初恋のはじめかた ~三バカ、恋を知らない私を好きになる~

広瀬翔之介

第1節 夏のはじめかた

卒業までに

「ねえ、昨日やってた『好きな人が口内炎になりました』観た?」


 小学校へ向かう途中、同じ登校班で藤井結奈ゆいなの前を歩いていた五年生の女の子が、隣に来て言った。藤井は六年生で最年長だから、登校班の列の一番後ろだ。本当はちゃんと一列になって歩いてほしいのだが、藤井はとりあえず話してあげることにした。


「何それ、ドラマ?」


「うん、二階堂聖也が出てるやつ」


「観てないや」


「えー、観なよ。めっちゃ面白いよ」


 二階堂聖也という俳優のことは知っている。でも、藤井はそのテレビドラマに興味を持つことができなかった。なぜなら。


「私、好きな人できたことないし」


 素っ気ない口調で返すと、五年生の子はやれやれという風に笑った。


「そっか。まあ藤井ちゃんは真面目だから、しょうがないよねー」


 そう言って、彼女はまた藤井の前の位置に戻った。藤井にはこの子の言っていることがよく分からない。真面目だから好きな人ができないというのはどうしてなんだろう。しかも、年下の子に上から目線みたいな感じで物を言われてしまった。


 しかし、藤井はこういう経験が初めてではない。好きな人ができないと、こんなことがずっと続いてしまうのだろうか。


 そんな風にモヤモヤとした気持ちのまま歩いていると、やがて学校に到着した。見上げれば、大きな校舎の上に夏の青空が広がっている。空はこんなにも綺麗なのに、どこかすっきりとしない気分で今日も一日が始まった。



 登校班の子たちと別れ、六年生の下駄箱で上履きに履き替え、教室に向かって廊下を歩いていると、後ろから誰かが来て肩と肩がぶつかった。振り向くと同じクラスの男子。背は藤井より低くマッシュルームヘアー、遠目に見れば可愛らしいが目付きは悪い。名前は黒田で、男子からはクロと呼ばれている。


「あー、口内炎になっちまったぜ」


 と、クロが謝りもせず独り言のように言うので、とりあえず声をかけた。


「何よ」


「口内炎つれーわ」


 クロはやはり謝らないので、それに関してはもう諦めることにする。


「そう、大変だね」


「口内炎は一体どこから来てどこへ行くのだろうか……」


「…………」


「だから口内炎になったって言ってんだろ!」


「それはもう分かったよ!」


 藤井が困惑していると、クロは怪訝な顔をした。


「なんだ、藤井は観てないのか。『好きな人が口内炎になりました』」


 さっきも話題になったテレビドラマのタイトルだ。そんなに人気があるのだろうか。


「なんか他の子も言ってたわね。どんな話なの?」


「好きな人が口内炎になる話だよ」


「それは分かるよ!」


「いやー、好きな人が口内炎になるだけで一時間あんなに盛り上がるとは恐れ入った。他のテレビなんかクソだな」


「好きな人が口内炎になる以外の情報が全く出てこない……」


「いやー、口内炎の人を演じさせたら二階堂聖也の右に出る奴はいねーな。他の役はクソだけど」


「褒めるか貶すか、どっちかにしなさいよ」



 朝からよく分からないやり取りがあったが、その日はまたしても藤井にぶつかって来るものがあった。二時間目と三時間目の間の二十五分休みのとき、クラスメイトと校庭で遊んだあと校舎に戻ろうとすると、どこからともなくドッジボールの球が飛んで来て藤井の腕に当たった。


 振り向くと、男子が焦った顔でこちらを見ていた。


「あ、あ、あ、あのっ」


 同じクラスの山田翔太だ。藤井が怒ると思っているのだろうか、あわあわと慌てふためいている。


 藤井はボールを拾い上げ、翔太の目を見た。


「あわわわ……」


 思わず噴き出してしまった。小さなクロがぶつかって来たときは図々しい態度を取っていたのに、彼より背の高い翔太がボールをぶつけてしまっただけで焦っているというのが、なんだか対照的で面白かったのだ。くすくすと声を漏らすのをなんとか止めると、


「バーカ」


 と言って、無意識のうちに微笑んでいた。翔太はなぜか呆然とした。でも藤井がボールを投げ返すと、ようやく我に返ってそれを受け取った。


「あ、ありがとう」


 一言だけ返して、そそくさとコートの方へ戻って行った。



 掃除の時間。藤井は三階の渡り廊下の担当だ。箒で廊下を掃いていると、同じ掃除班の男子がブリッジの姿勢で雑巾がけをしながら物凄い速さで近寄って来た。


「きゃああああ」


 ホラー映画のような状況に度肝を抜かす。すると彼は立ち上がった。名前は矢島やじま。クラスで一番背高ノッポで、見た目だけは爽やかなメガネ男子だ。


 矢島は自分より少し小さな藤井を見つめた。不思議そうな顔をする藤井。


「な、何なのよ」


 今日は男子によく絡まれる日みたいだ。今はちょうど周りに人がいない。


「藤井さん。放課後に体育館裏に来てくれませんか? 大事な話があるんです」


「えっ、それってまさか……」


 息を吞む藤井。しかし矢島はそれ以上は何も言わず、またブリッジをしながら素早く去って行った。突然の呼び出しに、藤井の胸はとくんとくんと大きな音を立てる。矢島とは六年間同じクラスだった。そんな彼が今更話したいことなんて――。



 放課後、藤井はそわそわしながら体育館裏へ行った。しかし、そこに待ち受けていたものを見て少し萎えた。矢島から呼び出されたはずなのに、両サイドに自称口内炎のクロと、ドッジボールの翔太もいたからだ。しかも、三人ともなぜか真顔で仁王立ちをしていた。


 翔太が先陣を切って言った。


「悪いな、急に呼び出しちゃって」


「はぁ、まあいいけど。それで、大事な話って?」


 肩をすくめる藤井に、三人は頭を下げて右手を差し出した。


「好きです」


「好きです」


「好きです」


「はぁっ!?」


 いきなり全員から告白され、さすがに動揺を隠せないようだ。


「いや、確かにそういうシチュエーションではあるけれど!」


 どうすればいいのか分からず、うろたえている。三人は右手を出して頭を下げたまま動かない。しかし、藤井はすぐに思い当たった。


「分かった! ドッキリでしょ! 三人で私のことバカにしてるんでしょ!」


 今思えば今日絡んできた三人の男子は、クラスでもお馴染みの三バカだ。気付くのが遅すぎた。


 すると翔太は心外と言わんばかりに顔を上げた。


「バカになんかしてねえよ。バカは僕たちだけで充分だ」


「自分で言うな!」


「それで、どうなんだ? OKなんだろ?」


「このリアクションなのに、その可能性があると思っていることに驚きだわ」


 早くも三バカの無残な敗北が決定してしまった。だがへこたれず、今度はクロが口を挟んだ。


「なんだよ、他に好きな男子でもいるのか?」


 藤井は話すべきかどうか迷っているような様子を見せたが、やがておずおずと口を開いた。


「……私、好きな人ができたことが一度もないの。そういう気持ちがよく分からない。それで、そういう話についていけなかったり、友達とケンカになっちゃったこともあって……」


「ケンカ? それはそいつがクソなだけだろ」


 矢島が「よしなさい、毒キノコ」と制し、「クロは初めて好きな人ができたのはいつですか?」と訊いた。


「幼稚園のしおりちゃんだ」


「いや、名前はどうでもいいです。僕は三年生のときでした。翔太は?」


「僕? 僕は藤井が初めてだよ」


「えっ!?」と、またしても藤井が驚く。


「じゃあ五年生からですね。藤井さん、僕たちでさえ、こんなにバラバラなんです。まだ好きな人ができたことなくたって、全然気にしなくていいですよ」


「な、なに急にまともなこと言ってんのよ。でも……」


 疎外感があるのか、やはり藤井は思い悩む。すると、翔太が靄を吹き飛ばすように明るい調子で言った。


「じゃあさ、卒業までに僕たちの誰かを好きになればいいじゃん」


「はぁっ!?」


 クロと矢島も続けて畳み掛ける。


「そうそう、俺たちはみんな藤井のことが好きだし、そのことでケンカなんかしねーよ」


「絶賛初恋中の翔太を研究すれば、初恋の始め方が分かるかもしれません」


「僕は珍しい生き物かよ」


 盛り上がるバカ三人にげんなりする藤井。


「私はこの三バカから選ぶしかないの……?」


 翔太がダメ押しするかのようにニカッと笑う。


「そうだよ」


「そうだよじゃないわよ!」


 藤井は勉強もスポーツも得意な優等生だ。でも恋のやり方だけは学校で教えてくれないし、興味がない素振りを見せながらも実は知りたいと思っていた。そして、それを教えてくれる相手がやっと現れたと思ったら、こんなバカしかいないなんて……聞いてない。

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