第28話 コイが取り成す縁もある

 その少年の目に止まったのは寝床から上半身を起こした豊政でも、それに縋りつく孫娘の類でもなく、一際異彩を放つ二人の見るからに日本人離れした容貌と格好の娘たちであった。

 最初、その美しさに当惑し、次第に持ち前の好奇心が鎌首を持ち上げてきた。


「何者だ、このうつけ女は?」


 その手にした鯉は生きており必死に抗っており、何処かお間抜けな絵面で少年は誰何してくる。

 うつけの悪ガキにうつけ呼ばわりされたキサラはその目を細めた。

 

「これは若様! 態々、ご足労頂き恐悦にございます!」


 余りの急展開に固まっていた病人こと、生駒豊政が再起動を果たし、悪ガキに頭を下げた。

 尾張の武士が頭を下げる若様で、この格好をした少年など、事前調査で知る限り、キサラに思い浮かぶのは一人しかいない。

 これが吉法師。

 後に日ノ本の覇権を握ることになる人物。

 だが、今はただの悪ガキにすぎないようだが。


「人に尋ねる前に、自分から名乗ったらどうだ、小童」


「ほう、この俺に対して随分と度胸のいい女だ。見た目からして、風のうわさに聞く南蛮の者か?」


「だから、名乗れと言っている」


 確か菊幢丸より2つ年上と言ってたはず。なら12歳。その年齢にしては貫禄があるが、これはまだまだ虎の威を借りる狐だなとキサラは思った。


「ふん、そこまで言うなら教えてやる。俺は吉法師、織田弾正忠家の嫡男よ」


 二度にわたるキサラの誰何に眦を上げて、吉法師は答えた。


「キサラだ、こいつはディネ・アーベンヘル。見てわかるだろうが異国の者だ」


 されば、間を置かせずにキサラが名乗った。紹介されたディネは深く頭を下げて応じる。


「やはりそうか! それで、その南蛮人が何故ここにいる?」


 南蛮人とは言ってはいないのだが、この国で髪の色が黒くない異国人はイコール南蛮人で括られてしまうようだ。

 嘘は嫌いなキサラだが、相手が勘違いや思い込んでる分には特に気にも留めないので訂正することもなかった。


「この病人の治療に来た」


 さっとディネが万病癒して候と書かれた幟を手にして見せる。


「お前、医者か?」


「いや、魔法使いだ」


「魔法使い? 何だそれは?」


「不思議な事を起こす者だ」


「……陰陽師みたいな者か? 眉唾だな」


 短い言葉で応酬する二人であったが、吉法師が胡乱な目を向けると、そこで第三者が割って入った。


「この方は、本当に不思議な力を使えます! お祖父様を手をかざしただけで治してくれたのです!」


 お類である。


「ええ、真にございますぞ、若様。某、病に罹る前と同様に元気になり申した」


 本当かという視線が向けられたので豊政が類の言葉に追従する。

 言われると以前に来た時よりも悪くなっているどころか、痩せてはいるが顔色も良く声に張りがある事に目を見開いて驚く吉法師。


「さて、アタシの事は証人が認めてくれたので良いだろう。それより、いい加減にその鯉をどうにかしてやれ。死んでは直ぐに鮮度が落ちていくぞ」


 会話に熱くなる余りに忘れ去られていた、いや、キサラやディネはずっと気にしていたが、当初ピチピチしていた鯉は今やぐったりとしていた。


「「「あ……」」」


 吉法師、豊政、類の漏れ出た声が重なる。


「も、もうしわけございません! 直ぐに厨へとお運びいたします!」


「待て、類」


 慌てて鯉を受け取ろうとする類を止めて、吉法師は口角を上げて意地悪そうな表情でキサラを見た。


「キサラとか言ったな。その魔法とか言う南蛮妖術でこの鯉を元気にしてみせよ」


 さてどうしたものか。

 鯉がぐったりしてるのは単に疲労しているだけではなく体内の酸素が欠乏してるのが最大の要因だ。

 体力だけ回復させても意味はあまりない。もう一手間必要になるが。

 猜疑心が強いのか、ただの好奇心か、どちらなのかは、まだキサラにも漠然として読めていない。

 疑っているのであれば、今後の関係を良好にする為に晴らしておくべきだが、好奇心に一々応じていたら魔力が勿体ない。

 魔法が使えない子供に魔法を見せると、大概はもっと見せろとせがまれたものであった。

 アランフォードと近隣世界に居た頃は望まれるがまま叶えてやったが。

 果たして、この魔法文化未開の世界の悪ガキ相手ではどうなるか。

 事前情報によると良い所のお坊ちゃんで好奇心旺盛だというが。

 

「いいだろう。ただし、条件がある」


 幾何かの熟考の間を置いた後にキサラはそう返事をした。


「何だ? 着物か?」


 吉法師の不躾な目がキサラの胸と腰を見据える。

 着る物に困っているように見えるのだろう。


「……銭は持っている」


「そうか。では、何だ?」


 吉法師の言葉の返しは早い。

 そして、何の疑問も挟んでいない事にキサラの予想が確定になった。


「ああ、何でうつけの真似をしているのだ?」


 キサラのその一言は場に衝撃をもたらした。

 菊幢丸から織田信長はうつけだと聞かされていた。ただ、それは世を欺く姿だったらしいとも。

 だがそこでキサラが思ったのは、からそれをしていたかだった。

 幼少時から奇矯な行動が多かったらしいが、物心つく前の子供が周囲を欺く演技を取れるものかが甚だ疑問であった。

 信長のそれが何時からであったかで対応が変わってくるとキサラは考えた。

 大人になってからのその行為は、キサラから見れば、優れた物でなく凡才のそれだと考える。メリットとデメリットを考えればデメリットが勝るからだ。

 腹に一物持つ連中ですら上手く使いこなし,叛意を抱かせないようにするのが天才だ。

 幼少時にうつけを理解して演じるのは、難しい。可笑しなことをしても子供だからで済まされる事もあるだろう。理解して行動するというよりは本能が赴くままに行動しているとみる。

 少年期にこれを成すなら秀才から天才の域にあると見ていいだろう。

 今の自身にとって出来ることで周囲を欺くことに意義を見出しているのだから。

 これを将来にどう活かすかで天才かどうかの判断が大きく問われるだろうが。


「貴様。いつから気づきおった?」


 吉法師の声に剣呑さが混じるがその程度で動じるキサラではない。


「強いて言えば、アタシに最初にかけた言葉、確信したのは今さっきだ」


 キサラをうつけ女と称したが、本物のうつけならば、その様な発言はまずしないものだ。何万年と色々な人間を見てきたからこそ解る。

 うつけはうつけを理解しない。

 同類であるだけに、うつけはむしろ、常人をうつけと思うきらいが強い。

 また、先の質問でキサラが着る服に困ってるのかという問いに銭はあると返したが、銭がある=服を買う余裕があると理解し、それでも今の格好をしているのには訳があると見抜いた故に言葉少なに、その件は終わらせている。

 自分がそうであるようにキサラもそうなのだと瞬時に考え付いたからであろう。


「ふ、ふはは! そうか、それだけで俺の擬態を見抜いたか!」


 突然哄笑を上げる吉法師にこれまでの姿しか知らない生駒家の者達は戸惑い、豊政と類は顔を見合わせ、キサラとディネはやはりなと納得顔をする。


「面白い! 話してやっても良いが、ここでは少々問題がある。俺の城まで来い」


「わかった。それならば、鯉は今、元気良くしてやろう。流石にそろそろ死にそうだ」


 そう言って腰を上げて吉法師に歩み寄り持っていた鯉に右手の人差し指を鯉の鼻面に軽く触れると、死んだような状態だった鯉が勢いよく動いて、油断していた彼の手から踊りだした。

 すかさず動いたのはこれまでキサラの影に徹していたディネである。

 何処から取り出した物か並々と水の張った桶をもって、飛び跳ねた鯉をポシャンとキャッチする。その際に飛び散る飛沫さえ巧みな桶の動かし方で部屋を汚さないようにする技術は無駄に高い。


「さて、ここにもう用はないな。いくぞ」


 ディネが桶を類に渡すのを確認してキサラは吉法師を促す。


「う、うむ……今のが魔法とやらの力か?」


「そうだ。アタシは約束を守った。今度はソッチの番だろう?」


 しつこく吉法師を促すキサラだが、それに豊政が待ったをかけてきた。


「お待ちくだされ! まだ、謝礼も支払っておりませぬぞ! お幾らほどお渡しすれば宜しいのでございまするか!?」


「ああ、病気の治療なら銭は必要ない。吉法師に言ったであろう、銭はいらないと」


 さも当然の如くに謝礼を辞退するキサラに、皆が驚きの目を向ける。

 これを生業としているのではないのかと言いたいらしい。


「困っている人を助けるのはアタシの余興だ。それで人との良縁が持てるならこれに勝る喜びというのはそうそうないからな」


 果たしてキサラの口から語られた内容は、何と言えば良いか困るものだった。

 金持ちの道楽と言えば聞こえは悪いが、それと同様らしい。

 だから気にするなと。


「しかし、それでは某の気持ちが納まりません。せめて少しだけでも受け取っては戴けませぬか?」


「ご老体、此度の様な奇跡はそう何度もあるものではないぞ。もしも、次に病に罹ったり、困難に巡り合った先にその僅かな銭で助かる事があるかもしれない。その様な場合に備えてとっておくといい」


 少しばかりと言いながら、それなりの額を渡そうとするであろう、老人の思惑を読み取ってキサラはやんわりと断りをいれると、もう話はないと言わんばかりに吉法師をせっついて館を後にするのであった。

その道中、馬で駆ける吉法師に徒歩で追従してくる二人に彼は吃驚していたのは余談としておく。


「で、俺がうつけの振りをしている訳が聞きたいんだったな」


 那古屋城の自室に通されたキサラに人払いを済ませた吉法師が開口一番に確認してきた。

 それには無言で頷くキサラ。ディネはまた影に徹している。


「敵を油断させる為だ」


「敵とは?」


「この尾張には親父に従う者ばかりではない。守護代の大和守家、伊勢守家、他にも親父の趨勢を日和見してるような奴らだ。そんな連中を炙り出すのも目的だな」

 

 吉法師の定める敵とは尾張という国の内患を指してるようだった。


「連中は俺が家督を継げば襲い掛かってくるに違いない。その時に、大いに油断していてくれれば戦が楽になるはずだ」


「それで、うつけの真似か。十二歳という子供にしては良く考えているが、甘いな。欠点だらけだ」


 やや細められたキサラの蒼い瞳が鋭く光った。


「何だと!? 俺の考えが間違っていると言うか!」


「直ぐに怒るところも良くないぞ。人の話を素直に聞こうとは思わないのか?」


 瞬間湯沸かし器並みに沸点が低い吉法師を宥める……というよりは雰囲気で威嚇するキサラ。

 その尋常ならざる圧に、汗を浮かべながる吉法師は声が出せない。精々が唸る程度が一杯一杯だった。


「いいか。確かにアンタの策は旗色を明らかにしない奴らを明確にするにはいいだろうが、人間は誰でも完ぺきではないしそれぞれ事情というものがある。それなりに忠節ある者でもうつけな主君に付いて命をかけられるか、考えてもみろ? その程度で付き合えない相手など要らないなどとも言うな。それは臣民の7割から8割を切り捨てる行為だ」


 そこまでの大局観を持っていなかったのか、吉法師の顔色がやや蒼褪める。

 そこに追い打ちをかけるように、更なる欠点を上げていくキサラ。


「それに、内にばかり目を向けて外はどうした? 北に斎藤、東に今川という大敵を抱えているのを忘れたのか? 連中がアンタの噂を鵜呑みにすれば、これ幸いと攻めてくるぞ? その時に内紛を起こしていたり、仮に纏めきれていても頼れる部下や兵は減ってるだろうな」


 言われたことを想像すると頭が痛くなってくるのか、額を手で押さえる吉法師。


「仮に、運よく一回は勝てたとするか。しかも大将首を上げての大勝利だ。だが、敵はもう一ついるな。勝てたからこそ、喜び気が緩んだところをもう一方が油断せずに大軍で攻めてきたらそれでこの国はお終いだ」


 両掌を天に向けてキサラがそう告げると、策を否定されて怒りで立ち上がった吉法師も力なく腰を下し床に両手をついた。

 

「如何すれば良かったというのだ」


 遂に弱音が零れた吉法師にキサラはどうという事はないと告げた。


「最初から後継者に相応しい姿勢を見せていれば良かったのだ。アンタには他人に数倍する器がある。人の言う事を聞き、しかし言われるがままでなく考える事が出来る頭で良き悪きを判断して行動していれば、日和見している者も味方になっていただろうな」


 その時点で国内の敵対勢力よりも優位な立場に立っていた筈である。

 家督相続時には、今の国内の敵は弱体化し、潰すも味方にして使うも思いのままにできたとキサラは語った。


「……で、あるか。だが、それは無理であったであろうよ」


 そして、吉法師は語る。

 物心ついたときは、周りの人間が子供ばかりか大人まで自分の言う事が理解できずに叱る。

 何故叱られなければならないのか、納得できなかった吉法師は己の思うがままに行動するようになった。

 そしていつの間にか「うつけ」と呼ばれるようになっていたのだ。

 ならば本当のうつけになってやろうかとも思ったが、それでは馬鹿にされたままなので気に食わない。

 だからうつけの振りをして、それを理解できない奴を笑ってやろうと思うに至ったそうである。

 だが、それには理由がいる。理由なき振りは本当のうつけだ。

 故に考え抜いた結果が今の吉法師だったというのである。


「ふむ。なるほどな。変わる切っ掛けを得られなかったか」


 今の話で吉法師が天才型の人物である確信はできた。

 だが、このままでは凡人としていや最悪愚者として埋もれてしまいかねなかった。

 それは些か勿体ない。

 菊幢丸は、この吉法師に大分期待している所もあったしな、とキサラ。


「切っ掛けが欲しいか? 吉法師」


「……今からで間に合うのか?」


 俯いていた顔を上げると不安げに問いかけてきたが、それは勿論の事だ。

 これまでの価値観を派手にぶっ壊されるような出来事があれば、誰もが嫌でも変われるというもの。

 その最たる例が菊幢丸を初めとした朽木谷の人々である。


「問題ない。というわけで、アタシを暫く雇え、吉法師殿」





 

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