第3話 塚原卜伝

「申し遅れた。拙者、塚原卜伝と申す兵法者でござる」

「あ、ども。アタシはキサラ。全知全能の魔法使いよ」


 遅まきながらキサラと老人、塚原卜伝は挨拶を交わした。

 他の男衆は卜伝の弟子、それも高弟だそうだ。

 卜伝はキサラが世界規模の漂流者ということで、行く当てもないだろうから一緒に付いてこないかと誘ってくれたのである。

 日は傾いているがもう少し歩けば朽木谷という村につくらしい。

 卜伝の目的地でもあるそうだ。


「卜伝翁は、朽木谷とやらに何の用があるんだい?」


 旅は道ずれ世は情けとばかりにまずは言葉を交わす事にしたキサラ。

 さっき獲った雉は血抜きしてお弟子さんに持ってもらっている。

 村に着いたら調理して食べることにしたのだ。キサラ一人で食べてもいいのだけど、ここは折角なので卜伝にもおすそ分けすることにした。ただし、9人のお弟子さんの分は流石にないので諦めてもらっている。


「うむ。今、朽木谷に将軍様が都から退避しておられるのだがの、そのご嫡男がお年の割に武芸がすこぶる上手らしく、暫く手解きしてくれまいかと頼まれてそれに応じたのよ」


 キサラにとって将軍といえば、軍を率いる長官を意味するが、征夷大将軍は軍の長官であると同時に政治も執り行う最高文官でもある。

 言わば、王なのだ。その辺に認識の違いが生まれるのだが、先の翻訳魔法・改の効果があって正しく伝わっている。


「太子の剣術指南役になったってことかい?」


「まあ、暫定的じゃがな。これまでにも、儂は伊勢の北畠家や駿河の今川家等でも頼まれれば剣の稽古をつけておるんじゃよ」


「ふ~ん……つまり、それだけ有名ってことか」


「これでも、真剣での立ち合いで負けたことはないぞ。まあ、負けていたら、こうして生きてはいないわけじゃがな」


 と快活に笑い声をあげる卜伝。それなりに冗談も言えるようだ。

 そんな卜伝が一しきり笑ったあと、まじめな顔をして言葉を継いだ。


「それでも、お主相手に戦えば、一合も太刀を合わせる間もなく地に伏せていようがな」


 その言葉にはキサラより弟子達の方が大いに驚いていた。

 あの塚原卜伝が立ち会う前から負けを認めているのだ。


「アタシの強さが分かるってーの? アタシは魔法使いで、剣なんて片手間の手慰み程度なのにさ?」


「お主と人を比べるのが間違っておろう? お主の強さは人の領域にあるものではあるまい? その技は強大な妖や神仏に通ずる物と見ておる」


 目を細めて探るようなキサラに卜伝は何のことはないように言い返す。

 良くわかっている。

 そういう卜伝も人の領域を一歩はみ出していそうだ。


「のお、キサラ殿。儂はある秘剣を会得し、新当流という流派を開いたのじゃが、お主を見て、我が技が未だ未完成に思えてならぬのだ」


「はは、卜伝翁もそこそこ人を辞めてるねえ。アタシの戦う姿を見たわけでもないのにさ、そこまで分かっちゃうもんかい?」


「隠すつもりがないようじゃからな。漏れ出る気配で儂でも剣士としての力量ならそれなりに分かるわい」


 それは魔法使いとしての力量は分からないということに他ならない。もし、分かってしまったら口から魂が抜け出ていただろう。


「それで、どうじゃな? 一手指南してはもらえんか?」


 そこに居たのは老練した剣士ではなく、何処か青臭ささえ感じるほどの情熱を目に秘めた少年のような剣客。

 いいじゃないか。そういう奴は嫌いじゃない。


「いいよ。相手になろうか……そうだな、おい兄ちゃん刀貸しな」


 キサラが手を伸ばして弟子の一人が持つ刀を要求すると驚く連中が続出した。


「し、真剣で立ち会うつもりか!? 死ぬぞ!」


 それはキサラが死ぬのか、卜伝が死ぬのか。

 彼らの反応的にはキサラが死ぬと思ってそうだ。


「そうじゃなきゃ、剣の極致なんて見れないだろう? それに死合いでもないのに相手の命を奪うような未熟な腕はアタシもアンタらの師匠もしてないさ」


「そうじゃな。それ、貸して差し上げなさい」


 卜伝にも促されて、その弟子は本当にいいのか?って顔で腰の刀をキサラに渡す。

 そして、キサラと卜伝から皆が距離を置く。


「それでは、よいかな?」


 卜伝は刀を構えて問う。


「いつでも」


 キサラは左手に鞘に入ったままの刀をもって応ずる。

 それが合図とばかりに二人の間の空気が圧縮していくような錯覚が発生し、張り詰めた極限状態になった瞬間、それは起こった。

 激しい金属音が木々を裂き分ける。

 見れば、最初に立っていた位置より後ろで身体を仰け反らす卜伝。刀は大きく振り上げられている。

 方や元の場所で刃を抜いた状態で無形の型で佇むキサラ。


「なるほど、ね。無拍子からの目にも止まらぬ程の速さで振るわれる一撃必殺の剣か。いい技だ」


「しかし初見で弾かれてしもうたわい。まだまだ未熟か……」


 キサラの感想に無念さを感じながらも何処か晴れ晴れしさの籠った声で卜伝は言った。


「ふふふ……いい技だけど、この剣の完成系としては確かにまだまだってところだね。それに気付けるなんて、卜伝翁は流石さ」


 不敵に笑みを見せるキサラは卜伝にもう一本と目で促した。

 再び立ち会う二人。しかし、今度は先の卜伝の様にキサラも刀を構えている。


「いいかい。瞬きするんじゃないよ」


 そう言った瞬間、卜伝の首筋に添えられた刀の刃があった。

 その光景に卜伝は驚愕し、弟子たちはただ惚けている。

 卜伝には文字通りに気が付いたら刃が首に置かれていたのだが、弟子たちにはキサラが音もなくすっと歩み寄って優しく刀を突き付けたようにしか見えなかった。


「これが剣の極致ってやつだ。無拍子も相手に気取られずに隙をつく技。いや、隙を作らせる技か。じゃあ、最大の隙ってのは何かだ? それは死角。それも目に見えない死角じゃなく、目に見えていても相手に感知されることのない心の盲点、気の死角ってやつさ」


 知覚できなければ視界に映っていようがいまいが関係ない。

 常に相手の隙を突くことが可能となる。

 そこには速度は大して意味を成さない。ただ、相手をしとめるくらいの勢いはいるだろうが。

 

「どんなに肉体が衰えようが、刀を振れる力だけ残っていれば絶対に負けやしない、それがアンタが求めてる秘剣だろう? 卜伝翁」


 納刀しつつ講釈を垂れるキサラ。

 これは人が神に挑むべく編み出した究極の一。人間が神に届きうる一撃なのだ。

 それを聞く卜伝の瞳から奇麗な雫がしたたり落ちる。

 自然と頭は下がり、腰はきっちりとおられていた。


_____________________________________


「ですので、父上! 嫁です! それも10,いや20人は欲しいです!」


「だから何がどうして嫁とりの話になるのだ! それも歴代の将軍の中にもそんな大勢の側室を持ったお方なぞおらんわ!」


 勢いよく鼻先で嫁、嫁、言う息子に怒りより困惑する現将軍、足利義晴。

 相手にする気もないのだが、息子からの圧が強い。


「これは将軍家の将来がかかっているのです!」


 正確には菊幢丸の将来である。

 だが、そんな事は知る由もない義晴。


「確かに世継ぎは必要だが、多すぎては家督継承の火種になるのが分からぬのか? お前はもっと頭が良いと思っておったぞ」


 事実として菊幢丸の弟は寺に入れられて継承権から外されているくらいである。


「父上、私は思うのですが、将軍家には一門が少ないと思います。管領の細川晴元などが好き勝手できるのは、一門が少なく力が弱いからではないでしょうか」


 菊幢丸、何も勢いだけで押し切ろうというわけでもなかったらしい。


「確かにそれはあるかもしれぬがな……しかし……」


「一門衆を日ノ本各地に配し、その当地の守護らを纏める地位に付けては如何でしょう? 京と鎌倉……今は古河でしたか、そこに一人ずつ置くだけでは広い日ノ本の統治は不可能です!」


「しかしな、前例がないうえに朝廷としても武家があまり強くなりすぎるのを警戒するでな……」


 色々と頑張る菊幢丸だが、旗色はよろしくない。

 この時代、前例と朝廷は厄介な力を固持している。

 押しすぎてもダメかとここは一先ず下がろうと菊幢丸が思った、丁度そのタイミングで室内に声が掛った。


「上様、まもなくお客人が到着されるそうです」


「おお、そうか! 宴の支度をしておいてくれ!」


「父上? この朽木谷に客とは珍しいですね? 何方がお出でになるのですか?」


 将軍家の避難所となっている朽木谷の城だが、決して大きな物でなく、宴を開いて持て成すような客を呼ぶことなどまずないのだが。

 不思議に思って聞いてみれば、菊幢丸が文武に優れているから、剣術の指南役を呼んだという。


「剣術指南……吉岡殿ですか?」


 将軍家剣術指南役といえば京の吉岡流だが、お隣とは言えど大人数の門弟を抱えた大道場の主が朽木谷まで来るだろうか?

 そんな思いが顔に出ていたのか、義晴は、深い笑みを浮かべて言った。


「吉岡は道場を開けられぬというから、別の御仁を招いたのだ」


 その言葉にピンと来るものが菊幢丸にはあった。

 前世知識で彼が剣豪将軍とまで呼ばれるようになったその理由を。

 いや、でも、時期的にはどうなんだろうか?

 せめて元服くらいはしてからじゃないのか?

 とか、考えてるうちに答えを義晴が先に言ってしまう。


「遥々、鹿島より新当流の塚原卜伝殿を招いた。古今東西最強との誉れ高いかの者から剣を学べるなどその方は果報者ぞ」


 喜色満面の義晴に対し、菊幢丸は乾いた笑みを浮かべた。


(でも、畳ファランクスの前には勝てないんだけどね……)


「さて、お前も正装して参れ。室町第ではないとはいえ、将軍家に相応しい風格で挨拶をせねばなるまい」


 と、部屋を体よく追い出される菊幢丸であった。

 まあ、塚原卜伝に会えるのは素直に嬉しいので、それはいいか。

 

「言われた通りに着替えるか。それに宴だって言ってたし、久しぶりに良い物が食べられるな」


 居候してる身として、普段の食事に文句は言えない。いや、言おうと思えば言えるのが将軍家というものだが、朽木家の皆さんが精一杯の持て成しを日々してくれているのは承知の上だ。それ以上を求めるのは子供の我儘より酷いというもの。

しかし、将軍家が主催する宴であるなら、より奮発してくれるのも期待できてしまう。

久しぶりに猪肉でも食べられないかな、と期待を込めて菊幢丸は衣服を着替えた。


「面を上げよ」


 義晴と菊幢丸の前で白髪頭を下げている老人がゆっくりと顔を上げる。

 鋭い眼差しに齢を重ねた深い皴の顔。だが、一遍の緩みもない引き締められた表情。

 なるほど、これが後に剣聖と謳われる塚原土佐守卜伝かと納得する。


「上様、並びに菊幢丸様にはお初に御意を得ます、塚原卜伝でございます。この度は菊幢丸様の剣術指南役という大任を任され恐悦至極にございまする」


「うむ。まあ、固くなる必要はない。こちらとしても高名な塚原殿に引き受けてもらえて嬉しく思うておる。まだ、頼りない息子であるが良しなにな」


義晴と卜伝の挨拶の後に、そろそろ出番かと菊幢丸が口を開く。


「私が菊幢丸である。未だ未熟者故、御指南の程、よろしく頼みまする」


 こうして、菊幢丸は塚原卜伝の弟子となったのであるが、まさかこれが切っ掛けで彼の今後が大きく変わっていくとは、この時、誰も想像だにしなかったのであった。

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