第16話 完璧メイド?

 キサラとディネの言い争いの決着は夕餉まで掛かり、そして勝敗はなんとディネに軍配が上がった。

 キサラがこのままでは夕餉を食べ損ねると妥協にも諦めにも思える決断をしたからだ。

 こうして、ディネは慇懃な態度でいることが許されたのである。

 そしていきなり、夕餉の席で義晴を始めとした皆に紹介されたのであるが、その自称完璧メイドである、ディネはまさに完璧な態度で皆の感心を掴み、何の問題もなく受け入れられたのであった。

 立場はキサラと一緒に事故にあって離れ離れだったのが合流できたということで、客人扱いを提案したのだが、ディネ自身が世話になるのに働かないわけにはいかない。幸い、自身はメイドであるので屋敷で行う仕事は何でもこなせるというので、下女となった。

 侍女でもいいんじゃないかと菊幢丸は提案したが、本人は強く下女を希望しキサラも構わないというのでそうなった次第である。


「知らない天井だ」


 次の日の朝、床で目覚めた菊幢丸は目を開けて映り込んできた光景に呟いた。


「僕の記憶の部屋の天井は、あそこに大きな染みがあったんだけどな……」


 被ってる夜着は自分のものであるし、起きて部屋を見回せば間取りも置物も皆記憶の物とほぼ一致する。

 ほぼ、というのは皆、綺麗なのだ。

 部屋も新築さながらに。

 物も買い立てのまま置いたように。


「誰か」


「はっ。お呼びでございますか?」


 菊幢丸が声を掛ければ襖が開き、寝ずの番だった警護の兵士が入って来た。


「昨晩、キサラかディネがこの部屋に入ったか?」


 こんな事が出来るような人物は限られているのでそう問う菊幢丸に対し、その答えは違っていた。


「いえ。確かにディネ殿が廊下などを掃除しておりましたが、お部屋には入っておりませぬ」


「夜中に掃除をしておったのか?」


「はい。それがしも不審に思って、問い質した処、昼間はキサラ殿から命じられた役目があるので夜に雑用をしておられるのだとか」


 魔石製造の件かと思う菊幢丸。

 とりあえず、ディネが夜に掃除をしていたのは分かった。

 しかし、部屋には入っていない。

 魔法でも使ったのか?


「初めからキサラに聞けばよかったな」


 そう呟いて、隣の部屋への襖を開ける。

 キサラは菊幢丸の身辺警護のために、彼が起きるまでそこに待機しているのだ。

 だが、今日は違った。


「あれ? いない……あの律義なキサラが僕に声もかけないで居なくなるなんてどうしたんだろう?」


 不思議に思いながら、寝ずの番の兵に聞いてみると、菊幢丸が起きる少し前に血相を変えて部屋を出ていったらしい。

 声を掛ける間もなかったという。

 目撃証言を求めながらキサラを探索していると、万吉と出会った。


「おはよう、万吉。キサラを見なかったかい?」


「おはようございます、菊幢丸様。キサラ殿は見ておりませぬが、昨日紹介されたディネ殿でしたら井戸場で洗濯をしておりましたが」


 その報告を聞いて、ディネに直接何かやったのか聞くのでもいいかと考えを改める。

 まだそれほど親しい訳ではないけど、あの誰にでも当たりの柔らかい性格の彼女なら話くらいはしてくれるだろうと思う。

 そして、足を井戸場に向けて進めていくと、昨日も聞いた喚き声がしてきた。

 木の陰になって見にくいけど、どうやらキサラとディネがいるようだ。

 キサラの剣幕に充てられて思わず木の裏に姿を隠してしまう菊幢丸。


「だから! どうして、お前はそうなんだ!?」


「主様がウサギ小屋で生活なされておられますので、せめて奇麗な場所でお過ごし成されてもらおうと思いまして」


 さりげなく朽木谷城がディスられた。

 あれがキサラが相手だからなのか、誰にでもそうなのかでディネの評価は変わるだろう。


「お前、失礼だぞ! それで良く完璧メイドなぞほざいてるな! それと何かやらかすならアタシに先ず報告しろ! やっていいかどうかはアタシが決める!」


「メイドがお掃除をするのに許可が必要でしょうか?」


「自分の家じゃないんだぞ! 勝手にやるな!」


「昨日の時点でここの下女として働かせて貰う許可は得ておりますが?」


「ああ! もう、ああ言えば、こう言う! 百歩譲ってそこは許しても人が寝てる部屋に無断に入り込んで掃除するんじゃない! お前は警護の人間をクビにしたいのか!?」


 キサラは最初から怒っていたが、そこに更なる怒気が込められた。

 それを察したからかどうなのか、深々と頭を下げて謝罪の言葉を述べる。


「申し訳ございません。私の浅慮ではそこまで考えが至りませんでした」


「嘘を吐くな! お前、全て分かっていて菊幢丸の部屋を最後にしただろう!? アタシが見張ってるのがそこだけだと知っていたな!」


 キサラに感づかれたら、間違いなく止められると理解していたからそうせずにはいられなかったのだ。

 

「重ねて申し訳ございません。仰る通りでございます」


 下げた頭はもう地面に着く寸前だ。


「ここまでの失態を犯してしまった以上、この不出来なメイドに厳しい罰をお与えくださいませ」


 殊勝な態度にも見えるが、それに対して鼻白むキサラ。


「お前、端からそれが狙いだったな? だが、甘いぞ。お前に与える罰なぞない!」


 ニヤリと笑うキサラに悲しそうな顔を見せるダメイド。

 しかし、事態は風雲急を告げる。


「ああ……そのような……これでは、私、同じような失敗を何度繰り返してしまうのでしょうか……」


 その一言は、キサラに止めを刺した。


「お前、流石にそれは卑怯だとは思わないか?」


「いいえ、主様。私の弛んでしまった意識を締め直しますには、この身体にしっかりと戒めを刻まなければなりません」


 ディネの表情は真面目になっているが、菊幢丸にはこう見えた。


「計画通り」


 と。


「お前の身体に覚えさせる方法なんて一つだけではないか」


「そうでしょうか? 主様になら他にも可能かと存じ上げますが?」


「確かにな。だがな、この世界でその方法を使うのは阿呆のすることだぞ」


「そうですわね。では、主様……お願いいたします」


 そう言ってディネがキサラに近づくと、ひょいっとディネの身体を片手で持ち上げてメイドドレスのスカートを空いた手でおもむろに捲りあげる。

 顕わになる美脚とガーターベルト。

 そして美の極致にある様な臀部。

 因みにパンツは黒でした。ありがとうございます。


「じゃあ、やるか。まったく……」


 キサラの手が太陽を捧げるように天を指し、勢いよく振り下ろされる。

 響く肉の悲鳴。

 抱えられたディネの口からも苦悶の声が、苦悶の声?

 「あっ」とか「うんっっ」とか痛みを堪えている声が洩れているが、それはどこか悦を帯びていた、と菊幢丸は思った。

 と言うのも、痛がってるようにはディネが見えない。

 あれは前世にこっそりと悪友と見たAVの女優さんが見せた悶えを我慢する顔だと直感的に閃いた。

 何回キサラの手が鞭の如く振るわれたか分からないが、ディネの真っ白な尻は真っ赤になっていた。

 その様を見れば日本猿の顔さえ青く見えると言うほどだ。


「ほら、これまでだ。もう十分だろう」


「ありがとうございます、主様。このディネ・アーベンヘル。偉大なる主様の御名に誓って二度と同じような失敗は致しません。私はこれで、まだ100年は戦えます」


 地面に降ろされたディネはメイド服を整えると深々とキサラに頭を下げ感謝の言葉を述べた。

 変態さんだ。

 菊幢丸は思ったが、その感想の余韻に浸ることはできなかった。


「しかし、殿方に見られながらの折檻というものも中々に刺激的でしたね」


 ディネのアメジスト色の瞳が菊幢丸の目を捕えた。

 不味い! 覗きがばれてた!

 どう言い訳しようかと焦る菊幢丸だったが。


「はあ……お前の性癖には付き合いきれん。おい、菊幢丸。朝稽古は良いのか? 卜伝翁にしごかれても知らんぞ?」


 覗きを責められはしなかったが、日課を忘れていた事を思い出した菊幢丸は震え上がった。


「ご、ごめん! 僕、行ってくる!」


 踵を返して全速力で駆けだす菊幢丸の背に、ディネが呟く。


「あのお方が、主様の旦那様でございますか」


「旦那になるかどうかはアイツの気持ち次第だ」


 素っ気ない態度を取るキサラに柔らかな笑みを浮かべるディネ。


「失礼ながら、ご期待なされておりますよね?」


「何のことだか」


「知っておりますわ。これまで主様とお付き合い成された殿方達の事は、皆、婚約の話になられた途端に主様にはもっと相応しい方が現れると仰られて逃げてしまわれた事」


「アタシは元々、結婚なぞする気は無かったからせいせいしたがな。さて、アタシは朝ご飯を食べに行ってくる。お前はしっかりと仕事をしろよ。自分で言い出したんだからな」


 それだけ言って、キサラも井戸場から去って行く。

 残されたディネは一人、水の張った盥に向かい、洗濯途中の着物に手を伸ばした。

 じゃぶじゃぶと2、3回揉み洗いをして、バッと気持ちよいほど勢いよく盥から取り出し広げる。

 そこには、汚れも染みも、黄ばみですらない真っ新な状態になった菊幢丸の道着があった。

 完璧メイドの面目躍如である。


「さてさて、あの方が主様の良い人になられるのか、楽しみですわね」


 キサラと言う娘が、誕生してから何万の年月が過ぎ去った事か。その間の結婚歴はなしである。

 それでも、キサラが習得している技能の幾つかはいつか現れる伴侶の為にと磨いていた事実を人の心の機微に聡いディネは察していた。

 今まで結婚に対してさして思い入れもなかったキサラ。長い年月を生きて一人が当たり前となった娘。

 だが、この度は自身の命を他人に預けるという特別な関係になっている。魂の契約者となったデバガメ少年を思いながらディネは優しい目をその道着に向けた。


「願わくは、主様にほんのひと時でも幸があらんことを」

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