バレンタインかくれんぼ①
二月のとある日の帰り道、藤井は宇田川と会った。彼女とは、たまたま会ったときには一緒に帰る仲となっている。取るに足らない会話をしながら歩いていると、ふと宇田川が藤井に尋ねた。
「もうすぐバレンタインデーだけど、結奈はチョコとかあげたりするの?」
「特に考えていないけど」
本当はちょっと考えているが、恥ずかしくてとても言えない。
「山田君にはあげないの?」
「だから、山田のことは好きとかじゃないんだってば」
翔太との関係も宇田川には話してある。翔太を好きになれないと伝えてしまったこと。好きにならなくていいと言ってもらえたこと。彼はまだ藤井のことが好きだが、それについてはお互い気にしないようにしていること。でも翔太が好きだと最近気付いたということに関しては、やっぱり恥ずかしくて話していない。
「チョコくらいあげてもいいのに。日頃の感謝ということで」
「うーん。ウダちゃんは黒田にチョコあげないの?」
「会うだけでも恥ずかしいのに、そんなこと絶対無理」
「黒田はウダちゃんのチョコ欲しいって言ってたよ」
特に意味のない嘘を吐いてみた。
「嘘ね。あのクロ君がわざわざそんなこと言うわけないわ」
「お互いヘタレで何もしないくせに、両想いで理解し合っているのが腹立たしいわね」
「あたしたちは中学校も同じだから、別に焦らなくていいの」
「のんびりしていると誰かに取られちゃうかもよ。黒田ってモテるし……体育の時間だけ」
「知ってる? 中学になると足が速くても別にモテないらしいよ」
「何ですって……!」
驚いたわけではないが、驚いたふりをしてあげる。それから、わざと嫌らしい笑みを浮かべて言った。
「じゃあ、私が黒田を奪っちゃおうかなぁ」
「き、貴様……」
宇田川は般若のような形相で怒りを露にする。
「へへっ、あのときの仕返しー」
小走りで逃げ出す藤井。宇田川は彼女を追いかけてあげた。
「待てー(棒読み)」
藤井からは見えないが、宇田川の怒り顔はすぐに淡い微笑みに変わっていた。
分かれ道のところまで追いかけっこ。それからバイバイをして一人になると、藤井は歩きながら考え始めた。
やっぱりバレンタインというのは好きな人にチョコを渡すものらしい。私がチョコをあげたら山田は喜んでくれるのかな? できれば今度は私の方から気持ちを伝えたいけど、山田には一度好きじゃないって言っちゃったから、やっぱり不安だよ……。
バレンタインデー当日の放課後。三バカはいつもの体育館裏にやって来た。向かい合ってしゃがみ込み、クロが重々しい口調で告げる。
「今年もバレンタインデーチョコ対決を行う」
翔太と矢島も真剣な顔で頷く。クロは続けた。
「今日誰かからチョコを貰った奴はいるか」
三人ともシリアスな雰囲気を纏ったまま微動だにしない。
「なんだ、誰も貰っていないのか」
クロが威圧感のある目付きで二人を交互に睨む。しかし、その表情は不変。
すると藤井もやって来た。どうやらこっそり三人について来たらしい。クロが最初に気付いて顔を上げた。
「おっ、真打ち登場か」
「これで翔太も一ポイントですね」
矢島もそう言って後ろを振り向く。三人が立ち上がると、藤井はワクワクした声色で訊いた。
「こんなところで何の話をしてるの?」
「誰が一番チョコを多く貰えるか勝負しているんです」
「えっ、アンタたちってそんな勝負ができるほどモテるの?」
「去年はクロがお母さんから貰って一個、僕はお母さんと妹から貰って二個、翔太はゼロ個でした」
「うん、なんかごめん。予想以上に低レベルだったわ……。山田の家族はチョコくれないの?」
翔太が口を尖らせて答える。
「うちの母さんはチョコはくれないんだ。お菓子会社の陰謀には乗らないわよって言って」
「そんなお母様からアンタが生まれたのが不思議でならないわ。で、今年の対決はどうなってるの?」
「今のところ全員ゼロだよ。このままだとまた矢島が勝っちゃう」
するとクロが横から口を挟んだ。
「藤井はちゃんと翔太にチョコ持って来たんだろうな? 飼い犬にはちゃんと餌をあげろよ」
「何言ってんの、ちゃんと三人分用意したわよ」
「えっ、俺たち全員にくれるのか?」
「当たり前じゃない」
「おぉ、天使よ……。でもバレンタインとはいえ、あの真面目な藤井が学校にお菓子を持って来るなんてな」
クロが意外そうに言うと、藤井は妖艶な微笑みを浮かべた。
「ふふっ。私、悪い女になっちゃったみたい」
「たかがお菓子くらいで何言ってんだお前は」
「うっさいわね!」
それから咳払いを一つして、三人に向かって言った。
「折角だから、対決を面白くしてあげるわ。何かの遊びで、勝った人に三人分全部あげる!」
「ちっ、俺たちの純粋な気持ちを弄びやがって、この堕天使が」
「なんだと」
矢島は翔太の方を向いて楽しそうに言った。
「三ポイント一気に入るので、全員に逆転勝利のチャンスが来ましたね」
「クイズ番組かよ。でも遊びって、何の勝負するんだ?」
藤井は腕組みをして少し考えたあと、何かを閃いたらしく表情を輝かせた。
「それじゃあ、学校でかくれんぼしよ。私を見つけた人が勝ち」
クロの方はげんなりとした顔になった。
「かくれんぼぉ? 悪い女が急に幼稚になったな」
「鬼がみんなを捜すんじゃなくて、みんなで藤井さん一人を捜すんですね」と矢島。
「私は動き回らないで、一ヶ所でじっとしているわ。見つけられなかった人は、一時間後にここに集まって」
藤井は嬉々として滑らかに説明する。
「それじゃあ私は行くから、一分経ったら捜し始めていいわよ」
そう言って、どこかに走って行ってしまう。まるで嵐のような勢いに三人は呑まれてしまっていた。やがて翔太が独り言のように呟く。
「藤井、なんだか凄く楽しそうだな」
これも三バカと藤井のいい思い出になるのかもしれない。三人は顔を見合わせながらニヤリと笑う。そしてきっちり一分数えたあとバラバラの方向へ行き、彼女を捜し始めた。翔太は校庭、矢島は校舎、クロは校舎の裏庭へ。こうして、バレンタインかくれんぼの火蓋が切られた。
一方その頃、宇田川はクロたちのクラスの教室に来ていた。クロに渡すために頑張ってチョコレートを買ったのだが、いざ当日となるとやはり勇気が出ず出遅れてしまったのだ。出入り口から中を覗くと、既にクロの姿はなかった。こういうとき、三バカは体育館裏で遊んでいることがたまにある。とりあえずそこまで行ってからどうするか考えようと思い、教室から去ることにした。しかし後ろを振り向くと、目の前に大柄な男が立っていた。
「げっ、ゴリ山」
一組の担任の松山先生だ。宇田川のことを疑いの眼で見下ろしている。
「宇田川、なんか甘い匂いがするな。もしかして学校に菓子持って来てるんじゃないのか?」
「先生、なに警察犬みたいなこと言ってるんですか。ゴリラのくせに」
「何だその態度は。宇田川、お前ちょっと職員室までツラ貸せや」
「いいんですか? 下手なことをすると、保護者会が黙っていませんよ」
「あん? 俺はモンスターペアレントにすら屈しない男だぞ。かかって来いや」
「モンスターティーチャーだと……?」
「宇田川。社会ってのはな、筋力の強い者が支配した方が上手く回るんだよ」
「どこの筋肉王国の話ですか」
このままでは埒が明かない。宇田川は松山先生の背後を指差した。
「あっ、あそこにバレンタインチョコを持ってハァハァ言ってる女子が!」
「何ぃ!? 次から次へと!」
その瞬間、宇田川の封印されし第三のストーカー能力が開花した。
「
体中のストーカーパワーを脚部に集中させることによって、瞬間的に物凄いスピードで走ることができた。要するに、運動会のリレーの練習を頑張った賜物である。松山先生が後ろを振り向いた瞬間に素早く廊下の角を曲がり、彼を撒くことに成功した。
そのまま三階から二階へ下りる。だが廊下を歩いていると、前方から大柄な女がこちらへ向かって来た。
「げっ、ゴリ川」
自分のクラスの担任の細川先生だ。宇田川のことを疑いの眼で見下ろしている。
「宇田川さん、あなたから甘い匂いがしますね。ひょっとしてチョコレートを持って来てるんじゃないんですか」
「別にバレンタインチョコくらい、いいじゃないですか」
「ダメです。この日だけOKというルールにするわけにはいきません」
「頭が固いですね。所詮は公務員か」
「宇田川さん、あなたちょっと職員室まで来なさい」
「先生も誰かにチョコあげるんじゃないんですか?」
「先生は学校でそんなことしません。ちゃんとお仕事が終わってから渡します」
「筋肉によらず乙女なんですね。応援してます」
このままでは埒が明かない。宇田川は細川先生の背後を指差した。
「あっ、あそこにカカオ豆を持ち歩いている女子が!」
「何ですって!? カカオ豆はお菓子に含まれないという魂胆ね!」
「疾風っ」
細川先生が後ろを振り向いた瞬間に素早く下駄箱の陰まで走り、彼女を撒くことに成功した。そしてクロの下駄箱の前で立ち止まる。位置はストーカーをしていた頃に調べたので覚えていた。
チョコレートを直接渡すのは諦め、下駄箱に置いてしまうべきか悩む。でもそしたら、意地悪な子やお腹を空かせた子にパクられてしまうかもしれない。やはりなんとかして手渡ししようと思い直した。
昇降口を出て、体育館裏へ向かって裏庭を歩く。すると、前方から大柄な男がこちらへ向かって来た。
「げっ、ゴリラ」
三組の担任の西園寺先生だ。ガタイの良い中年男性で、バナナが大好き。職員室でよくバナナを食べているので、一部の児童からゴリラと呼ばれている。
西園寺先生は宇田川のことを疑いの眼で見下ろした。
「君、なんだかチョコみたいな甘い匂いがするなぁ」
「なんでこの学校の先生はみんな嗅覚が異常に発達しているんですか」
「おっ、お菓子を持ってるって認めたね?」
「違いますよ。シャネルの香水ですよ」
「もっとダメだよ!」
先生どもの相手をするのも、もう飽きてきた。宇田川は西園寺先生の背後を指差した。
「あっ、あそこにチョコレートフォンデュとフルーツ盛り合わせを持ち歩いている女子が!」
「えっ、普通に食べたい」
しかしそこで、宇田川は目を見開く。彼女の差した方向、西園寺先生の大きな体の後ろから、本当に誰かが現れたから。しかもそれは彼女の捜していた愛すべき人物、クロであった。
クロは落ち着いた歩調で二人の間に入り、西園寺先生の前に立ちはだかる。まるで宇田川を守るかのように。
突如現れた男の子が女の子を庇いながら睨んできて、西園寺先生は困惑した。
「えっ、なんで僕がイジメてるみたいな空気になってるの?」
クロは何も答えない。宇田川とは違い、先生には暴言を吐かない程度の分別は身に付けている。その代わり小さな体から無言の圧を発し、じっと西園寺先生のことを見上げた。
すると彼はため息を一つ吐き、
「まあ、お菓子持ってないって言うなら別にいいよ。早く帰ってね」
と言い残して踵を返した。
西園寺先生がいなくなり、宇田川は裏庭でクロと二人きりになった。チョコレートを渡す絶好のチャンスだ。でも恥ずかしさのあまり、反射的に背を向けてしまう。とりあえずコートのポケットからチョコレートの箱を取り出すものの、ただ手に持っていることしかできない。
クロは背後から宇田川に近づき、彼女の肩に手を置いた。
「やっと見つけた」
宇田川はぎゅっと目を瞑って、身をこわばらせる。
「ひぃぃ、犯されるぅぅ」
「犯さねーよ!」
「ク、クロ君……」
「顔見るのが恥ずかしいなら、そのまま目瞑ってろ」
言われた通りにしていると、クロに髪を触れられた。理由は分からないが、どうやら髪にヘアピンを付けられているらしい。
「お前は影が薄いからな。これ付ければ少しは見つけやすくなるだろ」
クロがクリスマスプレゼントとして買ったものだが、渡す勇気が出ず、クリスマス会でプレゼント交換しようとするも結局取り戻した。それから自分の髪に付けられて藤井に笑われ、そのあともずっと取っておいたものだ。そのヘアピンがようやく宇田川の髪に付けられ、白い花を咲かせた。
「代わりにこれは貰っていくぜ」
まだ目を閉じている宇田川の手を取り、チョコレートを勝手に受け取る。
「あっ……」
いきなり手を触れられ、心臓が麻痺するどころか爆発してしまいそうになる。だがどんな形であれ、チョコレートを贈ることはできた。あとはちゃんと彼の顔を見て、目と目を合わせてお話をするだけだ。宇田川は精一杯の勇気を振り絞り、瞼を開く。
しかし、クロはもういなくなっていた。残念なような、少し安心したような。まだ胸の高鳴りは治まらない。とりあえず裏庭から逃げるように立ち去った。
校舎の女子トイレまで行って鏡を見てみると、可愛いらしい白い花のヘアピンが髪に付けられていた。
「むぅ……」
宇田川は頬を膨らませる。こんなもの付けていたら目立ってしまい、ストーカー能力が使えなくなってしまうではないか、と。
いや、そうじゃない。宇田川は首を振った。
あたしはもうストーカーなんかじゃない。いつかクロ君と正面から向き合えるようにならなきゃ――。
そう決意を固めると、両の頬を軽く叩き、ヘアピンを外さないまま帰路についた。
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