問1 藤井さんのことを好きになった理由を述べなさい
◇◇◇◇
三人寄れば文殊の知恵、という言葉がある。だがこの小学校には、三人寄ると知能が低下する少年たちがいた。自称口内炎のクロと、ボールをぶつけた翔太と、メガネの矢島。昼休みの時間にはよく三階の廊下から外階段に出て、踊り場で他愛のない話をしている。時は平成、空は快晴、彼ら小学六年生。これは藤井に告白する少し前のこと。彼らはいつもの場所にやって来て座り込んでいた。
学校はもうすぐ夏休み。三人で何をしようかという話をひとしきりしたあと、翔太は青い空と白い入道雲を眺めながら呟いた。
「これが最後の夏休みかぁ」
普段は能天気な翔太が意味深な様子で言ったので、クロは不思議そうな顔をした。
「それがどうした?」
「好きな人ができたんだけど、その子は学区が違うから別の中学になっちゃうんだよ」
「マジかよ。やべーな」
この小学校の六年生は、私立を希望しなければ九割の子が同じ中学校に進むが、残りの一割は別の中学校に通うことになる。三人は九割の方で、翔太の好きな子は一割の方というわけだ。
すると、矢島が楽しそうに話に加わった。
「クロは好きな女子はいるんですか?」
「俺もいるぜ。お前は?」
「僕もいますよ」
翔太とクロは顔を見合わせ、驚きの声を上げた。
「マジかよ」
「全然知らなかった」
思わぬ新事実に三人は口をつぐむ。すると、クロが出し抜けに言った。
「誰が好きなのか一人ずつ言おうぜ」
「そうだな。僕たち友達だもんな」
「じゃあ翔太から順番に」
「藤井」
「藤井」
「藤井さん」
翔太は頭を抱えた。
「おいおい、三人とも同じかよ。一体どうすればいいんだ」
しかしすぐに顔を上げ、きりっとした表情で提案した。
「とりあえず今日三人で告白しに行くか」
クロと矢島は無表情になり数秒間目を合わせる。そして頷き合った。
「まあ、三人で告白すれば一人くらい当選するだろ」
「そうですね」
それから翔太も元気よく頷いた。
「おう、確率三倍だしな」
「そうしましょう」
三人は立ち上がる。しかし、翔太が遮るように言った。
「ちょっと待て」
三人は一旦腰を下ろした。
「どうした」
「告白してOKされたらどうなるんだ?」
「そりゃ彼女になって付き合うんだろ」
「付き合うって、一体何をするんだ?」
矢島がメガネのフレームに触れながら言った。
「聞いた話だと、デートで男が奢るべきかどうかで揉めたり、駅の改札前でケンカして女が座り込んだりするらしいです」
「おおう……。付き合うのって大変なんだな」
クロが思わずツッコミを入れる。
「いや、そこは普通にチューとかだろ。とりあえず行こうぜ」
「そうだな」
三人は立ち上がる。しかし、またしても翔太が止めた。
「ちょっと待て」
三人はまた腰を下ろす。
「どうした」
「もし三人ともOKされたらどうなるんだ?」
「その可能性は考えてなかった、さすがだな」
矢島がメガネのフレームに触れながら、
「その場合は三人とも付き合うんですよ」
と爽やかに言った。
「やはりそうなるのか」
「となると、チューは誰にするんだ?」とクロ。
「どんだけチューしたいんですか。焦んなくても全員にしてくれますよ」
「ならいいか」
翔太も納得し、三人は立ち上がった。しかし、三度翔太が遮った。
「ちょっと待て」
三人は三度腰を下ろす。
「どうした」
「三人ともチューしたら、お前らと間接キスになるじゃないか。いくらお前らでもそれはちょっと……」
「知らねーよ! てか何度も立たせたり座らせたりするんじゃねー! スクワット大好きクラブか!」
激昂するクロを矢島がまあまあと宥めてから言った。
「まあ、三人ともOKされるなんて有り得ないですよ」
すると翔太も同意した。
「せいぜい二人までだよな」
ようやく納得した三人は教室へ向かう。翔太と矢島は既に何かをやり遂げたような満足した表情になっている。踊り場から廊下へ戻る前にクロはふと我に返り、広大な青空を見上げながらしみじみと思った。
「何なんだ、この会話は……」
◇◇◇◇
三人から告白された日の翌日の掃除の時間、藤井は矢島に声をかけた。
「ねぇ、ちょっといい?」
「ああ、僕たちの新婚旅行の話ですか。一泊二日です」
「なんでそこから決めるのよ! ていうか短いな!」
「その話じゃないなら、何ですか?」
藤井は気を取り直すように咳払いをしてから言った。
「昨日は私、先に帰っちゃったけど、もう一度ちゃんと話がしたいの。だから放課後にまた三人で体育館裏まで来て」
「今度は藤井さんから呼び出しですか。嬉しいなぁ」
「なんか腹立つわね」
放課後、体育館裏で待っていると、三バカが和気あいあいとした調子でやって来た。そんな彼らに藤井は仁王立ちで対峙する。
「来たわね」
「決闘でも始まるのか?」
思っていたのと違う雰囲気に恐れおののく翔太。藤井はビシッと指を差す。
「三人ともそこに座りなさい!」
「はい」
「はい」
「はい」
言われるがまま、体育館の裏側のシャトルドア前にある短い階段に、横一列になって座った。真ん中に座ったクロが口を開く。
「それで、何を話したいって言うんだ?」
「うーん……。まずもう一回確認するけど、アンタたちは本当に私のことが好きなのよね?」
「ああ、カレーライスより好きだぜ」
「いえいえ、お寿司より上ですよ」
「僕はチョコアイスが好きだ!」
「アンタたちの好きな食べ物は聞いてないわよ!」
すかさずツッコミを入れる藤井に、翔太は眉をひそめた。
「何だ、僕たちの気持ちが信用できないのか?」
「そうねぇ……。それじゃあ、どうして私を好きになったのか理由を教えて。まず山田から」
「一人ずつ言うのか」
「まるで授業みたいですね」
翔太は悩んだが、とりあえず咄嗟に思いついたことを言ってみることにした。
「か、可愛いから」
「うーん……」
藤井は腕を組んで考え込み、やがて口を開いた。
「六十点」
「点数だと!?」
「それで恋をするというのは私には分からないけど、言われたら普通に嬉しいわね」
品評会の審査員のように落ち着いた口調だ。翔太は呆然とし、クロと矢島は向き合って話し始める。
「いや、こいつ全然動じてないぞ」
「女子って可愛いって言われたら、恥ずかしがったりキャッキャするものじゃないんですか!?」
すると藤井は思い出したように言った。
「確かに女の子も、かっこいい男子を好きになる子は多いわね」
「僕たちの中では、誰が一番かっこいいと思う!?」
復活した翔太が威勢よく訊く。
「そうね……見た目なら矢島かな」
「うごっ。まあ、矢島は背も高いしな」
「でも騙されるな。こいつはちょっとヘンタイだぞ」
クロがそう言って指差すと、矢島は顔の前で両手を組み、瞳をきらきらと輝かせた。藤井は言い知れぬ恐怖を感じ、震える声で言った。
「いや、本当に見た目だけの話だから……」
「念押ししないでくださいよ!」
藤井は気を取り直して話を続ける。
「じゃあ次、黒田の番」
「ああ、俺か」
「うん」
藤井に真顔でじっと見つめられるクロ。思わず大声を上げた。
「バ、バッカじゃねーの!? 別にお前のことなんか好きじゃねーし!」
「今更何言ってるのよ!?」
翔太が横からフォローしようとする。
「いや、これはあれだよ、何て言ったっけな……。ああそうそう、思い出した。タンドリー」
「ツンデレですよ、翔太」
「矢島は今のでよく分かったわね」
藤井は口元に手を当てて困惑していた。クロがこんな回答でも採点を促す。
「それで、これは何点になるんだ?」
「うーん、ちょっと面白かったから五十点」
「もはや何の点数だよ」
続いて藤井は矢島の方に向き直った。
「次、矢島。期待してるわ」
「はい、僕は藤井さんが体育で走るときのフォームが好きです!」
「二点」
「早い!」
「なんか思ってたよりヘンタイだったから」
「まさかの一桁とは……」
一瞬で斬り捨てられた矢島は魂が抜けたように俯く。しかしその顔には、戦いを終えた戦士のように穏やかな笑みが浮かんでいた。
翔太とクロは全く気にせず、口々に言った。
「まさか藤井にツッコミの才能もあったとはな」
「ああ、また藤井のいいところを一つ見つけてしまったぜ」
「そういえば、この前モップでリンボーダンスしてるときに藤井が来て――」
二人はそっちのけで、藤井トークで盛り上がり始めた。藤井は苦笑いを浮かべている。
「なんかアイドルファンの集まりみたいになってきたわね。私そんなキャラじゃないのに……」
クロがニヤニヤと笑う。
「嬉しいだろ?」
「いや、普通にキモいけど」
翔太も援護射撃を撃つ。
「よっ、藤井は今日も可愛いな」
「うっさいわね! どうもありがとね!」
そうこうしているうちに矢島が甦り、ひと段落ついた空気になった。
「じゃあ私はそろそろ帰るわ。参考になるか分からないけど、お話どうもありがと」
藤井は近くに置いておいたランドセルを背負って去ろうとした。
「おう、気を付けろよ」とクロ。
「僕たちはハワイアン・地獄体操をしてから帰るか」
「何その遊び!?」
「藤井も一緒にやるか?」
「やらんわ!」
藤井は今日一番の鋭い声でツッコミを入れ、帰宅した。
その晩、藤井家の食事時のこと。帰宅した父親が藤井の様子に気付き、声をかけた。
「なんだ、
「べっつにー?」
「いやいや、さっきからずっとニヤニヤしてるぞ」
父親の言う通り、晩御飯を食べている藤井は、嬉しさを隠しきれないという顔をしていた。
「友達に
藤井はそう言ってクシャっと笑った。母親もそんな彼女を見て、あらあらと微笑んでいる。
結局その日、彼女のニヤニヤは眠っている間ですら止まることはなかった。
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