第17話 キサラの日常1
キサラの一日は、菊幢丸の起床から始まる。
特に睡眠が必要な身体ではないが、休めるのなら休めた方が健康的だ。
寝ていても意識は菊幢丸を中心にして彼のいる部屋を知覚で覆って見張っている。
それぐらいできないでは、アランフォード最強の魔法使いを名乗るのは烏滸がましいというもの。
「ん。起きたか」
偉い立場になると自分で衣服を変えないという文化はアランフォードにもある。それはこの世界にも通じるらしく、菊幢丸も初めは侍女が世話を焼こうとしたらしいが、転生者である彼はそれを拒み、この時代の衣服の着方を覚えて直ぐに着替えは自身で行うようにしたと言う。
己に掛けていた夜着と呼ばれる寝具を退けて、キサラも上半身を起こした。
手早く解いていた髪を紐で結わきポニーテールにすれば、準備は完了だ。
今のキサラは着替えない。正確には着替えがない。
異空間収納内にも、服や装飾に興味を持たないキサラはその手の持ち物がない。
故に、へそ出しタンクトップ、ボトムスのショートパンツ、ニーソックス、あえて言えばハイレグのショーツも履いたままだ。
だからと言って、不潔だとかではない。
キサラの服は皆、とにかく丈夫で金属抵抗、火炎無効、魔法耐性、衛生管理、汚れ除去の魔法が掛った品で着たきり雀でも、卸立てを着ているのと同じ状態に保たれているからだ。
洗濯の必要もない。
そして何よりも、己の身体に絶対の自信を持つキサラは、この世界、この時代の衣服は到底着れたものではなかった。
まあ、他の服を着る必要に迫られれば、自分で作り上げるだけの材料と技能は持ち合わせているのだが、今のところそれはないようである。
もしも作るとするなら、菊幢丸との婚儀に着るウェディングドレスくらいだろうとキサラは考えていた。
「着替え終わったか」
気配で指の動きまでも察知できるキサラが菊幢丸の着替えが終わったとみるや、無遠慮に襖を開けて中に入る。
「おはよう、菊幢丸」
「おはよう、キサラ」
何気ない挨拶だが、キサラはこの時に声の調子と見た目で菊幢丸の健康状態をチェックしている。
今日も健康のようで何よりだな、と心の内でごちて、笑みを浮かべる。
すると菊幢丸がキサラの顔をマジマジと見つめてきた。
「何だ? ジロジロと」
「いやぁ……昔、美人は三日で飽きるって聞いたことがあるんだけど、キサラは何日たっても見飽きないなぁって思ってさ」
昔とは前世の事だ。
さり気なく菊幢丸が褒めたのだが。
「何を当たり前の事を言っているのだ?」
圧倒的な自信家で人に褒められ慣れているキサラには微塵も通じなかったのである。
「それより今日の予定は?」
「あ、うん。いつも通り、だけど……朝稽古の後の休憩時に今後の事で相談したいことがあるんだ」
菊幢丸のその時間帯は、キサラにとっての自由時間である。
常であれば、朝ご飯は何であろうかと想像を膨らませている時間帯だ。
昨日と同じだろうか?
何か違った物だろうか?
珍しい食材は手に入ったのだろうか?
等と楽しい一時ではあるが。
「無論、かまわないぞ」
基本的に菊幢丸の決定事項に否とは言わないのがキサラのスタイルだ。
それに流石にご飯の事を考えてるからダメだとは言わない。
何故ならば、想像して楽しんでいても菊幢丸と小難しい話をしていても、その時はやってくるのだ。
そう! 朝ご飯の時間は!
一日の真の始まりはここからである、とキサラは断言する。
「じゃあ、また後でね」
「ああ、また後でな」
そう言って別々に行動する二人。
身辺警護の仕事もあるのだが、基本は襲われやすそうな時と場所で警護してくれれば良いという事になり、ある程度の自由時間が持てるようにキサラはなっていた。
それでも保険は掛けているので、まずこの世界において菊幢丸が危険な目に遭うことはないだろう。
朝稽古の時間は二時間程で、初めのうちは稽古を見ていたが、今は村に繰り出してこの世界の事を知る為の努力をしている。
最初はその美貌と奇抜さに浮いていたキサラも最近では馴染んできており、村人と通りすがれば挨拶を交わす様になった。
「お、美衣さん。最近はどうだ?」
年の頃、20程の娘と道すがら出会うと、キサラは声を掛けた。
以前、畑の野菜の取れ高が少なくなって困っていたのを相談に乗った相手である。
「ああ! キサラさん! お蔭様で以前より良く育つようになりましたよ! でも、育ち方が凄く速いんですけど……前と比べて倍ほどですかねぇ?」
美衣は喜色を浮かべて応じてくれたが、何処か困惑しているようでもあった。
それを見て、さもありなん。とキサラは思った。
「土の魔石は大地に満遍なく必要な養分を周囲に放つからな。その影響もあるだろうし、何より生物の成長を促進させる作用がある」
「難しい事は分からねえけども、あの石のお陰なのは間違いないんだね? ほんとにありがとうね」
「また何かあったら言ってくると良い。出来るだけ力になろう」
菊幢丸の作ってる堆肥を配る計画があるが、まだ出来上がっていないし、美衣の畑は一日を争うくらいに困窮していた為に手を貸したのだが、基本人が良いキサラは頼まれればそこに悪意や惰性を感じられなければノーとは言わないのである。
「ところで……」
「大変だぁ! 松吉んとこの牛が殺られちまった!」
キサラの背後から誰かが叫びながら駆け寄ってきた。
既に村人の顔と名前は憶えているので、声から誰なのかを特定するべく検索しようとして。
「太郎次さん!」
「おう! 美衣ちゃんか! 直ぐに村長のとこに行ってくれ!」
美衣に叫ばれて、臍を嚙むことになった。
この様な些細な事に気を回す癖がキサラにはあった。
何でもこなす、超人であるだけに、変な拘りがあるのだ。
特に恨み節を抱く様な事はないが、世の中、思うが儘にはならないと心で溜息をつく。
「キサラ嬢ちゃんにも一緒に行ってもらえると助かるんだが、いいかい?」
「勿論、構わんさ。村の大事に無関心ではいられないからな」
そうして訪れた村長の屋敷。
周囲の農家5軒分はある家に、村の主だった者が集まっていた。
「皆、よう来てくれた。聞いたと思うが松吉のとこの牛が殺されてしもうたわい」
「下手人の手掛かりはあるのかい?」
「ああ、人ではなく、ありゃあ、熊の仕業じゃな。それもとんでもなく大きい奴じゃ」
村長は、鋭く大きな爪の痕と食い荒らされた肉片からそう判断したらしい。
「以前、四郎兵衛が山で見た山の主が里に下りてきたと見ておる」
四郎兵衛は狩人だ。10日程前に山の中で大きな熊を見たという。人間を優に超える大きさでざっと2メートル近くはあったらしい。
このまま里に現れるようになっては、いつ人名が危ぶまれるか分からないので対策を練りたいと皆を集めたという。
「お城のお侍様に頼むしかないんじゃないか?」
「んだな。おら達には荷が勝ちすぎるべよ」
熊相手に普通の人間が接近戦を挑むのは無謀だ。
弓矢で毒矢を撃つのがこの世界、時代のスタンダードだ。
あとは村人が言うように武芸に長けた物が槍で突くなどであろう。
卜伝翁なら一瞬で首を断ちそうだな、とキサラは思った。
「そうだな。特に問題がないならアタシが始末しようか?」
アランフォードにも熊はいる。人間が居るのだからそれと同じように同じ動物が居るのもなんら不思議ではない。
ただ、魔元素の関係で魔獣化するかしないかの違いしかない。
魔獣じゃない熊でも村人の手には余るだろう、ならばキサラが動いても良かろう。城の人間も暇ではないのだから。
それに、だ。
「お得意の魔法をお使いになるので?」
村長が尋ねたがキサラは首を振った。
「いや。熊程度に魔法は必要ない。まあ、見ているがいい」
言うなり、キサラは村長宅の戸を勢いよく開け放つ。
するとそこには、巨大な熊が居た。
まだ村内をうろついていたようだ。
前足や口周りが赤に染まっており、こいつが牛殺しの犯人だと分かる。
書物によれば大きさは5尺(150センチ)程とあったが、こいつは余裕で7尺(2メートル)以上はあった。
キサラの背後で大小様々な悲鳴が上がると、大熊は二本足になり立ち上がって血に塗れた右前足をキサラに振りかぶった。
思わず悲惨な光景を想像し、顔を咄嗟に背ける村人達が多い中で、キサラと親しい者、つまり魔法の力を良く知る者たちは見た。
振り下ろされた足を左手の甲で軽く跳ねのけ、空いた熊の胸に右の券打を放つキサラを。
「お、おおぉ~!」
背中から後ろに倒れこむ大熊に彼らは感嘆と驚きの声を上げた。
顔を背けていた者らも、目を見開いて口を開けて呆けた。
「今のは魔法じゃないんですか?」
代表して美衣が聞く。
それに頷くキサラ。勁
「ああ。体術、拳法だな。相手の心臓に届く浸透勁を叩き込んで破壊しただけだ」
心臓を破壊された熊は血の泡を吹いて絶命していた。
「で、これはどうする? ここに置いておいても邪魔だろう?」
皆が言葉を失っている中、何でもないとばかりにキサラが問う。
それで、我に返った村長が、裏庭に運んで解体しようと言うと、キサラは頷いて片腕で熊を持ち上げてスタスタと裏へと回っていった。
驚き過ぎて固まっていた村人だったが、直ぐにゾロゾロとその後を追っていく。
そこでは既にキサラが解体作業を行おうとしていた。
心臓を破壊して殺してしまったので血抜きには仕方なく魔法を使う。
「”摘出血液”」
熊の穴という穴から血があふれ出し一面が真紅の池になる。
「”洗浄”」
しかし、それもキサラの呟き一つで夢か幻の如くに奇麗になる。
そして、タンクトップから剣と見紛うばかりの大包丁を取り出して素早く腸と内臓を取り出して行く。
大概何でも出来ると以前菊幢丸に吐いた言葉は大言壮語ではない。
全ての内臓を傷つけることなく奇麗に取り終えたキサラがそれまで休むこともなくスムーズに動かしていた解体処理の手を止めた。
「すまない。朝ご飯の時間だ。後は任せてもいいか?」
体内時計は狂いなくピッタリ食事の時間を知らせる。
むしろこの時代の時間の測量法の方が間違っているまである。
「へい。いや、むしろここまでやってもらって申し訳ない気持ちで一杯でさぁ」
進み出てきたのは狩人の四郎兵衛だ。
キサラの解体の腕前は四郎兵衛をして彼の上を遥かに行っていた。
「分けた肉はお城に運べばよろしいので?」
「ん? 牛を殺されたのだろう、松吉は。彼にやればいい」
まるで自分が貰うのは筋違いだとばかりに言うと、キサラは村長宅を後にするのであった。
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