夏祭り②
◇◇◇◇
矢島は幼少期から同い年の子供たちと上手く馴染むことができずにいた。思考力が普通の子供より発達していて、周りの子たちが自分より遅れているように感じていた。しかしトラブルを起こさないようにするため、少しずつ他の人たちに合わせていくことを覚えた。幸か不幸か、家族も矢島のことを、周りと打ち解けられるようになった賢い子という程度に認識していて、彼の本当の才には気付いていない。
五年生になったときにクラス替えがあり、早速後ろの席の男子に話しかけられた。
「ねぇ、お前」
山田翔太という男子だ。能天気な顔つきで言葉遣いも失礼だが、気を悪くすることなくにこやかに返事をしてあげた。
「僕は矢島っていいます」
「何か面白いこと言って」
「なんでですか!?」
矢島は仰天した。初めて会話する相手にそんなことを言われるとは思わなかった。
「だって矢島、なんかつまんなそうな顔してるからさ。楽しいこと考えれば楽しくなるよ」
矢島は更に驚く。新しいクラスに心躍らせている様を完璧に演じているつもりだったからだ。しかも楽しませるのではなく、自分自身で楽しいことを考えさせようとするとは。
「いいでしょう」
矢島は天才的な頭脳をフル回転させる。人々の会話における感情の抑揚や、娯楽文化などのデータから最も面白いギャグを算出した。
「コンドルが地面にめり込んどる!」
「あ? 全然面白くねーな」
「なんですって……!」
「いや、なんでそんな有り得ないみたいな反応してるんだ」
高い知能もさすがに万能ではなく、笑いの分野には通用しないようだ。
「それなら山田君も何か言ってみてくださいよ」
「よしきた」
翔太は咳払いし、得意顔になった。
「布団が……」
もうオチが読める。これもベタなダジャレだ。
「吹っ飛ばなくて良かったね」
「一体何があったんですか?」
思っていたのとなんか違った。
「今の面白いだろ?」
「いえ、面白くはないです」
「何ー!」
矢島は翔太と話しているうちに、彼に興味を持った。同級生たちの中でも突き抜けたバカだが、彼は矢島でも想定できない言動を繰り返し、逆に矢島の知性を刺激した。矢島は翔太と行動を共にし、翔太の言う「面白いこと」にその知能を使うようになった。
大体毎日様子がおかしい二人を見かねて、クラスメイトの一人が声をかけてきた。
「お前らいつも何やってるんだ? 気持ちわりーな」
その黒田という男子は、同じクラスになってまだ日が浅いというのに随分な悪態をついてきた。
「黒田君、ちょうど新しいギャグを発明したので見てもらえませんか?」
「ギャグだと? 言っておくが、俺はお笑いには厳しいぞ」
クロはお笑いに限らず、大体何にでも厳しい。
「ふっ、望むところです。山田君、やっておしまい!」
「ハワイアン・地獄体操!」
上半身はフラダンス、下半身はコサックダンスという動きを始める翔太。上半身はゆらゆらゆったりしているのに、下半身だけ機敏に動いていて気色が悪い。クロは顔をしかめた。
「なんだ? お前ら死ぬほど面白くねーな」
「なんですって……!」
クロですらドン引きだ。けど二人と話しているうちに、クロは彼らに興味を持った。以下同文。
◇◇◇◇
一通り話し終えると、矢島は遠い目で夜空の星々を見上げた。
「こうして、笑いとは何かを探求する長い道のりが始まったのです」
「いや、何の話よ!」
「何って、僕たちのシリアスな過去編ですが?」
「ですが? じゃないわよ! 最初だけそれっぽかったけど、大体ふざけてるだけだったじゃない!」
「ハハハハ、褒めても何も出ませんよ」
藤井は呆れてため息を吐く。それから顔を曇らせ、申し訳なさそうに言った。
「でも、噓くさいなんて言ってごめん。矢島がそういう人だったなんて知らなかったから……。そっか、そういう人もいるんだね」
「今の話自体は信じてくれるんですね?」
「うん……それは嘘じゃないと思う」
矢島とはずっと同じクラスであったが、確かに最初だけ近寄りがたい雰囲気があったことを薄らと記憶している。やがてクラスメイトと馴染んでいったが、藤井は彼の社交性に対して徐々に違和感を覚えるようになっていった。
自分の話を信じてもらえて、矢島は嬉しそうに微笑んでいる。
「とにかく、藤井さんは僕が噓くさいと見抜きました。それは僕にとって、ほとんどないことです」
藤井はふと何かを思い出したかのように言った。
「ああ。私、今の話聞いて分かっちゃった」
「何がです?」
「どうして好きな人ができないのか。私、たぶん心のどこかで男子をバカにしていたんだと思う。私たちは似た者同士だったんだね」
矢島はそのことについては何も言わなかった。その代わり藤井の最初の質問に答えた。
「とりあえず僕は、バカなふりしてるなんて、そんなつもりはないですよ。ただ毎日楽しいだけです」
藤井も何も言わなかったが、何かを感じていた。二人は安易に返事をしてはいけない大事な想いを交換したのだ。
もうすぐ花火が始まる。今か今かと待ち焦がれる人々の息遣いが聞こえてきそう。そんな中、このレジャーシートの上だけは水のように透き通った沈黙で包まれていた。
「ねぇ」
「はい」
「他の二人も嘘だったの? 私を好きって言ってたの」
「それは、見ていれば分かります」
次の瞬間だった。前方から、座っている人たちの間を縫って誰かが走って来た。
「藤井っ!」
翔太だ。物凄い勢いで向かって来るので、二人は咄嗟に立ち上がった。翔太はそのまま、二人の前の地面に派手に転んだ。
「いててて……」
「山田!?」
「しまった! こっそりついて行くはずだったのに!」
クロが少し離れた場所から、翔太を見て大笑いしている。矢島はいつの間にかいなくなっていて、クロのところに向かっていた。
翔太は立ち上がり、藤井の方を向いた。汗だくで息は絶え絶え、体中が土と草で汚れてしまっている。そんな彼を見て呆気に取られている藤井。
「ど、どうして山田がここにいるの?」
「はぁ、はぁ。どうしてって、それは……」
別に二人の恋路を邪魔しに来たわけではないし、そんなこと考えたりもしない。ではなぜ、わざわざここまでやって来たのか。答えはシンプルだ。
「藤井が好きだからだよ」
なんてことのない、当たり前のことのように平然と言った。思いっきり目が合っていたので、藤井は思わず顔を逸らした。
「そっかぁ、好きだからかぁ。ふーん……」
過程が全てすっ飛ばされたよく分からない理由なのに、なぜか分かったようなふりをしている。しかし、藤井は何かに気付いたようにハッと息をした。
「あ、私が矢島と来たのはそういうのじゃなくて、宿題終わってるのが矢島だけだったからだよ!」
訊かれてもいないのに慌てて弁明する。
「そうだったの!?」
「そりゃあ、宿題終わってない人を遊びには誘えないでしょ」
「真面目か! てっきり矢島が好きだから一緒に来たんだと思ってたよ」
「違うけど……やっぱりそういうときって焦ったりするものなの?」
「え? ああ、確かに僕なんでこんなに慌ててたんだろ……」
独り言のように呟いた瞬間、頭上から太鼓のような大きな音が聞こえた。
「あ、始まった」
藤井が嬉しそうに声を上げた。次々と花火が打ち上がり、夏の夜空に光の花が咲き乱れる。矢島とクロもやって来て、四人で一緒に花火を見上げた。
「綺麗……」
うっとりとした表情を浮かべる藤井。花火に照らされる彼女の横顔に向かって、翔太とクロと矢島は順番に口説き始めた。
「君の方が綺麗だよ」
「君の瞳に乾杯☆」
「恋は炎色反応、一瞬の煌めき」
「うっさいわよアンタたち!」
花火が終わって自転車置き場に向かっているとき、翔太はクロに、なぜ藤井が矢島を誘ったのかという理由について教えてあげた。宿題を終わらせていたのが矢島だけだったからだと。
「真面目か!」
リアクションは三人とも同じであった。人混みの中、翔太とクロの後ろを歩いている矢島が、隣の藤井にそっと話しかけた。
「あの二人にも白状しないといけないですね。僕は藤井さんが好きってわけじゃないこと」
「まだ伝えなくてもいいんじゃない」
「えっ、どうしてですか?」
「……なんとなく」
藤井の心には、花火が上がる前に自分のもとへ走って来た翔太の必死な顔が強く焼き付いていた。彼のあんな表情を見たのは初めてだったので、思い出すと胸の音が少し大きくなってしまう。
そのあと、自転車で帰っている途中、クロと矢島の帰り道が別方向になり、そこで別れた。翔太は藤井と二人きりになった。ちょっとドキドキして、いつもの調子で喋ることができない。そうこうしているうちに、藤井とも別れる地点まで来てしまった。
「じゃあ、またね。今度こそ宿題ちゃんとやりなさいよ」
藤井はまるでお母さんのように口を酸っぱくして言う。そこで翔太は閃いた。
「そうだ。宿題終わらせたら僕ともデートしてよ」
「べ、別に今日のはデートってわけじゃないし。うーん……」
藤井は少し考えてから、ためらいがちに口を開いた。
「まあ、山田がそれで宿題頑張れるならいいけど……」
「やったー! ありがとう!」
翔太の喜び方が無邪気な子犬のようなので、甘い雰囲気にはならない。藤井にはそれがなんだか可笑しくて、思わず笑ってしまった。
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