新約・桃太郎

 二人は家に帰る前に、一緒に学校の周辺を散歩することにした。まだ二月は終わっていないが、砂利道の脇の草木の中に、既に春の予感が咲き始めている。


 藤井はほとんど翔太と話せずにいた。さっきまでふざけながら好きとかダーリンとか言っていたせいで、自然に会話ができない。調子に乗りまくっていた自分を殴りたくなる。


「藤井」


「な、何?」


 いきなり話しかけられたので、藤井の声が上擦った。まさかダーリンこんなところで……とドキドキしていると、翔太は川の方を指差して言った。


「あの浅瀬のところに、桃が流れてるぞ」


「なんでよ!」


 二人の間に漂っていたちょっと甘い雰囲気は、甘い果物によって消し飛んだ。


 とりあえず川の方まで行ってみると、確かに桃がゆっくりと転がるように流れていた。翔太はそれを拾い、じっと観察する。見た目は普通の桃だ。


「ははっ、桃太郎みたいだな」


「そんな桃なんか拾ってどうするのよ」


「中に何かいるかもしれないだろ」


「いないわよ!」


 すっかりいつもの調子に戻った二人。


「なあ、これから藤井の家でこれ食べないか?」


「ええっ、その桃を!? じゃなくて今からうちに!?」


 三バカをセットで招いたことは何度かあったが、男子一人、それも好きな人だけを連れて来たことなど一度もない。翔太に限って変なことをしてくるわけはないが、それでも緊張してしまう。


 悩んでいる藤井に翔太が再び尋ねた。


「今日はまずいか?」


「いいよ……今日、うちに誰もいないから……」


 藤井は身をくねらせ、艶っぽい声で答えた。


「よし、じゃあ問題ないな!」


 翔太、全く動じず。


「うん、分かってたけどね!」



 藤井の家に到着し、翔太が玄関に入る。彼が片手に桃を持っているという謎なシチュエーションのおかげで、藤井は平常心を保つことができた。


 早速キッチンに立つ二人。なんだか不思議な気分だが、藤井は桃を水で洗い、包丁で皮を剥き始めた。


「藤井は皮剥きもできるんだな、すげー!」


「ふふーん、褒めても桃しか出ないわよっ」


 目を輝かせる翔太に得意顔で返す。皮剥きが終わると、まな板の上に桃を置いた。


「とりあえず剥いたけど、やっぱり普通の桃にしか見えないわね」


 そう言って、包丁を桃の中央に当てる。


「えっ、真っ二つに切るのか? 中に何かいたら死んじゃうぞ」


「大丈夫よ、桃太郎だってお婆さんが切っても平気だったでしょ」


「確かに! 藤井は頭いいな!」


「山田はホントにバカなのね」


 包丁を下ろすと、まな板を叩く小気味いい音が響いた。桃は綺麗に切れて、二つのジューシーな断面が上を向く。藤井は満足気な顔をした。


「ほーら、やっぱり中に何もいないじゃない」


「いるわけないだろ」


「アンタ本当殴るわよ!?」


 このままにしておいても意味がないので、桃を適当に切っていく。まな板の上で桃のスライスが完成した。翔太は物欲しそうな目でそれをじっと見ている。


「なんか、お腹が空いてきたな」


「そうね」


 桃は瑞々しく、ほのかに甘い香りを漂わせている。しかし、川に流れていた桃を食べてしまってもいいのだろうか。


「桃、美味しそうだな」


「そうね……」


 桃を前にして立ち尽くす。だが翔太はとうとう我慢できなくなり、桃を一切れ、手掴みで食べてしまった。


「うめぇ!」


「あぁ、怪しい桃食べちゃった!」


 一切れ食べると、間髪を入れずに次の桃に手を伸ばす。


「何だこの桃!? 手が止まらねぇ!」


「ちょっと大丈夫なの!? なんか目付きがキマッてるんですけど!?」


「うおおおお」


 翔太は次々に桃のスライスを口に運び、あっという間に一個分を平らげてしまった。藤井は怒るでもなく呆れるでもなく、尋常でない様子をただただ心配している。


「山田、大丈夫?」


 なぜか俯いて瞼を閉じている翔太。おそるおそる顔を覗き込むと、カッと目を見開いて藤井の方を向いた。


「違う、俺は桃太郎だ。今、この体を借りて現世に転生した!」


「急にファンタジーな展開に!?」


 口をあんぐりさせる藤井。でも意外とすぐに順応した。


「それで、桃太郎さんは何しに現代へ?」


「それより婆さんや。俺にきび団子を作ってくれないだろうか」


「誰が婆さんよ! 失礼ね!」


「失礼した」


「私、きび団子なんて作れないわよ。ていうか、きび団子のきびって何?」


「それは俺も知らん」


「アンタは把握しておきなさいよ!」


 桃太郎はリビングの方へ歩き出し、物珍しげな様子で室内を見回していく。それから、テーブルの上にある紙を手に取った。


「むむっ、これは鬼ヶ島への地図か!」


「それは、私が中学から行く塾のチラシよ」


「いいのか? ここには鬼講師が巣食っているぞ」


「今からテンション下がること言わないで!」


 このままでは埒が明かない。藤井は、どうして翔太が乗り移られてしまったのかを冷静に考えようとした。


「今思い出したけど、桃って確か夏の果物だったはず。今の季節にあるのがそもそも変なのよ」


「フハハハ、今更気付いたようだな」


「ていうかアンタ、もういい加減成仏しなさいよ。その体を山田に返して」


「残念だが、この少年はもう元には戻らん」


「そんな……」


 藤井の顔が青ざめる……のは一瞬だけで、すぐに不敵な笑みに変わった。


「……でもおとぎ話では、愛する人のキスで元に戻るっていうのが定番だけど?」


「えっ」


 桃太郎の目が点になった。そして藤井はゆっくりと桃太郎に歩み寄る。


「試してみる……?」


 冷や汗をかく桃太郎。藤井がじりじりと迫って来る。


 桃太郎はとうとう堪えきれなくなり、藤井の両肩に手を置く。彼女は一瞬ビクッと震え、反射的に瞼を閉じた。


「藤井、ストーップ! 桃太郎っていうのは嘘だから!」


 翔太は観念した。藤井の肩に手を置いたのは、近づいて来る彼女を止めただけだ。


「ははは、藤井もノリが良くなったな!」


「ふふっ。アンタたちとずっと一緒にいたせいで、バカがうつっちゃった」


 二人はくすくすと笑う。でも笑いやむと、次に続く言葉が出てこない。藤井の家で二人きり、無言で見つめ合った。


 やがて翔太が我に返り、取り繕うように言った。


「じゃ、じゃあ、家の人が帰って来る前に僕も帰るね」


「う、うん。私も近くまで一緒に行く」


 さすがの翔太でもいたたまれなくなったようだ。藤井もまた家から出て、翔太について行った。二人で道路を歩いていると、翔太がふと思い出したように言った。


「結局、あの桃って何だったんだろうな」


「知らんわ」


 今日も好きな人と一緒にいて、ただ楽しいだけの一日だった。


 ちなみに桃太郎の本当のお話では、桃太郎は桃を食べて若返ったお爺さんとお婆さんの間に生まれたのだという。願わくば翔太と藤井もいつか夫婦となり、桃太郎が生まれんことを。

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