喜劇のヒロイン

 バカと煙は高いところが好きで、バカは風邪も引かないらしい。バカにも高所恐怖症はいるし、体調管理ができずに風邪を引く方がバカだという見方もできるが、それはそれとして翔太たちは休み時間の間、冬でも外階段の踊り場で雑談をする。


「翔太よ、藤井はもうお前のこと好きなんじゃないのか?」


 出し抜けにクロが切り出した。


「さあ。分かんない」


「最近いつも一緒に帰ってるじゃねーか」


「でも昨日藤井はウダちゃんと帰ってたよ」


「ああ、あいつら仲良くなったのか。それはともかく、藤井はお前と一緒に帰ってるときどんな感じなんだ?」


「どうって、今までと変わらないけど」


「ううむ。なんかもう、めんどくせーな。よし、今日一緒に帰るとき藤井にチューしろ」


「えっ、いいの!?」


「ああ、俺の予想だと多分いけるはずだ」


「いけるって少年院とかじゃないよね!?」


 今日はクロと翔太で話が盛り上がっている。矢島はクロの話を聞きながら「宇田川さんと両想いなのはもう分かっているのに何もしないお前さんがよう偉そうなこと言えますなぁ」と内心で思うのであった。


 翔太はクロに言われたことを意識してしまい、ドキドキしながら一日を過ごす。すると掃除の時間、まるで狙ったかのようなタイミングで藤井が翔太に言った。


「ねぇ、今日の放課後なんだけど」


「ああ、一緒に帰る?」


 翔太は動揺を悟られないようにして訊いた。藤井は真剣な顔付きで答える。


「ううん、そうじゃなくて体育館裏に来てほしいの。話したいことがあるから」


「え? あ、うん。分かった」


 藤井は頷き、それだけで話は終わった。


 帰りの会の挨拶が終わると、藤井は先に教室から出て行った。翔太も少し時間を置いてから教室を出て、体育館裏まで行く。彼女はシャトルドアの前にある短い階段に座っていた。脇にはランドセルが置かれている。


 翔太が隣に腰を下ろすと、藤井は薄く微笑んだ。


「ごめん、わざわざ」


「大丈夫。それで、話したいことって何だ?」


「うん」


 藤井は遠い目で空を見上げる。


「三人で私に告白してくれたのも、ここだったよね。まあ一人は嘘で、一人は勘違いだったけど」


「ああ」


「私、のことは好きだよ」


 その一言で、翔太はなんとなく察した。藤井がこれから何を話そうとしているのかを。それくらいのことはバカでも分かる。


 そして藤井は、翔太が予想した通りの話を始めた。


「でも、やっぱりそういう好きじゃないみたい。ごめん」


「うん」


「私は、の……」


「うん……」


 藤井が喋れば喋るほど意識が遠ざかりそうになるのを感じた。でも翔太は、気をしっかり持って彼女の話を一文字も漏らさずに聞こうとする。


「山田が私のこと好きって言ってくれているから、私も応えなきゃって思ってはいるんだけど、そう思えば思うほど『好き』が何なのか余計に分からなくなっちゃった」


「そっか」


 藤井はそこで一旦黙った。翔太は何か言わなければと思った。


「藤井ってなんかヤキモチ焼いてるみたいなときもあったから、もしかしたら僕のこと好きになったのかもって思ってた」


「それは、私が頑張って山田を好きになろうとしてたのに、山田の方が他の人を好きになっちゃうのは納得いかなかったから……」


「そっか」


「この前山田に私のこと好きか訊いて『安心した』って言ったけど、それは山田が私のこと好きだからじゃなくて、私の頑張りが無駄にされなかったことに安心しただけだったみたい。そのことに気付いちゃったの」


「そうだったのか」


「わけ分かんなくてごめんね。みんなには分かるのに私だけ『好き』が分からない。みんなできるのに、私にはできない。こんな私で、本当にごめん……」


 藤井は苦しげな表情で俯く。見ているだけでこちらも辛くなってしまう。


「真面目か」


 翔太はそう言って、藤井の頭に軽くチョップをした。彼女が顔を上げたので、あまり深刻になりすぎないような口調で謝る。


「なんか、無理させちゃってごめんな」


 翔太は、恋を知らない藤井に好きな人ができてほしい。その初恋の相手になりたい。藤井は翔太の気持ちに応えてあげたいが、そう意識すればするほど自然に恋をすることができない。お互いのことを大切に想っているのに、歯車は嚙み合いそうで嚙み合わない。


 結局翔太の想いの強さが藤井にはかえってプレッシャーとなり、苦しめてしまっていた。彼女は真っ直ぐすぎるし、まだ子供だから、好きなふりをするとか、とりあえず付き合ってみるなんてこともできない。


 翔太は諦めて、結論を彼女に告げた。


「僕のことは別に、好きにならなくていいよ」


 やっとの思いで、その言葉を口にした。藤井を苦しめるくらいなら、その方がずっとマシだから。


「藤井には、笑っていてほしいんだ」


 翔太も本当は泣きたいほど辛いのに、頑張って笑顔を作っている。


「卒業まであとちょっとだけど、僕はできるだけ藤井に楽しい思い出を作ってほしい。それだけで充分だよ」


 それを聞いた藤井は目を見開き、絞り出すような声で「ごめん」と返す。それから、堪えきれないといった様子でランドセルを急いで背負い、走り去った。


 翔太は座ったまま藤井の後ろ姿を見送る。そして彼女の姿が見えなくなったところでようやく、潤んだ瞳から一筋の涙が零れた。


 一人で学校の敷地内を歩き、そのまま校門を出る。この一週間、藤井と一緒に帰った時間は本当に楽しかった。限られた距離で、上手く話せず気の利いたことも言えなかったけど、ただ彼女と一緒に歩いているだけで幸せだった。そんなことを思い出しながら、帰り道を一人でとぼとぼと歩いて行った。



 翌日の休み時間、外階段の踊り場でクロと矢島に顛末を話した。二人も珍しく気落ちしたような表情になり、残念そうに言った。


「そうか、ダメだったか」


「卒業までに好きになってくれればと思ってましたけど、無理は良くないですしね」


 済んでしまったことは仕方がない。だが翔太には一つ気がかりなことがあった。


「僕のことを好きになれなかったのは藤井のせいじゃないのに、なんで自分を責めるんだろう」


「さあ? 悲劇のヒロインのつもりなんじゃねーの?」


「そんなこと言ったら可哀想です。けど、そうですね。藤井さんは悲劇のヒロインなんて柄じゃない。せいぜい喜劇のヒロインがお似合いです」


 矢島が翔太の意図を汲み取ったかのようにそう言った。喜劇。六年生の国語の授業で習って、漢字練習帳にも繰り返し書いた言葉だ。翔太は頷いた。


「ああ、だから協力してくれ。楽しいことといえば、お前らだろ」


「まっ、俺らの取柄なんてそれくらいだしな」


「自覚あったんですね」


 藤井に恋した瞬間のことを思い出す。藤井にボールがぶつかって慌てていたら、「バーカ」と笑われた。あれから、藤井が笑ってくれるならずっとバカなままでもいいと心のどこかで思っていた。でもきっと、バカなだけじゃダメなのだ。


 翔太は二人に心から感謝し、不敵な笑みを浮かべた。


「卒業まで、真面目すぎる藤井が何も気にする暇がないくらい笑顔にしてやる」



 昼休み、飼育委員のクロが当番なので翔太も飼育小屋に行ってみた。ウサギをちょっと触らせてもらったあと、邪魔にならないよう先に戻ることにした。その途中、校庭の端を歩いていると、どこからかボールが飛んできて翔太の横っ面に直撃した。


「ぐへっ」


 足元に落ちたボールはドッジボール用のものだ。ヘタクソな人が遠くまで投げてしまったのだろう。飛んで来た方向に顔を向け、翔太は驚いた。


 そこには、ボールを取りに来た藤井がいた。昨日の一件以来、まだ言葉は交わしていない。彼女は気まずいやら申し訳ないやらで、どうしたらいいのか分からず慌てている。


「あわわわ……」


 いつも堂々としている藤井がおろおろしているのは初めて見た気がした。それがなんだか可笑しくて可愛らしくて、翔太は思わず笑い声を漏らしてしまう。


 不思議そうにこちらを見る藤井に、翔太はニカッと笑いかけて言ってやった。


「バーカ」


 藤井はハッと息を呑み込む。そしてボールが、翔太から藤井へ投げられた――。


 優しく投げ返されたボールを、呆然とした表情のまま受け取る。少しの間、周りの時間が止まったような気さえした。昨日彼に酷いことを言ってしまったのに、こんなに明るい笑顔を向けてくれるとは思わなかったから。


 やがて、藤井もくすくすと笑い始める。


「ふふふっ」


「へへへへ」


 二人が笑いやむと、藤井は控えめに顔を綻ばせた。


「ありがと」


 それだけ言って、もとの場所へ戻って行った。


 卒業まで残り三ヶ月。ここから先は楽しい思い出だけだ。一回でも多く笑わせて、君を喜劇のヒロインにしてやる。翔太は改めてそう心に誓うのであった。

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