バレンタインかくれんぼ②

 宇田川が校舎に来る少し前、矢島は下駄箱に来ていた。自分のクラスの下駄箱を調べてみると、藤井がさっきまで履いていた靴を見つけた。そこに上履きはない。藤井は校舎の中に隠れたのだ。隠れる範囲については学校としか言っていなかった。外にいたのだから外で遊ぶという印象を与えておいて、校舎の中まで来たのだろうか。真面目な藤井が上履きで外を歩き回ることもないだろう。


 では広い校舎のどこにいるのか。それについても矢島は藤井の人間性から推測することができた。悪い女になったと言っても所詮はおままごとのようなもの。他人にまでルール違反を強いるようなことはしない。だから立ち入り禁止の場所や、男子が入れない女子トイレには隠れない。


 これだけでも範囲がかなり絞られてくるが、更に推測の材料がある。藤井は、見つけられなかったら一時間後に集合と言っていた。捜す側は校舎の時計台や学校内にある時計を自由に見ることができるが、隠れる側はそうもいかない。一ヶ所でじっとしているとも言っていた。そして藤井は、一時間という時間を体感で雑に計るようなことはしない。かくれんぼをすることは今日決まったのだから、時計を持って来ているとも思えない。だから隠れるのは、時計の見える場所――。


 矢島は自分の教室の前まで行き、扉を開ける。藤井はすぐに見つかった。机の下や掃除用具入れに隠れている可能性も想定していたが、彼女は隠れることなく窓際にある自分の席に座っていた。何を想っているのだろうか、教室で一人、頬杖をつきながら窓の向こうの青空を眺めている。写真に収めたらポスターや広告に使えそうな、いつまでも見ていたくなる情景だ。


 矢島は声もかけずに立ち尽くす。すると、藤井がこちらを振り向いた。


「わ、もう見つかっちゃった」


「僕にも藤井さんの性格が分かってきましたので」


 そう言って、矢島はにっこりと笑いかけた。


「はは。やっぱり矢島には敵わないなぁ。まあ……」


 藤井も微笑み返して言った。


「私と矢島は、六年間同じクラスだったもんね」


 矢島と藤井は、入学してからずっと同じ教室で時を過ごしていた。長年の蓄積もあってなのか、彼女は矢島が噓くさいというところまでは見抜いてくれた。だが二人の関係がそれ以上進展することはなかった。


「長い付き合いになりましたね」


「ホントだよ、もう」


 照れくさそうに笑う藤井。矢島はふと、藤井と二人きりになるのは夏祭り以来だということを思い出す。彼女は、宿題を終わらせているという理由で矢島だけを夏祭りに誘った。それが前提条件だとしても、二人で出掛けてもいいと思ってくれたのは、六年間の付き合いがあったからではないだろうか。矢島はそう信じている。


 しかし、それが言葉になる前に藤井が席を立った。


「とりあえず、戻ろうか」


「ええ」


 矢島は頷く。そして、二人で教室を出て体育館裏へ向かった。児童の大半は既に帰ったらしく、知っている人は誰も見かけない。


 彼女は今更多くを語ることはないが、恋ではない特別な感情を表情と話し方から感じ取ることができた。この二人だけの親密な空気というものが、そこにはある。矢島はそれだけで充分だと思えた。


 体育館裏に着くと先にクロが戻っていて、シャトルドアの前にある短い階段に腰を下ろしていた。


「おっ、もう戻って来たか」


 と、二人の気配に気付いて振り向く。呑気に座っているクロを見て藤井は頬を膨らませた。


「黒田ー、真面目に捜しなさいよね」


「どうせ矢島が見つけると思ってたしな」


 藤井の文句を軽く受け流し、飄々としている。一番会いたい人を見つけることができたから、クロのかくれんぼはそこで終わったのだ。


 二人もクロの隣に腰を下ろし、矢島がクロに向かって言った。


「あとは翔太だけですね」


「あいつは時間切れまで捜し続けるだろうなぁ」


 藤井は何も言わずに、ぼんやりと地面を見ている。それに気付いたクロがニヤリと笑った。


「お前を見つけたのが翔太じゃなくて残念だったな」


「だから、私はそんなんじゃないってば」


 三人は雛人形のように階段に座りながら、のんびりと翔太の帰りを待った。


 そして予想通り、翔太は一時間を少し過ぎた頃に戻って来た。彼の様子を見て、藤井は改めて思った。彼に見つけてもらえなかったことはそれほど残念ではなかった、と。だって、あのときのような彼をもう一度見ることができたから。


 冬だというのに翔太は汗だくで、肩で息をしていた。ふらふらとした足取りで三人のもとへ歩いて来る。夏祭りの日に、会う約束をしていない翔太が突然現れたときと同じくらいに疲れ切っていた。


「はぁ、はぁ……。やっぱりもう見つかってたか……」


 一時間必死に走り回ったのだろう、絞り出すような声になっている。


 矢島のように頭がいいわけでなく、クロのように運動が得意でもない。でも誰よりも一生懸命になって自分のことを捜してくれる。そんな彼を見て申し訳ないと思うと同時に、藤井は満たされた気持ちになってしまった。そう、彼女はちょっぴり悪い女になってしまったのだ。


 藤井は立ち上がり、翔太に近寄る。


「お疲れさま。ありがとね、頑張って捜してくれて」


「まあ、見つけられなかったけど。それで、どっちに見つかったんだ?」


「矢島だよ」


「はは、やっぱり矢島はすげー」


 藤井は慈しむように目を細める。それから矢島の方を向いた。


「それじゃあ約束通り、矢島に三人分あげるわ」


 階段に置いておいたランドセルから小さな包みを三つ取り出し、矢島に手渡した。矢島は嬉しそうに受け取り、そのうちの一つを開けた。


「ありがとうございます……ってこれ、チョコじゃなくてクッキーじゃないですか!」


「ふふん、凄いでしょ。昨日お母さんと一緒に焼いたのよ」


「チョコじゃないならポイント無しです!」


「なんでそういうところはシビアなの!?」


 矢島は翔太に視線を送り、小さく笑いかけた。翔太もふっと笑い返す。今度はしたり顔になる矢島。


「まっ、どっちにしろ勝負は僕が勝ちそうですけどね」


 クロが横から口を挟む。


「母親と妹のチョコでよくそこまで威張れるな。来年は負けねーぞ」


 すると、藤井が遠い目をして呟いた。


「来年、か……」


「どうした?」


「いや、アンタたちとは違う中学校だから、私はあげられないなって」


 そう言って、少し寂しそうな笑みを零す。


「何言ってんだ? 別に学校が違ったってチョコくらい渡せるだろ?」


「え。アンタたち、学校変わっても私にチョコをたかる気?」


「悪いか?」


「ホント、図々しいんだから」


 嬉しそうに悪態をつく藤井。クロはニヤリと笑い、ランドセルを背負った。


「さーてと、今年も矢島の勝ちってことで、そろそろ帰るかぁ」


 クロは宇田川からチョコを貰い、藤井のクッキーはノーカウントなので、バレンタインチョコ勝負は今のところクロの勝ちだ。だがクロはそのことを黙っている。白々しさが声色に表れてしまい、藤井が感付いた。


「なんか匂うわね」


「ええ、匂いますね」


 矢島が同意すると、クロは舌打ちした。


「あ? チョコくらいで匂いなんかしねーだろ」


「いえ、匂うってのは怪しいって意味ですが」


 うっかり墓穴を掘ってしまう。藤井がその隙を逃さずに食い付いた。


「黒田、実は誰かからチョコ貰ったの!? まさか例のあの人!?」


「ギクッ」


「ギクって口に出して言う人初めて見たわ」


「うるせー! 貰ってねーよ、バーカバーカ!」


 クロは走って逃げ出した。矢島も楽しそうにクロを追いかける。


「お待ちなさい、毒キノコ!」


 翔太は疲れていて走れないし、それを察した藤井も追いかけなかった。置き去りにされ、体育館裏で二人きりになる。


 藤井にとって、今が告白のチャンスだ。翔太の分のクッキーも矢島にあげてしまったが、実はまだ秘策を用意してある。頑張って何かを言いたげに口を動かそうとする。だが結局それを吞み込んでしまい、何てことはないという様子で翔太に声をかけた。


「私たちも帰ろっか」


「……ああ」


 体育館裏を歩き、校門を出て、家路につく。藤井が翔太と一緒に帰るのは久しぶりだ。ドキドキするけど、あの頃よりはずっと自然に話をすることができた。


 帰り道が分かれるところで藤井は立ち止まり、ランドセルから何かを取り出した。


「はい、あげる」


 それは、さっき矢島にあげていたクッキーと同じような包みだ。翔太には特別に本命仕様の分も作っていたのだ。


「これは?」


「チョコ」


「えっ、さっき三人分あげたのに?」


「さっきのはクッキーだったでしょ」


 言っていることが翔太にはよく分からない。頑張って理解しようとするが、頭から大量の疑問符が溢れ出し、しまいには煙を噴き出した。


「つまり、藤井は宇宙の始まりの少女だった……?」


「一体何の真実に到達したのよ」


「ええと、つまりこれは義理チョコ? それとも本命だったり……?」


「う、うーん……」


 藤井は口元に手を当てて唸る。これが気持ちを伝える最後のチャンス。いたずらっぽい笑みを浮かべて言った。


「そんなの、どっちだっていいじゃない」


「どっちだっていいじゃないチョコ……だと……!?」


 藤井はヘタレた。恥ずかしすぎて絶対無理だと思ってしまった。


「それじゃあ、私は行くからー」


 そそくさと帰ろうとする。が、翔太がすかさず呼び止めた。


「あのっ」


「うん?」


「どうも、ありがとう……どんなチョコであっても僕は嬉しいよ」


 藤井は一瞬目を大きくする。


「山田が嬉しいなら、私も嬉しいよ」


 そう言って、優しく微笑んでから去った。


 帰り道でも、藤井の心臓はドキドキしっぱなしだった。自分が告白されたときは軽いノリで言われたものだから、こんなに緊張するものだとは思わなかった。それに、一度振ってしまった相手にこちらから好きって言うなんて、やっぱりできそうにない。


 藤井はこの場にいない翔太に向かって、心の中で嘆願する。


 私も今回頑張ったから、もう一度だけ私に好きって言ってほしい。あれはそのためのチョコってことにしてください。そしたら、ドキドキして死にそうなのを頑張って隠しながら、今度こそ私もちゃんと答えるから。だから、お願い――。



 その晩、翔太は自分の部屋で藤井から貰ったチョコをランドセルから取り出した。開封すると、一口サイズの手作りチョコが十個ほど入っていた。早速一つ食べてみる。


「何だこれは……」


 そのチョコは、ピーマンの肉詰めのような味がした。ピーマンが入っていないのにもかかわらずだ。まさか藤井は翔太のピーマン嫌いを直そうとしているのだろうか。


「何かに目覚めそうな味だ」


 ベッドに座り、窓越しの夜空を眺めながらチョコを口に入れていく。月が綺麗だと思った。チョコの数の対決には負けたが、翔太にとっては一億個の価値があるものとなった。


 そんな風に藤井のチョコを食べていると、翔太はある可能性について考えざるを得なくなる。これは本当にピーマンを克服させるためだけのチョコなのか。もしかしたら藤井は、僕のことが好きになったのではないか、と。だってこっそりチョコを貰ったのは自分だけだし、ここまでしてくれるなんてちょっと普通じゃない。


 しかし翔太は一度藤井に振られている。あとから好きになるなんて、そんな都合のいいことが起こるのだろうか。そんな夢を見ていいものなのか。


 翔太は悩む。一体どっちなんだ?


 卒業まで、残り一ヶ月。

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