魔法使いの女と契約を結んだ鉱の魔物の末路

 ピシ……。


 無機質な音が耳に届いた。契約者である、魔法使いの女の命が終わった音だ。

 鉱物で覆われたほほれると、当然のように冷たく固い。

 初めてれた時は、やわく、温かかった。その感覚に驚いてしまって、この長い爪で浅く傷をつけてしまったというのに、契約者の女は『気にしないでください』と笑っていた。

 その声も、もう二度と聞くことはないのだ。


 布団をめくり、心の臓だった鉱石を取り出そうと、爪を当てた。

 契約を果たせないと、本来魔物が住まう世界に戻れない。

 鉱石に覆われた女の身に爪を振り下ろそうとしても、手が止まってしまう。

 この爪を突き立てて、いくばくかの鉱石をえぐって、その石を取り出すだけだ。覆っている鉱石よりこの爪の方が堅いのだから、容易ではないか。たった、それだけのこと。大地に埋まる鉱脈を探して掘り出すより、よほど簡単なことだ。

 爪が、表面の鉱石に当たって、コツと音を立てる。

 だが、それより先に、手が進まない。自分の腕が硬化してしまったかのように、動かなくなる。

 何度も何度も繰り返して、この家に差し込む日の光と月の光が何度入れ替わっただろう。風の音と共に、外で何かが倒れる音がした。

 そして、思い出す。


 ここは、人が来る場所だった、と。


 何も知らない人間は、鉱石の塊があることを疑問に思いながらも、砕いて持ち帰って、売り飛ばしてしまうことだろう。

 それは、耐えがたいと思った。

 ならば、人の寄り付かぬ山の奥地へ運んで、そこで削り出して捨て置けば、易々やすやすと人の手にわたることもないだろう。

 そうと決まれば。

 寝台から、人型の鉱石の塊を持ち上げる。この腕の形に合わせて折れ曲がることはなく、布切れの無い所は自分の腕の鉱石とぶつかり、音を立てる。

 獣道しかないため、生い茂った木々の幹や枝が阻害する。自分だけであるならば、何らためらいなく駆け抜けてしまうというのに、今は荷物を抱えているからそれも難しい。指先などは細くもろいから、ぶつけただけで破損するかもしれないと、注意を払って、山の奥へ奥へと進む。

 森を抜けて、岩場を登って、たどり着いたのは、山の上層部にある洞穴だ。地形の関係でここだけ木が少なく、見晴らしのいい場所。

 ここを見つけた時に「こんな場所があった」と伝えたら、「一度行ってみたい」と言っていた。あの地に根を下ろすための魔法のせいで、こいつはあの家からあまり離れられなかった。

 抱えていた鉱石の塊を、そっと岩場に下ろす。

 ここなら、人間が迷い込んでくることも無いはずだ。ここで、ゆっくりと心臓だったそれを堪能することにしよう。


 そのつもりでいた。

 そのつもりでここまで来た。


 あれから何度も月が昇って沈みを繰り返し、満ちて欠けてきたというのに、いまだ、魔物の世界に帰れずにいる。

 魔力が枯渇こかつしたこの体は、崩壊を始めていた。

 まず落ちたのは指先だった。

 その時気づいた。

 もう、人型をとる必要がないというのに、人型をとり続けていたこと。

 そもそも人型をとり始めたのは、動けなくなったこいつの世話をするには都合がよかったというだけの理由だ。

 それがきっかけになったように、こいつと過ごした日々が、次々に思い出された。


 震えて、世界がぼやけて、見えなくなる。それを涙と、女は呼んでいた。

『悲しいと、あふれてくるものなんです。そんなふうにこすったら、貴方の手は固いから、傷が入ってしまいますよ』

 そう言って、布切れを渡してきたのは、寝台から出られなくなってすぐのころだったか。

 鉱石の魔物は、代償故に敬遠されている。自分も、召喚されたがそのまま送り返されたことも、何度とあった。

 そんな中、この魔法使いだけだった。


『魔術の知を求める者よ。なんじは、おのが全てをして、我が知を望むか』

『はい。この身に払えるものなれば、全て捧げましょう』


『魔導の力を求める者よ。なんじは、おのが命をして、我が力を望むか』

『はい。この命、明日てようとも、構いません』


『我との契約を望む者よ。なんじは、代償を真に理解した上で、我との契約を望むか』

『はい。全てを理解したうえで、貴方との契約を望みます。だから、どうか、私と契約を結んでください』


 どの問いにも、一切ためらうことなくそう言って、おびえをにじませながらも強い眼光を向けて来たのは、この女だけだった。

 必要としてくれたのは、こいつだけだったのだ。


『人で言うところの、情というものだろう』

 契約を終えて帰ってこないものがあると、それが生まれてしまったのだろうと、魔物の誰かが言っていた。

 契約を果たせなければ、魔物の世界に戻ることができない。この、人間の住む世界は、魔物にとっては魔力が足りなすぎる。契約相手が生きていれば、契約により、魔力の供給がなされる。つまり、契約相手が死した後も人間の世界にとどまることは、魔力が枯渇するということ。それはすなわち、魔物にとっての死を意味する。

 魔物とは、人の心を持たないものだ。人からすれば悠久にすら思えるだろう時を生き、人よりよほど力を持つものだ。

 それがなぜ、契約に応じるかというと、魔法使いの心臓は、我ら魔物にとって魔力を高める貴重な品だからだ。

 魔法使いの生きる間は契約により従ってやる。全ては、自らの力を高めるため。人の一生など、我ら魔物からすれば、ほんのわずかな時でしかないのだから。魔力を一気に高められるなら、そのくらいひまつぶしに付き合ってやる。

 魔物にとっての、魔法使いとの契約は、そういうものだ。


 人の心を持ってしまえば、魔物でいられなくなる。

 人になるすべは無い。

 そんな魔法も、奇跡も無い。

 魔物としては、落ちこぼれとしてさげすまれることになる。

 この女と契約するまで、自分だってそう思っていた。


 ここまで来たら、もう、認めるしかないのだろう。

 こいつに、情というものを抱いてしまったがために、魔物ではいられなくなってしまったのだ、と。

 そのために、魔物の世界に帰ることはできず、このままここで命を終えることになるのだ、と。


 かつては、そんなやつの気がしれないと思っていたのだが、いざそうなってみると、存外悪いものでもない。

 もはや触れることすらできないため、細い月明りの下、かすむ視界で記憶に焼き付けた。


 ガラガラと崩れる音がし始めて、一際大きな音が聞こえた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

鉱の魔物と契約を結んだ魔法使いの女の最期 久流井 淳 @Kurui_Jun

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ