不可測のアラカルト
禄星命
第1皿 ヘグイ=フォグ
薄手のコートが心地よい、黄昏時。諸用を済ませた“あなた”は、何となく帰宅途中に寄り道をしていた。見慣れた景色から足を背け、人気のないルートへ変更したのだ。
「ふーん、こっちはこうなってるんだ」
蔦の絡まるブロック塀を横目に歩を進める。人はおろか、野良猫すらいない一本道。まるで自分以外の生物が消滅してしまったような寂しさに、肩が僅かに震えた。
……やっぱり、来た道を戻ろうか。仄暗さも相まって、勇み足を感じ始める。しかしふと漂ってきた夕飯の匂いに、気分はすぐに落ち着いた。我ながら単純である。
『カレー、焼き魚。こっちは……何だろ、醤油っぽいから和食かなあ』
人の営みを間接的に味わいながら、散策を続ける。やがて足もとは、舗装されたアスファルトから、雑草が生える砂利道に移っていた。その光景にふと、子供の頃読んだ漫画を思い出す。
「……懐かしいな」
学校を飛び出し、家に着くまでの道のり。それは一時間もかからない距離だったのだが、友達とふざけ合うが故に、毎日新しい思い出が生まれていた。
あの頃は本当に魔法が使えると信じていたり、自分は特別な何かがあると厨二心を拗らせていたものだ。
「……でも。そんなのはどこにも、何一つとして無かった。夢は叶わないし、希望もない。あるのは虚しい毎日だけで、惰性で生きるのがやっとだった」
不景気、税金、将来の不安。テレビを見れば嫌なニュースばかり流れ、SNSを覗けば、バズった罵りがトレンド入り。どちらもたまに可愛らしい動物やためになる情報が目につくが、基本的には精神衛生上、よろしくないものが跋扈している。
「はあ……。こんなくたびれた大人になるなんて、子供の頃は思いもしなかったな」
今更ながら、親の偉大さを噛みしめる。子供を守る背には、想像も出来ないほどの苦労がのしかかっていたに違いない。
『どっかのタイミングで、顔を見せに行こう』
いつ休みを取ろう。いや、そもそも休みは取れるのか。手土産は何を持っていこう。何日スケジュールを組もうか。
一人脳内会議をしながら歩いていると、好奇心は早くも実を結ぶ。視界を塞ぐ枝木を潜り抜けた途端、急に景色が変わったのだ。
◇◇◇
一面に広がるのは、くるぶしをくすぐる細長い草。いくら見渡せど家一軒もない大自然が、目に焼き付く。
「……ここ、どこ?」
咄嗟に振り返れど道は無く。否が応でも、進行方向にある森に意識が向いた。
「こんなとこ、あったっけ?」
スノードーム……いや、かまくらの方が表現としては近いだろうか。輪郭は人工的な丸みを帯びており、入り口までの道を一本、こちらの足もとまで伸ばしている。
「……行くしかないか」
好奇心を振り絞り、ひたむきに歩く。やがて入り口に着くと、木製の看板が出迎えてくれた。
《ズワ能 悔後 先ノコ》
「この先後悔能わず」と、掠れた赤字を黙読する。雨風に曝された板と相まって、嫌でも歴史を痛感させられた。
『進んだら、もう戻れないかもしれない。……二度と、親に会えないかもしれない』
こんな時に限って。冷静な判断が出来ない時に限って、周囲に人は居ない。どうしよう。鳥の鳴き声でも良いから、何か刺激が欲しい。
『――』
現実味のない空間は、さながら神隠しにあう直前のシーンのようで、身の毛がよだつ。しかし不思議と歩みは止まらず、“あなた”は参道へ続く階段に足を乗せた。
◇◇◇
角が崩れ、ところどころ風化した、石の階段。それをまたぐように立つ、真っ赤に塗られた無数の鳥居。
「はあっ、はあ――」
日頃運動をしないからか、はたまた疲れが溜まっているからか。一歩一歩、踏みしめるように進んでいく。「百段はありそうな階段なんて、滅多に上れるもんじゃない」と、せめてものありがたみを味わいながら。
◇◇◇
「つ……疲れた……!」
やがて最後の階段を越えると、視界は一気に開ける。白い石畳が敷かれた、ちょっとした広場のような空間。――その中央に佇んでいたのは、一軒の洋館だった。
不可測のアラカルト 禄星命 @Rokushyo_Mikoto
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