夏祭り①
数日後、三人が市民プールへ行った日の翌日、翔太はいつも通りカブトムシのお世話をしていた。名前はサナダマルである。
餌は毎日夕方に昆虫ゼリーをあげる。スイカはお腹を壊してしまうから良くないらしい。昆虫マットという、飼育ケースの底に敷く土のようなものも毎週取り替える。その際、飼育ケースも水洗いしている。
「サナダマル、大きくなれよー」
残念ながら、これ以上は大きくならない。が、翔太は自由研究という目的も忘れてサナダマルをちゃんと育てている。
サナダマルのお世話が一通り終わると、翔太はクロの家に電話をかけた。
「今度の日曜日のお祭り、一緒に行こうよ」
電話に出たクロにお祭りの話をした。
「ああ、いいぜ。矢島も呼ぶんだろ」
「うん、あと藤井も誘ってみるよ」
「マジか。そりゃ楽しみだな」
「うん。じゃあ六時に公園のとこで」
「おう、じゃあそれで」
クロとの話が終わると、次は矢島の家に電話した。
「日曜日のお祭り行かない? クロはもう誘ったから」
「ああ、それですか……」
てっきりOKしてくれると思っていたが、矢島は乗り気ではなさそうだ。
「どうした? 何か用事でもあるの?」
「実はその日なんですが……」
「うん」
妙な緊張感が走る。一瞬の間を置いたあと、矢島は言った。
「僕は藤井さんに誘われちゃいました。二人で行こうって」
「な、何ーっ!?」
だが驚いたのも束の間、翔太はすぐにけろっとした。
「まあ、一緒に行けないのは残念だけど、良かったな」
「また今度遊びましょう」
「おう。じゃあまたね」
「はいー」
受話器を置き、再びクロに電話をかける。
「もしもし」
「ああ、どうした? もう藤井誘ったのか?」
「それが、矢島がさぁ。藤井に誘われたから二人で行ってくるって」
「な、何ーっ!?」
クロは翔太と全く同じリアクションをして、信じられないという声色で話を続けた。
「よりによって『半ボッキの矢島』を選ぶとは……」
「通り名みたいに言うなよ。それで、矢島が一緒に来れないなら今回はやめとく?」
「バカ野郎! 俺たちも行くんだよ!」
「えっ、クロは俺のことが好きなのか!?」
「ちげーよ! あいつらを見つけて、どんな感じなのかこっそり見てみるんだよ」
「そんなことしていいのかなぁ」
「いいんだよ」
「まあ、面白そうだからいっか」
そしてお祭りの日、翔太とクロは会場の一部である公園に集合した。空は薄暗く、うだるような暑さも少し和らぐ頃合い。公園や大通りに並ぶ屋台の灯りが、町をいつもとは違う色に照らしている。
翔太とクロは早速、屋台巡りを始めた。食い意地の張った二人はひたすら食べ物系のお店を回っていく。ほくほくのじゃがバター、甘いチョコバナナ、キラキラのりんご飴。お祭りならではの味わいに大満足だ。
「クロ、やっぱりお祭りは楽しいな」
矢島と藤井を見つけるために来たのに、すっかり忘れてしまっている。しかし、公園内を一通り見て回ったところで、見覚えのある人物を見つけた。
「あっ、虫のおじさんだ」
翔太が声をかけると、おじさんも二人に気付いた。お祭りでも赤いジャージを着ている。
「やあ、君たちも来てたのか」
「こんなとこで会うなんて思わなかったよ」
「カブトムシは元気かい?」
「うん。ちゃんと世話してる」
「そういえばさっき、この前一緒にいた女の子とメガネの男の子も二人で歩いてたよ」
「えっ、マジで!? どの辺で?」
ようやく本来の目的を思い出す。おじさんは花火の打ち上げ場所のある方角を指差した。
「あっちの方」
「おじさん、サンキュー」
「はぐれちゃったの?」
「いや、そういうわけじゃないけど」
「あれれー。もしかして、あの二人のお邪魔虫をするつもりかい?」
くすくすと嘲笑うおじさん。すると、横で聞いていたクロが口を挟んだ。
「おっさんは一人で何してんだ?」
「何って、お祭りと花火を見に来ただけだけど? 飛んで火に入る夏の虫ってやつさ」
「そっか……強く生きろよ……」
クロはかつてないほど優しい眼差しでおじさんを見た。そして二人はおじさんにお礼を言い、そっとしておいてあげた。おじさんは一人で金魚すくいに夢中になる。自分より遥かに年下の小学生たちが甘酸っぱい青春劇を繰り広げていることも知らずに。
クロは気を取り直して翔太に言った。
「それじゃあ、矢島と藤井を捜してみるか」
「おう」
気合を入れて矢島と藤井を捜し始める二人。しかし人混みの中から見つけ出すのは容易ではなく、なかなか発見できない。しばらく経った頃、クロがふと呟くように言った。
「矢島を選ぶなんて、藤井は意外と面食いだったのかな」
「さあ」
翔太は心ここに在らずという様子だ。
「翔太、このままでいいのか? 藤井が矢島のこと好きになっても」
「一番大事なのは、藤井の悩みが解決することだよ」
「そうか……」
「三人なら、確率三倍だ」
クロはそれには言葉を返さず、子供用の腕時計で時間を確認する。
「もうすぐ花火始まるな。今日は二人に会えないままか」
「そうだなー」
翔太はお祭りで巡った屋台のことを思い出す。クロと行くだけでも充分楽しかったが、今思えばやっぱり藤井も一緒にいてほしかった。だが彼女は翔太の隣にはおらず、矢島と一緒にいる。そんな藤井のことを思い浮かべてみた。想像の中で、彼女は矢島と楽しそうにお祭りを回っている――。
気が付けば、翔太は駆け出していた。
「お、おいっ!」
クロも慌てて翔太を追いかける。翔太は立ち止まらず、人混みの中に藤井の姿を捜す。
恋を知らない藤井の悩みが解決すればそれでいいとクロに言ったばかりなのに、どうしても今、藤井に会いたくなった。この行動の矛盾に自分でも気付かずに。
翔太とクロがおじさんと会った少し前、矢島は藤井と合流していた。藤井はさすがに浴衣まで着て来るようなことはなかったが、お祭りの日に二人で会うだけでも、いつもとは違う雰囲気を纏っているように見える。
「来てくれてありがとう。私、こういうの一緒に行ける人あんまりいなくて」
「いえ、全然! 僕の方こそありがとうございます!」
「たまには少人数なのも、騒がしくなくていいよね」
「はい、全然いいと思います!」
「ふふっ。それじゃあ、行こっか」
翔太とクロとは対照的に、この二人は食べ物をあまり買わず、遊べる屋台に行った。手先が器用な藤井は型抜きも上手だ。射的では矢島が全弾命中させたが、景品は棚から落ちなかった。
しばらく適当にお祭りを回ったあと、花火が見える芝生のエリアにレジャーシートを敷き、腰を下ろした。花火の打ち上げまではまだ時間がある。矢島はずっと気になっていたことを思い切って訊いてみることにした。
「藤井さん、それで、今日はどうして僕だけを誘ってくれたんですか? もしかして僕のことが……」
「えっ? ああ、宿題終わってるのが矢島だけだったから」
「真面目ですか!?」
「こういうことしてみたかったのは本当だし、楽しかったよ。でも……」
藤井は地面の一点を見つめながら、困り笑顔を浮かべる。
「好きっていう気持ちは、私にはまだ分からない。わざわざ付き合ってくれたのに、ごめん」
「いえいえ! 僕も楽しかったし、気にしないでください」
少しの沈黙。それから、矢島が再び口を開く。
「折角なので、藤井さんに伝えておきたいことがあります」
矢島の声が、どこか思わせぶりな響き方をしている。
「何?」
「実は僕、藤井さんに恋とかしてないんです」
「えっ」
「というより、藤井さんと同じなんです。僕も、まだ好きな人なんてできたことはありません。これは、翔太とクロも知らないことです」
これには藤井も驚き、目を丸くした。
「どうして嘘を吐いてたの?」
「最初はふざけていただけで、すぐ白状するつもりだったんです。でも、藤井さんがいきなり真面目な悩みを話し始めたから、つい励ましてしまいました」
「そうだったんだ……」
「ごめんなさい」
「別にいいよ、私のためだったなら」
藤井は力なく笑った。それからふと気付いたことがあり、思い切って尋ねてみることにした。
「ねぇ」
「はい」
「矢島って、いつもあの二人とふざけてバカやってるよね」
「ええ」
「それって、バカなふりをしているだけなの?」
「……どうしてそう思うんですか?」
「こんなこと言うのも悪いけど、矢島って、やっぱり噓くさいのよね」
そう言われて、矢島は目を丸くする。だがそれも一瞬のこと。すぐにいつもの穏やかな表情に戻った。
「そうですね。ここまで来たら、全部話すことにします」
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