05-復讐者(Vengador)

 ある夜、仕事を終えたマーレイ刑事とその部下、トリアー巡査長は任務のために与えられたアパートの一室で酒を――娯楽など文字通り腐るほど存在する近未来のエルシノアにおいても、まだまだ多くの人気を集める嗜好品である――愉しんでいた。エルシノア私立警察、通称"EPPO"に属する二人は、とある連続殺人犯を監視する任務を帯びていた。"グルマン美食家"と呼ばれるその殺人者は、放蕩胡同の娼人を殺しては自身が経営する高級レストラン"フェスタン・ドゥ・ヴィヤンドゥ"にて被害者の肉を調理して振舞っていると言われていた。EPPOは何度か店への立ち入り調査を行ったが、殺人の明確な証拠を見つけられないまま現在に至り、複数チームが交代でその世にも恐ろしき食人鬼を監視することしかできないのであった。グルマンの動向に変化が見られたのは8か月前のことだった。店を開ける頻度が著しく減少し、そのうち彼自身も従業員も完全に姿を消した。EPPOは未だに消えたグルマンの足どりを掴めていない。彼が店に戻ってくることを予想し、今でも放蕩胡同全体の監視を続けて6か月目になるころである。トリアー巡査長はウイスキーが注がれたグラスを傾けながら、憂鬱にもなるその業務の成果のなさを嘆いていた。「本当に戻ってくるんですかね、グルマンは」閑職とも言えるこの職務は、それでも気の抜けない緊張感がある。これが何ヵ月も続くとなると、人間は精神を蝕まれていく。時々、二人はこうして精神の疲弊を酒で癒していた。「まァ、まったく無駄な仕事って訳じゃねェさ。放蕩胡同での行方不明者は目に見えて減ってる。おれらに監視されてりゃ、奴っこさんも悪さができねェてな」マーレイ刑事は紅くなった顔で笑って見せる。「その通りですけど、今日はもうこれ以上、飲まないほうがいいですよ」「何でだよ」呂律が回らない口で刑事が抗議した。「明日の仕事に支障が出ます。ほら、肩を貸しますから」その時、市街に面した大きな窓ガラスにぴし、と何かが当たる音がした。巡査長だけがそれに気づいた。そしてすぐに、窓ガラス全体が一瞬で砕け散った。「誰だ!?」巡査長はテーブルの上に置いていた拳銃を手に取ると即座に安全装置セーフティを解除し、窓から侵入してきた何者かへ向ける。一息置いて、刑事も構えた。重力に逆らって立ち上がった髪、隆々とした筋肉を纏った全身に戦闘用侵襲性人工装具をありったけ詰め込んだ大柄なサイボーグは、その姿に似つかわしくない丁重な口調で二人に告げる。「こんばんは。お楽しみ中に失礼ですが、あなたがたには死んで」銃口から飛び出した二発の銃弾が、サイボーグの頚部を撃ち抜く――寸前に粉塵となって灰の如く散っていった。反物質防御壁アンチマター・シールドか――巡査長は、自身の第一の悪手を託つ。「挨拶くらいさせてほしかったのですが……。とにかく、あなたがたには死んでいただきます」サイボーグは然していらついた様子もなく言い直す。木の幹のように太い両上腕が前にせり出して折り返ると、ちょうどカマキリが持つような形状の刃が飛び出した。残忍に輝くそれは、一瞬にして刑事の首を刈り取った。血液が噴水のように飛沫を上げて周囲を汚し、頭部を失った身体はその中へ倒れ込んだ。トリアー巡査長は冷静だった。「お前の雇い主はグルマンか?」努めて、冷静に問いかける。「あなたには関係のないことです」サイボーグがそう言い終わる時には、すでに巡査長の首も刑事と同じように身体と切り離されていた。二人分の首を適当に放り投げると、サイボーグは目を瞑り、祈るように指を組み交わす。悪く思わないでね、これも"仕事"だから――そう心の中で呟くと、先ほど二人の首を切断した刃で、今度は頭部を失くした身体を切り刻み始める。血液や肉片やらが部屋中に散らばり、頭がなければ犠牲者の正確な人数が分からないほど部屋中を汚した。こうして仕事を終えたサイボーグは、ガラスがすべてなくなった大きな窓から飛び降り、去っていった。

 「ああ、ありがとう。お大事にね」――エルシノア二百八十七高速道路は夜更けでもそれなりに車が走っていた。その中の一台、白いライトバンを、褐色の肌を持った麗しきサイボーグ――ジェリコが運転している。行き先が知れないよう、自動操縦は使用しないのが裏社会で生きる人々の常識である。車両後部の荷室にエイミーとチャンプ、そして二人の間には丸裸にされた長身の男が、両手足を拘束された状態で横たわっていた。「リッシュに面通しさせたけど、そいつが"グルマン美食家"で間違いないみたいだ」エイミーが告げる。「顔も変えずに逃げるなんて間抜けだな。まあ、変えたところでエイミーからは逃げられないけど……」「その通りだぜ、チャンプ。お前も分かってきたな」二人は右手を高く掲げると、互いにそれを叩き合った。間でグルマンが藻掻きながら呟く。「畜生、なんだこのクソガキどもは……」その頭部にチャンプが拳銃を――銃身に刻まれた"Maud"という文字列から、"モード"と名付けた――突きつける。「チャンプ、尋問のやり方はわかるか?」車に積まれた機材を弄りながら、エイミーが問いを投げた。「さあ……。指を切り落とすとか?」「そりゃ映画の見すぎだ。ジェリコ!」エイミーはグルマンの後頚部にあるポートへと、機材から伸びたケーブルの端子を接続した。「頭脳攪拌ブレイン・スクランブラー、これがエルシノア流の尋問だよ」今まで黙々と運転をしていたジェリコが言う。言葉だけでも恐ろしいその行為に、チャンプは頭痛を覚えた。「よし、セキュリティ解除を確認。やるぞ」見慣れない端末デバイスを操作しながらエイミーが言うと、それまで大人しく横たわっていた全裸のグルマンの身体が、大きく跳ね回りだした。チャンプはいつか働いた漁船での光景を思い出す。目蓋をひん剥き、声を発することもなく跳ねるその姿は、とどめを待つだけの、甲板デッキで暴れる大きな魚のようだった。世にも悍ましき連続殺人鬼は今や、――エイミーの手によって――食用魚と変わりない。再びエイミーが端末を操作すると、グルマンの身体はぐったりと力を失った。「おら、このまま脳みそグチャグチャにされたくないなら、さっさと顧客リストを寄越せ」「わ、わかった……、その前に、うぷ、吐きそうだ……」グルマンは喉の奥から異様な音を響かせると、チャンプが手に持ったバケツを目がけてものすごい量の内容物を吐瀉した。エイミーは、チャンプが今までに見た彼女の表情の中でも一番に苦々しげな顔をする。「くそ、もらいゲロしそう……」力いっぱいに鼻をつまみながら、車窓を開ける。「おえぇえええ……」車窓から顔を出してエイミーが嫌な声を発した。――その時、エイミーの嗅覚は異様なにおいを、さらにそれが自分たちを追跡していることを察知した。ドーパミンやアドレナリンなどの神経伝達物質が異常なまでに分泌されたにおいだ。「ジェリコ! あたしたち、何かに追われてる!」エイミーは車内に頭を引っ込め、運転席のシートをばんばん叩く。「よくわからないけどヤバい奴っぽい! こんな、アドレナリンの量……」代わってチャンプが車窓から上体を乗り出して確認する。それなりの交通量の中、走っているほかの車の間を縫いながら、めちゃくちゃな速度で自分たちのライトバンに接近してくる赤い車が、遠目に見えた。「こいつ、テレパシーで助けを呼んだのか!?」力なく横たわるグルマンの頭をエイミーが蹴り飛ばす。「ははは……、ざまあみろ……。あいつから、逃げられるものか……」グルマンが忌々しい笑みを浮かべて言ったその時、自分たちより後ろを走っていた車が一斉にぴたりと静止したのをチャンプは見た。ジェリコは自らも運転を行いながら、二百八十七高速道路を走る多くの車両のセキュリティを掻い潜り、その走行を停止させたのだ。「とりあえず、これでセーフハウスまで逃げ切ろう」「さすが、魔法使いメイガスのジェリコだ!」エイミーが興奮気味に、また運転席のシートを殴る。彼女もまた、先ほどの異様な反応が遠ざかるのを知覚した。しかし、当の魔法使いは浮かない顔で考えを巡らせていた。グルマンを確保した時から、彼への通信妨害ジャマーはかけておいたはず。その効果がないとなると、どこまで逃げてもいつかは追いつかれるだろう。「エイミー、ぼくはグルマンの記憶領域をハックしてみるよ。運転、代わってくれるかい?」「わかった」車両を走行させながら、ジェリコは荷室へ、エイミーは運転席へ移動した。「記憶領域へのハッキング? そんなことできるのか?」怪訝そうにチャンプが呟く。「できるよ。そのためにぼくは脳にも機材デッキを積んでる」ジェリコはグルマンの後頚部ポートから尋問用機材のケーブル端子を引き抜くと、代わりに自身の頭髪の一房に紛れたケーブル端子をグルマンへ接続した。そのまま瞑想に没頭するように目を閉じる。エイミーの運転は思っていたより安全運転だった。「え……っと、おれは何をしたらいいのかな」唐突に静まり返った車内の雰囲気に耐え切れず、チャンプが尋ねる。「じゃあ、手を握っててもらえる?」「は?」冗談かどうかわからないが、チャンプはとりあえず、言われた通りジェリコの手を握っておくことにした。

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