怪奇!虫おじ登場!

 普段の矢島からは想像できない一面に胸の音がドキリと響く。彼の背中は何も語らないが、いつもより頼もしく見える。対して、翔太とクロはおじさんに近づいて行った。


「正子っておじさんだったのかぁ」


「それはねーだろ。おい、おっさん誰だ? 森のエルフか何かか」


 よく見てみると、おじさんは懐中電灯の他に虫取り網と虫カゴも持っていた。彼も四人を見て戸惑っている。


「えぇ……。僕は虫を捕まえに来ただけだけど、君たちの方こそ子供だけで何してんの?」


 翔太が代表して質問に答える。


「僕たちは肝試しをしてたんだ。でもなんでこんな時間に虫を?」


「クワガタは大体今くらいの時間によく取れるんだよ」


「へー、でも僕はカブトムシの方が好きだな」


「ふっ、クワガタの良さが分からないなんて、やっぱりお子様だね。ぷー、くすくす」


 後ろで聞いていた藤井が苦笑いを浮かべる。


「私にはどっちも同じようなものだけど……」


 するとおじさんは鼻で笑った。


「ふっ、これだから女は……」


「ロマンというものが分かってないよなぁ」と翔太。


「アンタらすぐに仲良くなってんじゃないわよ。とりあえず悪い人じゃなさそうで良かったけど」


 いつも通りツッコむ藤井をよそに、今度はクロがおじさんに絡み始める。


「おっさん、俺たちに虫くれよ。カゴごとな」


「おいおい、それはちょっと虫が良すぎるよ」


「上手いこと言ってんじゃねー!」


「えぇ、まさかこんな子供にカツアゲされるとは思わなかった……」


 そう言いながら、おじさんは虫カゴを見せてくれた。


「たまたまいたカブトムシならあげるよ。僕カブトムシあんまり好きじゃないんだよね、ダサいし」


「じゃあなんで取ったんだよ」


「デパ地下で試食コーナーがあったら、大して好きじゃないものでもとりあえず食べてみるでしょ?」


「微妙に分からなくもないのが腹立つな」


「じゃあこれあげる」


「サンキュー」


 クロはカブトムシを受け取り、それをそのまま翔太の方に差し出す。


「ほらよ」


「え、僕が貰っていいの?」


「お前自由研究で虫の研究するんだろ。おっさんがケチだから一匹しかくれないし」


「やったー! あ、でも入れるものがないや。家には何かあると思うけど」


 すると、おじさんはるんるん気分になって言った。


「とりあえずビニール袋もあげるよ。でも嬉しいなぁ、最近の子はゲームばっかやってて、若者の虫離れが起こってるから」


「名前は何にしようかな」


「へぇ、君も虫に名前付けるんだ」


「うん、やっぱり呼び名があった方がいいと思うんだよなぁ……」


 翔太は少し考えてから、ポンと手を打った。


「よし、名前はサナダマルにしよう。忍者みたいでカッコイイだろ」


「なんか、寄生虫みたいな名前だね!」


 もはやこの二人に誰もツッコまないが、翔太は楽しそうに頷き、今度は藤井の方を向いた。


「藤井、見て見てー。カブトムシ貰った」


「きゃっ、それ持って近寄らないでよ」


「別にいいじゃん、ほれほれー」


「やーめーれー」


 はしゃぐ二人を見て、おじさんはうんうんと顔を綻ばせている。そして、口元にニヤリと笑みを浮かべて言った。


「ねぇねぇ。もしかして、君ってその子のこと好きなの? なーんちゃって、ふふっ」


「えっ、そうだけど?」


「普通に返された!?」


 ショックで肩を落とすおじさん。藤井は正体不明の気恥ずかしさを覚える。おじさんはしょぼくれながら続けた。


「最近の子供は進んでるなぁ……。僕とは大違いだよ」


「おっさん、結婚とかしてないのか?」と、クロが横から口を挟んだ。


「結婚どころか彼女もいないよ。虫にだって彼女がいるというのにね……」


「おっさん、虫以下の存在だったのか……」


「親にも早く結婚しろって言われてるんだけどね。おじさんはもう虫の息ってやつさ……」


「このおっさん、ちょいちょい虫ジョークを挟んでくるのがウザいな」


「やっぱり君は棘があるなぁ。苦虫を噛み潰したような顔をして、虫の居所が悪いのかい?」


「しつけえよ!」


 すると、ふいに生温い風が林の中を吹き抜けた。枝葉の音が波のように寄せては返す。矢島は隣にいる藤井に声をかけた。


「急に風が出てきましたね」


「ざわざわしてなんだか不気味ね。ねぇ、そろそろ帰ろうよ」


 おじさんも辺りをきょろきょろと見回している。


「虫の知らせってやつかな。そういえばさっき、霊がいるとか言ってなかった? 僕弱虫だからそういうの困るんだよね。ここは昆虫採集の縄張りにもしてるし」


「霊よりお前の方が怖いわ」


 クロが物怖じせずに暴言を吐くので、藤井が頭を引っぱたいてからフォローした。


「正子っていう二十七歳のくたびれたキャリアウーマンがいるんですけど、霊っていうのは正子の特殊能力で、えっとその……」


 律儀に説明してあげる藤井に、三人は口々に言った。


「お前何言ってんだ、正子なんているわけないだろ」


「現実を見ましょうよ」


「僕たちもうすぐ中学生なんだぞ」


「アンタたち絶対殺す」


 藤井が怒り出したので、翔太は楽しそうに駆け出した。


「ぎゃー! 逃げろー! 正子の霊が乗り移ったぞー!」


 みんな翔太に続いて走り出し、おじさんもついて行った。


「おーい、君たちー」


 林から出たところで四人はようやくおじさんもいることに気付き、クロが言った。


「なんだ、おっさんも来たのか」


「途中まで一緒に帰ろうか。怪しい人見つかったら危ないしね」


「お前より怪しい奴なんてなかなかいないけどな」


「辛辣ぅ」


 夜の町の中を五人で歩いて行く。おじさんはどう見ても子供達と虫取りをしていた人にしか見えないので、怪しまれることもなかった。家に向かう途中、おじさんがお腹をさすりながら言った。


「もうお腹ペコペコだよぉ」


 それを後ろで聞いていた藤井が控えめに指摘する。


「そこは、お腹の虫が鳴るって言わないんだね……」


「しまった! 僕としたことが!」


「ギャハハ! 一本取られたな」


 クロが笑いながらおじさんの背中を叩くと、みんなも笑った。


 ふと、藤井が隣を歩く矢島の方を向いて言った。


「そういえば矢島、おじさんと会ってからは大人しかったね」


「ああ、こういうときは翔太とクロに任せておけばいいんですよ」


「ふうん?」


 矢島は、我が子を見守るお父さんのような眼差しで翔太とクロを見ている。藤井はそんな矢島の横顔をしばらく見上げていた。


 それから、住宅街の一角でおじさんと別れることになった。


「じゃあね、みんな気を付けて帰るんだよ」


 翔太は元気よくおじさんに手を振る。


「おじさん、カブトムシありがとう! 大切にするよ」


 おじさんも満足気な笑顔を浮かべる。それから手を振り返し、どこかへ去って行った。矢島がクロに向かって言う。


「普通に帰って行きましたね」


「結局あのおっさん、本当にただのおっさんだったのか」


「こういうのは、ふと振り返ったらいなくなっててゾクリとするのが怪談のお決まりなんですけどね」


「そういえば今日は肝試しに来てたんだった。すっかり忘れてたぜ」


 四人は黙って互いの顔を見合う。そして、同時に叫んだ。


「おじさんが不審者じゃなくて良かった!」

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