藤井んち

 一学期はあっという間に終わり、終業式の日を迎えた。


「じゃあな、藤井。また二学期にな」


「えっ、あ、うん。またね」


 翔太は帰る前に、教室でちゃんと藤井にも挨拶をしておいた。藤井とは五年生から同じクラスだが、こういうのは初めてのことだった。藤井は少し驚いていたけど、悪い気はしていなさそうだ。


 そして、待ちに待った夏休みが始まる。一週間が過ぎた頃、翔太は自宅の近くにある図書館へ行った。母親に夏休みの宿題を早めにやれとしつこく言われたからだ。よく晴れた空の下、図書館の駐輪場に自転車を駐めて、入り口へと向かう。すると、その建物から見知った顔の人物が出て来た。


「あっ、山田」


 藤井だ。夏休みだから赤いランドセルではなく白いバッグを肩に掛けている。ちょっとカッコつけて「また二学期にな」と爽やかに言ったのに、すぐに再会してしまった。でも、夏休みにも彼女に会えたことは嬉しい。


「藤井っ」


「どうしたの? 世界一図書館が似合わない男がこんなところに来て」


「いやぁ、母さんが読書感想文の本早く借りて来いってうるさくてさぁ。まあ、どうせ借りても読まないんだけど」


「相変わらずねぇ」


「藤井も読書感想文の本借りたのか?」


「私? 読書感想文なんてもう書いたわよ」


「マジで。いいなぁ、宿題もう一個片付けたのかぁ」


「……一個っていうか、もう全部終わったけど」


「はぁっ!?」


 思わずのけぞって驚いてしまう。


「え、自由研究も計算ドリルも!? だってまだ一週間しか経ってないよ!?」


「私、最初に全部終わらせて、あとはゆっくりするタイプだから」


「天才少女でしたか、あなたは」


「いや、そんな大袈裟なものじゃないけど……」


 翔太は背筋を伸ばし、かしこまった様子で言った。


「そんな天才少女であるあなたにお願いがあります」


「何なの、そのキャラ」


「宿題手伝ってください!」


 両手を合わせて頭を下げる。


「えぇ、ちゃんと自分でやりなさいよ」


「だって僕、いつも夏休みが終わってからヒーヒー言うタイプだからさぁ」


「せめて最後の日にヒーヒー言いなさいよ!」


 藤井は頬に手を当てて考えた。


「うーん。教えるのはいいけど、山田は絶対図書館じゃ静かにできないだろうし……」


「僕は赤ちゃんじゃないぞ」


「じゃあ、明日うちに来てやる?」


「マジで!」


「残りのバカ二人も呼んで来て」


「え。いいけど、なんで?」


「だって……男子一人だけ呼ぶのって何か変じゃない?」


「そうかなぁ」


「何が変なのかは自分でも分からなくて不思議なんだけど……」


 そう言って翔太から目を逸らし、指先で髪をいじる。


「よし、あいつらもどうせ暇だから呼んでみるよ」


「うん、分かった」


 それから、二人で明日の待ち合わせ場所と時間を決めた。


「ところで、宿題が終わってるなら、藤井は何しに図書館に来たんだ?」


「普通に読みたい本を借りに来ただけだけど?」


「宿題以外で図書館に来るなんて、藤井はヤベー奴だな」


「ヤバくはないわよ!」



 翌日のお昼過ぎ、翔太が自転車で待ち合わせ場所に行くと、既に自分以外は揃っていた。みんな翔太と同じように自転車に乗っている。軽く話をしてから、藤井が先頭になって走り出した。


 藤井の家は大きなマンションの五階にある部屋だ。エントランスの自動ドアからオートロックになっており、藤井がセンサーに鍵を近づけると開いた。翔太が初めて見るシステムであったので、それだけでちょっとワクワクしてしまう。


 玄関に入ると、廊下の奥のドアから母親らしき人が顔を覗かせ、「あらっ」と興味津々な声を上げた。


「お邪魔しまーす」


 三人で声を揃えて挨拶する。


「お母さん、友達連れて来たよ」


「あらぁー」


「飲み物とか自分で持って行くから、部屋まで来なくていいからね」


「あらあら」


 母親は奥に引っ込んでドアを閉める。すると、翔太とクロが心配そうに藤井を見た。


「藤井の母さん、『あら』という言葉しか喋れないのか?」


「お前の家って大変だったんだな。俺、来月からはお前に優しくするよ」


「普通に喋れるわよ! 失礼ね! てか、なんで来月からなのよ!」


 早速、藤井の部屋に案内してもらう。一人っ子である翔太は女の子の部屋を見るのも初めてなのでドキドキした。


「どうぞ」


 藤井の部屋は予想以上にシンプルだった。学習机と本棚とタンスとベッドはあるが、ぬいぐるみや女の子らしい可愛い小物などはない。彼女はどちらかと言えば真面目でさっぱりとしたタイプだが、これは男子の部屋と言われても信じられる素朴さだ。部屋の真ん中には、木製の折り畳み式ローテーブルが置いてある。みんなで宿題をするから別の部屋から運んで来てくれたのかもしれない。


 三人はそれぞれ持って来たお菓子を出してローテーブルの周りに座り、藤井は人数分のオレンジジュースを用意して学習机の椅子に座った。準備が完了すると、翔太はまず自由研究の話を始めた。


「藤井は自由研究何やったんだ?」


「私はこれよ」


 藤井が机の上から取ったのは、大きな瓶を再利用した手作りのスノードームだ。


「のりを水で薄めると、スノードームの中の液体が作れるのよ。ただ作るだけじゃなくて、飾りの形や重さによって動きがどうなるのかとか、なぜそうなるのかとか、ちゃんとまとめたわ」


「すげー」


 翔太は目を輝かせる。スノードーム自体は作るのにそれほど時間はかからないが、藤井の作品は内部の飾りが細部まで作り込まれていた。瓶の蓋が下側になるようになっていて、白い鳥や雲、ラメパウダーがゆらゆらと揺れている。空の世界を表現しているようだ。


「ふふん。アンタたちも、テーマだけでも今日決めちゃいなさい」


 翔太が図書館で借りてきた、色々な自由研究を紹介する本を開いて三人で見た。


「僕、昆虫を育てたいな。今までペットとかも飼ったことないんだよね」


「それなら昆虫採集したり、標本を作ったり、色々できるわね。ちょっとガキっぽいけど定番だし、いいんじゃない?」


 続いてクロと矢島も本を見ながら自分のテーマを決め、藤井がポンと手を叩いて言った。


「じゃあ自由研究のテーマは決まったし、あとはそれぞれ計算ドリルとか読書感想文とかを進めてね」


「藤井は何をしているんだ?」


「私は漫画でも読んでるわ。分からないところあったら言って」


 そう言って藤井は本棚から漫画本を取り出した。それは少年向け雑誌で連載されているバトル漫画の単行本であった。


「藤井もそれ読むんだ。女子は少女漫画が好きなのかと思ってた」


「少女漫画は読まない。だって恋のお話って、何が起こっているのかよく分からないんだもん」


「そこまでか」


 雑談もそこそこに、三人は宿題をやり始める。分からないところは藤井に教えてもらった。彼女は人に勉強を教えるのも上手い。だが翔太が段々飽きてきて、また喋り始めた。


「そうだ、このあとみんなで肝試しに行こうよ」


 漫画を読んでいた藤井が翔太の方を向いた。


「肝試しぃ?」


「僕たちの毎年の恒例行事でさ、夜の林に行くんだ。藤井も来なよ」


「私はいいけど……お母さんに聞いてくるね」


 藤井は部屋から出て行き、ほどなくして戻って来た。


「門限までに帰って来るならいいって。宿題はちゃんとやりなさいよね」


「やったー!」


「ギャハハ、今年は気合い入るな」


「藤井さんにいいところ見せないとですね!」


 喜ぶ三バカ。藤井はそんな彼らの宿題を上から覗く。


「矢島はメガネをかけてるだけあって結構進んでるわね」


「メガネを一体何だと思ってるんですか?」



 翔太たちは一旦解散し、空が薄暗くなる頃にまた集合した。自転車を雑木林の近くに駐め、それぞれ懐中電灯を手に持って中に入っていく。


「うぅ、やっぱり夜だと雰囲気あるわね……。ちゃんと門限までには終わらせてよね」


 普段は堂々としている藤井も、さすがにちょっと怯えている。翔太は必死の形相で彼女に声をかけた。


「気を付けろ、ここには正子まさこの霊が出るぞ」


「正子って誰!?」


 翔太は咳払いをして、怪談めいた不気味な声で話し始めた。


「正子は二十七歳のくたびれたキャリアウーマンで、休みの日には何をするわけでもなく、近所の公園で遊んでる子供たちをただじっと見つめているんだ……。怖いだろ?」


「確かに怖いけど、なんか思ってた怖さと違う……。ていうか霊じゃないじゃん。生きてるじゃん」


「自分の霊を出すのが正子の特殊能力だからだ」


「バトルものだったの!?」


「小さい頃は母さんによく言われたなぁ。早く家に帰らないと正子が出るぞって」


「子供の躾け方が独特すぎる家庭ね」


 話を聞いていたクロと矢島は満足気に息を吐いて言った。


「ひぇー。マジこえーな、正子」


「ふぅ、今年の肝試しはいつもより一段とキレがありますね」


「アンタたちって毎年こんなアホなことやってるの?」


 呆れる藤井に向かって、翔太が言った。


「次は藤井だぞ」


「何が?」


「夜の林を歩きながら、一人ずつ怖い話を披露するのが僕たち流の肝試しなんだよ」


「えぇ……」


 自分も話すことになるとは思っておらず、焦る藤井。三バカが期待の眼差しを向けている。


 怖い話のレパートリーなんて何もない。仕方がないので、別の方法で怖がらせることを思いついた。


「キャー! あそこに正子の霊がいるわよ!」


 そう言って、藤井は翔太の背後を指差した。もちろん幽霊なんていない。ただ藤井も一緒にはしゃぎたくなっただけ。


 そのはずだった――。


 だがそこには、赤いジャージを着た小太りでメガネのおじさんがいた。


「いや誰よ!?」


 藤井が思わずいつもの癖でツッコミを入れると、三人は後ろを振り返った。こんな夜の林で見知らぬ男と出くわすなんて物凄く危ない状況なのかもしれないと、藤井は焦り始める。


 すると、矢島が藤井を守るように立ちふさがった。


「え……?」

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