忘却せよ、黒春

月見トモ

第1話



 私の中に今も疼いている恥ずかしい記憶。当時十三歳だった私の心中に芽生えた、歪んだ黒い春のことを今から話そう。




 それは夏休み明け最初の席替えが近づこうとしていた頃の話だ。

 私のクラスは、月に一度選ばれた班の人六人がクラス全員の席を決められるという特殊な席替えの仕方だった。それ故、クラスのほぼ全員が自分の希望する席になる為、選ばれた班の人にノートを貸すやら課題を写していいやらの交渉をして希望の席にしてもらっていた。そこで私は、忘れ物をしたら必ず貸すという交渉術で、行われる席替えにていつも窓際の席を要望した。しかし、窓際の席は人気で特に後ろの方になると競争率が高かった。私は毎回その勝負に負けて、結局残り物の教卓の前の席になっていた。

 もはやそこが私の指定席のようになっている事はクラスの全員が周知している。


「じゃあ、今回はこの座席でよろしくなお前ら」


『『はーい』』


 夏休み明け最初の席替えは、見事完敗した。



「よろしくな武藤」

「え……あ、また花倉なの、よろしく」

 席替えをしたはずなのに同じ班には前回と同様、花倉碧はなくらあおいがいた。

「またとか残念そうに言うなよ」

「……残念じゃないよ別に」

 そう。残念どころじゃない。むしろこの状況は最高だ。だって花倉碧だよ? 無邪気なその笑顔で私の初恋を奪った人だよ?

「(え、どうしよう幸せすぎる……!)」

 私は暴れ狂う嬉しさの感情に蓋をして、冷静さを装い口を開いた。

「あ……花倉は席希望は出さなかったの?」

「いやそれが聞いてくれよ。出したんだけど今回も通らなくてさ、やっぱり班の人ズルいわー」

「私も通らなくてここだよ」

「……まぁ、やっぱり班の人のいいように決められちゃうよな。選ばれた特権だから俺達は文句は言えねぇな。次に期待しような」

 優しくて愛嬌があって誰にも等しく接する。人間性は素晴らしくルックスも惹かれる部分がある。彼みたいな人を好きにならない人はいないはずで、現に噂ではあるが、このクラスには彼のことを好きな人が三人もいる。

「でも同じ班に武藤がいて良かったわ」

「…………はー? なにそれ」

 照れ隠しで思わずぶっきらぼうになる私。まさに思春期真っ只中と言ったところか。



 同じ班として過ごしていく中でやはり彼への好意は日々増していき、それと共にクラスの女子に嫉妬することも多くなった。ノートの貸し借りを見てはショックを受け、放課後に遊んでるのを知ると涙を流すまでだった。大袈裟のように見えるが、その頃の私はもはや感情にコントロールされているような気分だった。そして、十三歳の私にはあまりにも重すぎる独占欲という欲望の塊が静かに私の心に根を張っていた。



 ある日の授業中、一番前の席に座る私は斜め後ろに座る彼に相変わらずドキドキしながら、退屈な授業を放ってシャーペンを振り回した。時々彼からの視線を感じ、振り向くとそこには無邪気な笑顔で私の真似をするようにペンを回す彼がいた。


 その時、私は何故かこう思った。


【クラスの一番の人気者の彼を独占して後ろの席の奴らに見せつけたら、それは一体どんな気分だろう】


 変態的とも言える妄想が頭の中を駆け巡り、私は思わずニンマリと笑った。



 二ヶ月後、私には今世紀最大のチャンスが到来した。次の席替えを決める班に私達が選ばれたのだ。

 今度こそ花倉と隣になる為に放課後に行われる席決めのシュミレーションを頭の中で幾度もした。しかしそこには幾つもの難点があり、私は悩んだ。


 ひとつ、今回同じ班にいた人が次の席替えで再び同じ班になること。その違和感を指摘されたらどうするのかということ。

 ふたつ、私の席が変わらないこと。

 みっつ、花倉と隣になることを花倉に悟られない様に上手く席替えを決めること。

 よっつ、それは。

「ねぇ武藤ちゃん!」

 ホームルームが終わると足早に私の元に来たのは親友のいかりゆいだ。

「どうしたのゆい」

「次の席替えさ、花倉の隣にしてくれない? あ、いや! 同じ班でもいいから! お願い……!!」

 そうだろうと思った。そう、これが最大の難点だ。

 錨ゆいは私同様、彼に恋をしている。彼女には私には無い社交力というものがあって、良く彼女の周りには人が居るし、集まる人は皆笑顔だった。

「次の席替えも花倉と離れてるなんて嫌だよ〜」

「うーん……聞いてあげたいけど100パーセント保証は出来ないよ」

「えぇなんでよぉ」

 親友だとしても、彼女には嫉妬していたし、こんなお願い本当は聞きたくは無いのだ。

「ほんっっっっとうにお願いします」

 少し潤んだ目もなんというあざとさ。こんな姿見せられると引くに引けない。

「……うーん…………そうだね。分かったよ頑張ってみる」

 これは今世紀最大の緊急事態だ。

 さぁどうする。要望を聞くのが親友としての努め。しかし、私には譲れない欲望がある。

「マジで最高! さすが私の友達!!!」

 あぁ、ホントにどうしようか。




「え、その席でいいの?」

「どうせこの席余るんだから私はここでいいよ。あと花倉はここがいいんだって」

 席決め当日の放課後を迎えた私は、一目散に自分の名札と花倉の名札を隣同士に配置した。

「花倉後ろの席がいいって言ってた気がするけどなぁ」

「前の話でしょう? 私は昨日聞いたんだよ」

 花倉が放課後別クラスの先生に呼び出されて班決めに参加出来ないことに私は心底安堵していた。でなければこんな堂々と彼の名札を移動することなんて出来ない。

「でも錨さん、花倉の隣がいいって言ってた」

「確かに! ゆいちゃん言ってたわ」

「そ、そんなの知らない、私友達だけど何も聞いてないよ」

「でも錨さんここがいいと思うな、最近視力落ちちゃったって言ってたから前の方が見やすいと思うし」

「そうだね決定〜」

 同じ班の人が次々に拍手する中、私は焦りでどうにかしたくて思わず言った。

「私今の席じゃないと落ち着かないし多分他の席だと授業中寝ちゃうんだよね!」

 いや、流石に強引すぎたか。こういう時の言い訳も用意しておけば良かったと後悔した私は皆の様子を伺った。

 しんとした空気が張り詰め、私の心拍数は尋常ではない速度で脈打つ。

「んー、確かにここは武藤さんの席というか」

「そうだね、寝ちゃうのは困るし」

「その席なら寝なさそうだもんな」

 同調圧力とはこういう時に役に立つもんだと中学生の私は安堵のため息を吐いた。

「じゃあ錨さんはこの辺で〜」

「私ここがいいなぁ」

「俺はあいつの隣で!!」

 各々が希望を通す中で私の隣には花倉碧の名札が。ゆいの名札は私たちと離れた場所になった。


「じゃあ今回はこの席で行こう!皆ありがとな〜」

『『はーい』』『やったぁ』




 無事に彼と隣の席なれた私。次の日から堂々と皆に見せつけて満足していた私だったが、その後彼がゆいと付き合うことをこの時の私は知らなかった。

 好きな人を親友に取られた屈辱的な痛みに耐え私は日々を送っていたが、優越感が恥ずかしさに変わった途端、とうとう死にたくなった。

 初めから勝算などなかったのに、私は必死に彼の隣を狙っていた。

 花倉とゆいには申し訳ないことをした。席替えでゆいの願いを叶えていれば、花倉にとっても幸せだったはずだから。


「本当に、やってられないなぁ……」



 やるせない感情と嫉妬と後悔と想いの狭間で揺らいでいた十三歳の私は、いつまでもドロッと纏わりつく黒い春を、消し去りたくて仕方がなかった。

 いつか私の心中に芽生えたその感情に名前をつけるとするならば、それはまさに、黒歴史だろうか。

 教室の一番目立つ席で恥ずかしさをさらけ出し、ただ机に向かって授業を聞いていた、十三歳の黒い春だ。


【忘却せよ、黒春】

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