第29話 キサラの目と舌の秘密
「門を開けろ!」
「こ、これは若様! た、ただちに!」
先触れも出さずに突然、現れた吉法師に古渡城の門兵は大慌てで門を開けに掛かる。
そこへ。
「あいたぁーーーっ!!」
響き渡る吉法師の悲鳴。
頭を押さえてゴロゴロと地面を転がり回るその姿に兵士も眼が飛び出んばかりの有様だ。
「馬鹿者。ここは誰の城だ? お前の親父の城ではないのか? いかに身内の家であろうと自分の家を持つ者が他所を訪れて、その家人を労うどころか挨拶もせずに威嚇するような真似をする奴があるか。今のお前に人の上に立つ資格などない」
吉法師の脳天に手刀を落としたポーズのまま、キサラが講釈を垂れる。
そんなキサラを何者だと見やる兵士。
キサラの奇抜な格好を見ても特に驚いてはいないのは、吉法師が地面をのたうち回っている光景の方が衝撃的だからだろう。
因みにディネは那古屋城でお留守番である。今頃城の汚いところをピカピカに輝かせているところだろうか。
「だからと言えど、力任せに殴る事はなかろうが! 殺す気か!?」
漸く立ち直った吉法師が抗議の声を上げるとキサラは、何を言っているんだという目を向けた。
「たわけ。アタシが力一杯殴っていたら、今頃は地面の染みになっているぞ。それこそ肉片すら残りはしない。今のは痛覚だけを異常に過敏化させる一撃を加えただけで怪我も後遺症もでないから安心しろ」
「痛覚?」
「……痛みを感じる感覚の事だ」
神経とか言っても伝わらないだろうな、と思いかなり適当に教える羽目になった。
「とにかくだ、お前が何かしくじる度に今の痛みを食らうものと覚悟しておくことだな」
「そ、それは勘弁ならんか?」
にっこりと笑むキサラを前に背筋に氷柱を差し込まれた如く怯える吉法師だったが。
「理性よりも感情が先に出る性分と見たのでな、身体に覚えこませることにしようと思っただけだ。諦めろ」
「無体な!」
吉法師の悲痛な叫びが門前を騒がせた。
それが呼び水になったのか門扉が鈍い音を立ててゆっくりと開き、中から人が出てくる。
何処か顔立ちが吉法師に似た子供とその後ろにひょろっとした細身のちょび髭の生えた武士が一人。あとは護衛だろうか兵士が10人ほどだ。
「騒がしいと思ったら、兄上でしたか。何を……」
少年が吉法師を一瞥した後、キサラに目をやって言葉を失う。
何時もの事だ。
初見でキサラに相対した者が必ず通る通過儀礼。
洋の東西どころか、世界を跨いでさえ逃れられない、究極の美との会合には自身らと違う髪や目の色などの身体的特徴など関係なく我を失う一同。
「あ、兄上、こ、このお方は、何方様ですか?」
「キサラだ」
ぴしっ。
「のうわぁ~!!」
またしても脳天に一撃を食らった吉法師が地面に沈む。
「何だ、その紹介の仕方は。すまなかったな、アタシはキサラ。お前の兄である吉法師の生活指導の役目を請け負う事になる者だ。もっとも、これからお前たちの父親に許可を貰いに行くところだが」
ぞんざいな言葉遣いと態度だが、足利将軍を相手にしても変わらずに無礼討ちにされるどころか叱責も注意喚起すらもされないくらいには。誰もが素直に受け入れてしまうだけの風格が自然とそれを許してしまう不思議な雰囲気を作り上げている。
「兄上には平手政秀という傅役がいますが?」
「その平手が手を焼いているから、アタシがコイツを躾けてやるんだ。お前も兄がうつけのままでは恥ずかしいだろう?」
キサラの言葉に素直に頷く少年。それに対して、ちょび髭の武士は少し苦い顔を一瞬見せた。
「そうですね。兄上にはもっと嫡男らしく振舞って欲しいです。今のままでは父上や母上が可哀そうです」
「ふむ。お前は優しい子だな。アタシはそういう奴は好きだ。名は何という?」
「し、失礼しました! 織田勘十郎と申します!」
理由は敢えて言うまいが顔を真っ赤にさせて慌てて名を告げる勘十郎少年。
年は菊幢丸と同じ10歳である。
そろそろ異性を意識しだす頃合いであり、ましてや戦国時代では十代半ばで結婚するのが当然の社会であるからして。
「勘十郎か。中々に聡しいようだ。だが、少しばかり素直すぎるかもな。讒言には注意したほうがいい」
キサラは相手を見れば大体の為人が解る。これは経験則だけでなく魔法的素養も大きく外れることはまずないくらいだ。
その言葉は初めの方は勘十郎の方を見たまま言ったが、最後はその背後に視線を向けていた。
つまりそういう事である。
ただ、まだ何もしてない相手を裁くことはできないのだ。
そういった体験を何億としてきたからこそ、辿り着いた心境の極地というのがある。
すなわち、どの様な結末になろうと本当の意味では揺るがない虚無の心である。
例え親しい人の命が奪われようと、生き返らせればいい。そして奪った相手は奪われた命の主がどうするか決めればいいのだ。キサラはそれを容認する。
「讒言、ですか?」
言葉の意味は知っているが、どうしてその様な事を言われたかが分からない様子の勘十郎にキサラは諭すことにした。
「そうだ。例えば、お前の兄は、馬鹿だが、うつけではない。物事は人の言葉よりも自分の目で見て良く考えることが肝要だぞ」
と解りやすい例を出して教えるが。
「うつけと馬鹿は違うのですか?」
「全く違う。いいか、馬鹿とは考えても間抜けな行動を取る事を言い、うつけとは何も考えないで碌な結果しか出さない愚か者の事を言う」
頭の回転の速い遅いと本来のうつけの意味である奇矯な行動を取る事はこれもまた意味が違うが、そこは今の吉法師の現状と違うので説明はしない。話がややこしくなるだけだ。
「そうなのですね……兄上は何も考えないであの様な可笑しい事をしてるのではなくて、何か考えがあってしているのですね?」
勘十郎がそう解釈するのを復活した吉法師がうんうんと頷いて肯定するが、それを冷めた目で見やるキサラ。そして、少し訂正する。
「考えがあっても間違えた事しかできない、だ。だからうつけではないが馬鹿なんだ」
「本人を前にそこまで言うか、お前」
吉法師が憮然と言う。
「事実だろう。それを矯正する為に生活指導してやると言っているのを忘れたのか? それなら、また別な意味での馬鹿だな」
と、更に辛辣な言葉で返される。
「まだ、良く分からないのですが……とにかく自分で見て何がどういうことなのかを良く考える事が大事なのは変わらないのですよね?」
キサラが言った通りに素直で聡いのだろう、勘十郎は今は分からなくとも良く考えて行動していこうと決めるのであった。
それが大きく、少年の将来を変えることになるのである。
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「料理なら得意っすよ! 任せてくださいっす!」
元気の良いハンティに誘われて、食材を持って厨へと向かう菊幢丸と何人もの兵士達。
庭であれだけ騒げば気づかれない理由はなく、何だ何だと集まる兵士らに食材を持たせて調理場に移動する事になった。
その食材は野菜等の作物だけでなく、菊幢丸が初めてキサラが居ない場で魔法で調達した肉類、魚介類も含まれている。
動物召喚は木曽馬で慣れたものであった。
戦国時代は仏教と天武天皇以来の肉食禁止令の影響が強く合った為に肉食は忌避されてはいたのだが、現代日本人の思想を持つ菊幢丸はあえて拘らないことにした。
仏教にしても、お釈迦様は肉を食べていたらしいのに自分の宗派がより高徳であるとするために殺生を禁ずる肉食禁止が盛り込まれて広まったという話がある。
そんな教えを真に受けての天皇陛下の禁止令はそもそも間違っていると菊幢丸は思っている。
ただ、その思想を否定する事はできないのは、公然の事実なので、食べてはいけない理由にあった、飼育された動物は人の代わりに働くとされた為という話を逆手に野生の動物は狩猟対象という複雑な教義や建前の間隙をついて野生の牛や豚、鶏を召喚したことで問題なしとしたのである。
現実問題で、肉も食べる人は食べるし食べない人は食べないし、食べない人も薬として肉を食べることもある。
更に細かい事を言うと、足の多い動物程食べてはいけないという風習もあり、4つ足の牛、馬、豚、犬など>二本足の鳥>足のない魚という序列で生き物を食べてはならないとされていた。
なお、タコやイカは毛が生えていないので魚介類の扱いだったそうだ。
そのあたりも踏まえて、食べたくない人は食べなくても構わないが食べたい人は食べても叱責はしないと菊幢丸はした。
なにより、キサラ達異国人は普通に肉食をすると伝え、世間で言われる穢れとは無縁であるとしたのが大きかった。
彼女らの偉業はそれだけ朽木谷では影響が強いのである。
そんな理由で、厨にてハンティは菊幢丸の指揮の下、包丁を振るった。
まず、鶏の腿肉を一口大に切って、醤油、ニンニク、酒を混ぜた調味料に漬け込んで良く揉んだ物に片栗粉を塗して油で揚げる。
そう、鶏の唐揚げだ。
揚げ物は沢山の油を使うために今の時代にはまだない調理法の筈。
揚げ物に飢えていた、菊幢丸はさっそく作ることにした。
鍋の油は温度が違う2種類用意してる。二度揚げの為だ。
温度計や便利な温度調節コンロなんかないんだけど、ハンティは油の温度が解るらしく、菊幢丸が言う適温を見定めている。
「ほい、できたっす」
出来立て、熱々を一つ貰うと、少し息を吹きかけて冷まして口に放り込む。
十年ぶり以上の懐かしい味に思わず涙が浮かぶ菊幢丸。
「美味い! っていうか、美味すぎる!」
外はかりっとし、中はジューシーなそれは、思い出補正を加えたとしてもとても美味しかった。
「おお、ほんとに美味しいっす! 醤油の味がとてもいい感じに鶏肉を美味しくしてるっすよ! これはきっと大婆様もお気に入りになるっすね!」
醤油がない世界のキサラなら、大好物となった大豆由来の調味料を使った料理はきっと好んでくれるであろう。
鶏肉という事で何処か恐々と様子を窺っていた兵士や厨方の料理人が二人のはしゃぎように興味をそそられ、出来上がった唐揚げに、一人、また一人と手を出した。
そして恐れながら喉を鳴らし、一思いに口に放り込んで噛みしめて、目玉が飛び出んばかりに目をおっぴろげて吃驚する。
「うんめぇ!!」
「こんな美味い物、食った事ねぇ!」
次々に上がる賞賛の声に、菊幢丸はしてやったりと言った感じに笑い、ハンティは純粋に嬉しそうである。
これなら、旅人に出しても大評判間違いなしだろう。
「唐揚げは何も鶏肉だけじゃなくて、魚を揚げても美味いんだよね。ということで、ハンティ、これらの魚も揚げようか。小魚は丸ごと。大きい奴は切り身にして。タレ
に漬け込んで。肉用よりも昆布で出汁を取った方にニンニク、ショウガ、コショウで味を調えた奴を使う」
「わかったっす」
そして次々に揚げられる食材たち。
そういえば、と菊幢丸は数多ある食材の中からレモンを探り出すと、それを半分に切って唐揚げに絞り汁をかけた。
「これも美味しい。僕的には魚の方にかけるのが好みだね」
「ふむふむ。なるほどっす! 他には何か秘訣はないっすか?」
美味しい物を更に美味しく食べる方法を模索していくことは大切だ。
ハンティの料理が美味いのは、単なる技術や知識があるからだけでなく、美味しいを食べる人に届けようとする心構えにこそ秘訣がある。
料理は愛情なのだ。
愛情無くして料理は完成しないとまでハンティは思っている。
と、言うのも彼女が言う大婆様ことキサラの舌は、味覚だけでなく料理に込められた思いまで感じ取る力がある為だ。
どんなに美味い料理をキサラに出しても、その腕前に驕り、食材への感謝を忘れたり、食べる相手の事を見下してたりしようものなら、彼女の評価はダダ下がりになる。
キサラはアランフォードでは有名人である。その彼女がダメ出しした店は間もなく潰れるのが慣例と化しているくらいだ。
なので、キサラに料理を供する事もあるディネのメイド隊は皆が料理に対して真摯である。
腕前の向上を目指すのも、偏に料理を食べてくれる人の為にあるのであった。
そんな連中の中の一人である、ハンティの料理を今日、食べることが出来た皆は実に幸運であったと言えよう。
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