第30話 尾張の虎
織田信秀。史実において信長の躍進たる尾張下四郡の経済を支配し、守護代の下の奉行の家でありながら美濃の斎藤や駿河の今川と対等にやりあったという尾張の虎と称された人物である。
なるほど、その風格、並にあらずと評価するキサラ。
胆力も久しく出会った事が無かったほどの剛の者であった。
「不服か? ならば、我が正室にする! これならば如何じゃ!?」
何者も恐れぬとばかりの気迫を叩きつけてくる信秀。
だが、話の内容が変である。
事の起こりは、吉法師が新しい師を雇いたいから許可をくれと直談判をした事に発する。
うつけで通っている吉法師であったが、信秀に何かを頼るという事はしてこなかっただけに、彼も興味を惹かれ、直接会って見極めることにしたのである。
そして、初対面で信秀もキサラの洗礼を受けることになり、席にキサラが付くなり、開口一番が。
「儂の側室でどうか?」
であった。
「何故、そうなった?」
キサラにして予想の斜め上の話に若干の困惑があった。
「吉法師の義母となり、面倒を見るのだ。可笑しな話ではあるまい?」
「いや、可笑しいだろう」
この時代、男子の育成には傅役が付き母親であろうと育児に携わる事は稀であった。それを何処の馬の骨とも知らない女に任せる事が異例であるのに、更に義母に嫡男の面倒を見させるというのは奇人がするような事だろう。
というやり取りがあって、冒頭に至る。
「断る」
「何故じゃ!? 儂は正室さえ離縁しょうという気概を見せておるのじゃぞ!」
いや、それがダメであろう。
「確かにその豪胆さは好ましいがなぁ、倫理に悖る行為がいただけない」
指摘するキサラに対し、それでもと、信秀が食い下がる。
「されど、男として生まれたからには、そなた程の美女をみすみす逃すことができようか!?」
いやできまい、と反語を使いそうな勢いである。
ある意味、清々しく熱烈なプロポーズである。
これが冗談や戯れで言ってるなら良かったのだが、キサラが見るに本気であった。
面倒だ、と思いながら仕方なく事情を話すことにした。
一応誠意はあるだけに、誠意で返そうと。
「残念だがどうににならん。アタシは次代の幕府将軍の嫁候補だ。そしてそいつの為に日ノ本各地に幕府の味方を作る為に活動している」
突然のカミングアウトに驚きの表情を顔に張り付ける信秀。
「幕府の使者だったのか、お主?」
「使者というか客分なのだが、今、日ノ本に南蛮人がやってくるようになったであろう? 連中は交易でこの国の富を奪い、やがて自国の宗教を持ち込み民を従えてやがては日ノ本を属国とするか植民地にする腹積もりでいる」
「な、なんだと!? その様な非道な話があってたまるものか!」
身を乗り出してキサラに詰める信秀を抑えるような仕草をしながらキサラは話を続ける。
「そうならないように、幕府は日ノ本の諸大名が勝手をしないように再度支配下に治め力を迎合しようと動き出したのだ」
「しかし、大名達もはいそうですかと従いはせぬぞ?」
「そうしたら攻め滅ぼして幕府の直轄地にされるだけだ」
「幕府にそこまでの力はあるまい?」
嘲るように言う信秀であったが、直後のキサラの凄みのある顔つきに生唾を呑むことになる。
「今はな。だが、あと数年後は分からないぞ? その為に富国強兵に励んでいる。その時、この尾張はどうするのだ?」
脅す様に言われて、深く考え込む信秀。
腕を組んだり、顎髭をしきりに扱いたりと忙しないが、これが彼の考えるときの癖なのであろう。
「……もとより、弾正忠の家は幕府に含むことはない。ないのだが、守護代の大和守などはどう思っているかは儂にも分からぬ。だが、幕府の決めた守護様を蔑ろにしている事から察するに、幕府を甘く見ていような……」
「ふむ。ならば、アンタは幕府から何か命が下ったらそれに従うようにするんだな。周囲の圧が強いようでも幕府側につくように動くことだ。さすれば、幕府がアンタらを助けよう」
苦り切った顔の信秀にキサラは助言するが、それでも渋い顔の信秀は胸の内を吐露する。
「しかし、幕府の行動は間に合うのか? 周囲全てが敵に回るようなら儂でも持ち堪えられぬぞ」
「何、軍が動けないなら、アタシだけでも助けに来てやるさ。熱烈な告白を受けたからな、そんな男を見殺しにするのは忍びない」
冗談か真面目なのか、そのような事を言ってのけるキサラに、信秀は胡乱げな目を向けて言う。
「その方、兵を指揮できるのか?」
「ん? そのくらい訳はない、まあ純粋な能力なら妹のシャロンの方が得意だがアタシでも10万や100万くらいは手足の如く操れるが、それがどうかしたか?」
「大きく出たな。だが、その10万の兵は何処に居る? 居たとして進軍に如何ほど時を有する?」
そこでキサラは信秀の勘違いに気が付いた。
「もしかして、吉法師からアタシが魔法使いだと聞いていないのか?」
「魔法使い? なんだ、それは?」
やっぱりか、と内心で溜息をつくキサラ。これはあとで一発殴らねばならないかと心のメモ帳に書き込んでおく。
それはそうとして信秀に教えないといけない。
「この国で言う所の陰陽師みたいなものだ。常人では扱えない不思議な術を扱える」
「ほお……日ノ本では既に廃れたと聞くが、異国では未だに盛んなのか?」
「いや、ごく一部に限られるだろうな。とにかく、その力で色々と助けてやれる。城を1年守れと言えば守ってやるし、10万の軍勢を討てというなら皆殺しにもできる。だから安心しろ」
「俄かには信じられんことを聞いたような気もするが、嘘を吐いてる様子でもないか」
「ああ、アタシは噓つきが嫌いなんでな。自分も嘘はつかん」
堂々と宣言するキサラにそれならばと、何か証明立てる事はできないかと問いかける信秀に、簡単な攻撃魔法なら見せてやれると答えたキサラ。
信秀が今何を一番知りたいかを理解しているからこその返事だ。
それならばと、庭先へと移動する二人。
庭に出ると、信秀は警護の兵士に真新しい鎧具足を持ってこさせた。
それをおよそ3町離れた場所に置く。弓の最大射程が約4町で殺傷能力を求めるなら2町というから大体その中間である。それでも庭の端から端まで目いっぱい使った距離になる。
「あれを攻撃してみよ」
「見たところ卸したての様に新しいみたいだが、いいのか?」
念の為に尋ねる。
「古い物では真の威力は測れまい?」
「そういうなら、遠慮なくいかせてもらうぞ」
とは言ったが、本当に遠慮しないと鎧の周辺まで真っ新の更地になってしまう。
いや、正確に言うと鎧から奥全てが見晴らしがよくなるだろう。
「”大気爆砕”」
選んだのは目標地点の空気を圧縮して爆発させる魔法だ。
影響は小さく、目的だけ完遂。
威力もしっかり押さえた魔法は、キサラが指さした鎧具足をパァーンという乾いた破裂音と共に粉々に粉砕してみせた。
因みにこの魔法な座標指定式の為、術者との射線上に障害物があっても問題がない。
はじめ、何が起きたのか理解が及ばなかった信秀らだったが、はっと我に返ると慌てて鎧の在った場所まで駆けだした。
そして、元が鎧具足であったことさえ分からない位に破壊された破片を見て驚くやら蒼褪めるやらと忙しく顔色を変化させた。
「どうだ? これを効果範囲を広げて敵軍のど真ん中に放てばそれだけで恐らく戦争に勝てるぞ」
ゆっくり歩いてきたキサラがそういうと、全員がその場にへたり込んだ。
信秀は思った。
尾張中の武士を敵に回そうと、この女だけは敵にしてはいけないと。
それはひいては幕府に逆らう事の愚かさを意味していた。
「いや、あいわかった。織田弾正忠家は何があっても幕府の味方であると誓おう。誓紙がいるならそれも用意する」
「それはいらない。アンタは馬鹿じゃない。それに万一この国で孤立した時にそんな物を書いたという事を知るものが居たら、状況次第で敵方に着いた振りもできないだろう?」
馬鹿じゃない。その一言に信秀は震え上がった。キサラに対して嘘を吐くことの愚かさを。嘘は、約束を惚ける事はできはしないのだ、と。
だから、本心からの裏切り以外は好きにしろという事だろう。
「さて、話が少しばかりそれたが、吉法師の生活指導の役目はやらせてくれるのか?」
「う、うむ。それは構わぬが……何故にその様な真似をそなた程の者がするのだ?」
自分で言うのも何だが、尾張という片田舎の大名にも満たない武士の子にそこまでする必要があるのか甚だ疑問になる。
「ウチの若様が熱烈にご所望なのでな。ただ、今のまま育ってしまったら問題だらけになるんで矯正しておくことにしたわけさ」
「む? 幕府の若様ということは、次期の将軍がか……うつけに何を期待しているのやら」
信秀は噂くらいは聞いているかもしれないが会ったことはないはずだと考えているのでどうしても不思議で仕方ない。
「アタシの見立てだと、吉法師は内政面の天才だな。軍事的才能は並より上程度だろう。それに対して、弟の勘十郎が軍事の才能の天才だ。器としては吉法師の方が大きいが、二人が手を取り合って尾張を継ぐなら安泰だろうな」
「なんと!? その様な事が解るのか?」
「見れば大体は分かる。ただ、それを理解して適した教育をしないと宝の持ち腐れになるのは言うまでもないよな?」
「息子達を預けろと言いたいのか?」
顔を顰めてしまうのは致し方ない事だろう。嫡男と次男二人を幕府に持って行かれては家中の大問題になる。
「その様な事は言うつもりはないぞ。いずれ、時が来た時に幕府に奉公してくれるならば、特に今のままでもな。ただ、どちらか一人は王城詰めになってもらいたいが」
幕府は有能な人手が幾らあっても足りないと笑うキサラ。
信秀は、笑っていいのか判断に苦しんだ。
笑えば、幕府に人なしである事を認めるはめになり、笑わないとキサラの人を見る目を疑っているように思われかねない。
なので知恵を絞って不自然じゃない話題転換を図ることにした。
「幕府はそこまで人が居らぬのか?」
「ああ、いないな。適材適所に割り振ってもまだまだ正常に機能してないぞ。特に軍事面が弱い。内政はそこそこできるのがポツポツ居るんだがなぁ……」
菊幢丸の近習達があと2,3年成長してからの方が役立ちそうだとはキサラの弁。
信秀はそれを真剣に聞く。
この者が言うのであれば次代の将軍家は強くなるだろう。
もとより逆らう気もなかったが、献金などの心づけは多めにやっておくほうがよいかと計算する。
「ああ、思い出した。勘十郎に仕えている男、あれはやめておいた方が良いぞ」
「……林道具のことか?」
「名は知らぬが、アレは我欲が強く何事も己の理になるかどうかでしか物事を考えない奴だ。その為なら平然と主君をも利用するような人間だな」
「そなたの事だ、讒言ということはないのであろうが……何かをやっているのか?」
「いや、まだだろう。精々、勘十郎に気に入られるようにゴマを擦ってる程度か」
「それは流石に罷免の内容としては不適切だな」
「主人の権限で無理矢理にでも変えた方が勘十郎の為だと思うが、それをするとあの類は恨みに持つ。泳がせて尻尾を出すのを待つ方が安全ではあるな」
しかし、悪事を働くかは現状でキサラにも分からない。ただ、勘十郎に讒言をつづけて吉法師が弾正忠家の世継ぎに相応しくないと吹き込み続けるだけだと面倒である。
「勘十郎には助言をしておいた。聡いあの子であれば、易々と讒言に惑わされはしないだろう。それに業を煮やして何かを企てる可能性はある。その尻尾を捕まえられるように注意しておけ」
「おお! そうか、何から何まですまないな」
信秀は喜色を浮かべた。
「それで、肝心の吉法師の教育への報酬だが」
その言葉で、思わず身構える信秀。
こんな凄い人物を雇うのに幾らの銭が掛かるのか、背筋に冷や汗をかいた。
「一日3食、寝床つき。日銭が50文だ。なお、ご飯に味噌汁をつけること、これは譲れない」
聞き間違いかと思い確認してみたが返答は変わらなかった。
変わった事と言えば日に三度の飯だが、それぐらいだ。
「ちなみに、この国の名産があるなら幾ら食膳に乗せてくれて構わないぞ」
キサラのマイペースは何時、何処でも変わらないのであった。
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