘密基地みたいだろ?」
「う、うん……。かまくら作ったときより狭いね」
翔太の言う通り、傘の外側からは二人の足しか見えない。安心した藤井は、嚙み締めるようににんまりとした。お互いの存在さえあれば、どこにだって二人の世界を作ることができるのだ。
「実は今日、佐藤さんに私たちが付き合ってるのか訊かれて、それで恥ずかしくなって山田のこと避けちゃったの」
翔太はなぜか黙って呆けた顔をしている。まさかこれで怒っているのだろうかと藤井が心配すると、いきなり我に返ったように声を上げた。
「そうか、僕たちって付き合ってるのか! 全然気付かなかった!」
「もう!」
「いやー。とにかく、今日の藤井はそんなことだろうと思ってたよ」
「怒ってない?」
「全然」
「良かった」
藤井はホッと胸を撫で下ろす。
「それで、付き合うって何をすればいいんだ? それも藤井の読んでる本とやらに書いてあるんだろ?」
「うん、書いてあったけど……。そんなの、恥ずかしくて言えないよ……」
一体何を見てしまったのか、藤井の頬がほのかに染まっていく。
「おいおい、恥ずかしいことって何だ? リンボーダンスか?」
「まあ……アンタがやりたいなら、それでいいよ……」
「いや、別にやりたくはないけど」
「逆に山田は、何か私とやりたいこととかないの?」
「やりたいこと……?」
翔太は考える。付き合うというのは何をすればいいのかと。二人で出掛けるというのは夏休みや雪の日に一応やった。まだやっていないことと言えば……チューだ。そういえばクロも、チューをしろとやたらと言っていた。
そのとき、翔太の頭の中に天使の格好をした翔太が現れた。
「まだ小学生なのにいけません、そういうのは大人になってからにしなさい」
すると悪魔の翔太も現れ、無言で天使の腹に膝蹴りを食らわせた。
「いいじゃないか、チューくらい。もうすぐチュー学生なんだし」
桃太郎の格好をした翔太も加勢し、天使のケツに膝蹴りを食らわせて叫んだ。
「先日桃太郎のふりをして遊んでいたとき、おとぎ話では愛する人のキスで元に戻るとかなんとか言われたではないか! 彼女はチューを待ち望んでいるのだ!」
ビジネスマンのようなスーツ姿の翔太も現れる。
「こちらのデータをご覧ください。ほっぺにチューなら問題にならない可能性が57%もあります」
天使はビジネスマンから受け取った書類に目を通し、真顔のままビジネスマンの頬に平手打ちをした。そして鶴の一声を上げる。
「では、ほっぺにチューをするということで手を打ちましょう!」
悪魔が悪魔のような笑みを浮かべる。
「くくく、話の分かる奴で助かるぜ」
こうして天使と悪魔と桃太郎はそれぞれ固い握手を交わし、頭の中から徒歩で去って行った。
翔太は我に返り、藤井の顔に目をやる。彼女の頬はすべすべで柔らかそうだ。
「じゃあ――」
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