問1 藤井さんのことを好きになった理由を述べなさい

   ◇◇◇◇


 翔太は五年生になったときのクラス替えで初めて藤井と出会った。真面目そうで、他の女子より少し近寄りがたい雰囲気があるというのが彼女に対する第一印象だった。


 とある春の日の昼休み、クラスの男子とドッジボールをしていたときのこと。翔太が外野にいるとき、相手チームの内野がボールを思いっきり投げ、コートの外側まで飛んで行った。翔太がそれを追いかけると、校庭の隅を歩いていた藤井の腕にボールが当たってしまった。


「あ、あ、あ、あのっ」


 翔太は焦った。藤井が怒ると思ったからだ。それにまだ、彼女とは話をしたこともなかった。


 藤井はボールを拾い上げ、翔太の方に目をやる。そして、あわあわと慌てふためいている翔太を見て、思わず噴き出した。


 怒っていると思っていた彼女が、くすくすと声を漏らしている。


「バーカ」


 そう言って優しく微笑んだ。その笑顔は、彼女に対して抱いていたイメージよりずっと可愛いと思った。それが初めて彼女と話した瞬間であり、バーカの「カ」まで言い終わったあと、翔太は恋に落ちていた。


 藤井はボールを投げ返す。ようやく我に返った翔太はそれを受け取った。


「あ、ありがとう」


 一言だけ返して、そそくさとコートへ戻る。こんなに胸がドキドキしたのは生まれて初めてのことであった。


   ◇◇◇◇


 三人で藤井に告白した翌日の掃除の時間、翔太は藤井に声をかけられた。


「ねぇ、ちょっといい?」


「ああ、僕たちの新婚旅行の話か? 一泊二日だ」


「なんでそこから決めるのよ! ていうか短いな!」


「その話じゃないなら、何なのさ」


 藤井は気を取り直すように咳払いをしてから言った。


「昨日は私、先に帰っちゃったけど、もう一度ちゃんと話がしたいの。だから放課後にまた三人で体育館裏まで来て」


「今度は藤井から呼び出しか。嬉しいなぁ」


「なんか腹立つわね」



 放課後、三人で集まり、和気あいあいとした調子で待ち合わせ場所に向かった。


「藤井はやっぱり僕を選ぶんじゃないかな」


「いやいや俺だろ」


「三人ともOKかもしれませんよ」


 ドキドキしながら体育館裏に着くと、藤井が仁王立ちをして待っていた。


「来たわね」


「決闘でも始まるのか?」


 思っていたのと違う雰囲気に恐れおののく翔太。藤井はビシッと指を差す。


「三人ともそこに座りなさい!」


「はい」


「はい」


「はい」


 言われるがまま、体育館の裏側のシャトルドア前にある短い階段に、横一列になって座った。真ん中に座ったクロが口を開く。


「それで、何を話したいって言うんだ?」


「うーん……。まずもう一回確認するけど、アンタたちは本当に私のことが好きなのよね?」


「ああ、カレーライスより好きだぜ」


「いえいえ、お寿司より上ですよ」


「僕はチョコアイスが好きだ!」


「アンタたちの好きな食べ物は聞いてないわよ!」


 すかさずツッコミを入れる藤井に、翔太は眉をひそめた。


「何だ、僕たちの気持ちが信用できないのか?」


「そうねぇ……。それじゃあ、どうして私を好きになったのか理由を教えて。まず山田から」


「一人ずつ言うのか」


「まるで授業みたいですね」


 翔太は悩んだ。あの出来事について話すのはちょっと恥ずかしい。まるで、バカと言われて好きになったヘンタイみたいだ。とりあえずは咄嗟に思いついたことを言ってみることにする。


「か、可愛いから」


「うーん……」


 藤井は腕を組んで考え込み、やがて口を開いた。


「六十点」


「点数だと!?」


「それで恋をするというのは私には分からないけど、言われたら普通に嬉しいわね」


 品評会の審査員のように落ち着いた口調だ。翔太は呆然とし、クロと矢島は向き合って話し始める。


「いや、こいつ全然動じてないぞ」


「女子って可愛いって言われたら、恥ずかしがったりキャッキャするものじゃないんですか!?」


 すると藤井は思い出したように言った。


「確かに女の子も、かっこいい男子を好きになる子は多いわね」


「僕たちの中では、誰が一番かっこいいと思う!?」


 復活した翔太が威勢よく訊く。


「そうね……見た目なら矢島かな」


「うごっ。まあ、矢島は背も高いしな」


「でも騙されるな。こいつはちょっとヘンタイだぞ」


 クロがそう言って指差すと、矢島は顔の前で両手を組み、瞳をきらきらと輝かせた。藤井は言い知れぬ恐怖を感じ、震える声で言った。


「いや、本当に見た目だけの話だから……」


「念押ししないでくださいよ!」


 藤井は気を取り直して話を続ける。


「じゃあ次、黒田の番」


「ああ、俺か」


「うん」


 藤井に真顔でじっと見つめられるクロ。思わず大声を上げた。


「バ、バッカじゃねーの!? 別にお前のことなんか好きじゃねーし!」


「今更何言ってるのよ!?」


 翔太が横からフォローしようとする。


「いや、これはあれだよ、何て言ったっけな……。ああそうそう、思い出した。タンドリー」


「ツンデレですよ、翔太」


「矢島は今のでよく分かったわね」


 藤井は口元に手を当てて困惑していた。クロがこんな回答でも採点を促す。


「それで、これは何点になるんだ?」


「うーん、ちょっと面白かったから五十点」


「もはや何の点数だよ」


 続いて藤井は矢島の方に向き直った。


「次、矢島。期待してるわ」


「はい、僕は藤井さんが体育で走るときのフォームが好きです!」


「二点」


「早い!」


「なんか思ってたよりヘンタイだったから」


「まさかの一桁とは……」


 一瞬で斬り捨てられた矢島は魂が抜けたように俯く。しかしその顔には、戦いを終えた戦士のように穏やかな笑みが浮かんでいた。


 翔太とクロは全く気にせず、口々に言った。


「まさか藤井にツッコミの才能もあったとはな」


「ああ、また藤井のいいところを一つ見つけてしまったぜ」


「そういえば、この前モップでリンボーダンスしてるときに藤井が来て――」


 二人はそっちのけで、藤井トークで盛り上がり始めた。藤井は苦笑いを浮かべている。


「なんかアイドルファンの集まりみたいになってきたわね。私そんなキャラじゃないのに……」 


 クロがニヤニヤと笑う。


「嬉しいだろ?」


「いや、普通にキモいけど」


 翔太も援護射撃を撃つ。


「よっ、藤井は今日も可愛いな」


「うっさいわね! どうもありがとね!」


 そうこうしているうちに矢島が甦り、ひと段落ついた空気になった。


「じゃあ私はそろそろ帰るわ。参考になるか分からないけど、お話どうもありがと」


 藤井は近くに置いておいたランドセルを背負って去ろうとした。


「おう、気を付けろよ」とクロ。


「僕たちはハワイアン・地獄体操をしてから帰るか」


「何その遊び!?」


「藤井も一緒にやるか?」


「やらんわ!」


 藤井は今日一番の鋭い声でツッコミを入れ、帰っていった。



 その晩、藤井家の食事時のこと。帰宅した父親が藤井の様子に気付き、声をかけた。


「なんだ、結奈ゆいな。今日はやけに上機嫌じゃないか」


「べっつにー?」


「いやいや、さっきからずっとニヤニヤしてるぞ」


 父親の言う通り、晩御飯を食べている藤井は、嬉しさを隠しきれないという顔をしていた。


「友達に褒められただけっ」


 藤井はそう言ってクシャっと笑った。母親もそんな彼女を見て、あらあらと微笑んでいる。


 結局その日、彼女のニヤニヤは眠っている間ですら止まることはなかった。

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