#002 磁石と令嬢②
「そもそもなんで入れたのかしら」
彼女は指を顎につけて不思議そうに首を傾ける。
別に裸であることの心配はいいのか?
「入れないんすか?」
「ちゃんと四方に門番が立ってるはず」
「なるほど……」
「あんた、どうやって来たの?」
「いや、朝起きたらこのままここで寝てて」
「ふぅん……」
なんかまじまじと見られる。逆だ逆!
「———少なくともこの辺の人間ではないみたいね、あんた名前は?」
「長谷部。長谷部慎です」
「ハセベね……聞かない名前だわ。遠くの方ね」
「いや、この世界の人間ではないんですよ」
「そんなことあるのかしら」
「そうなんですよ!」
このまんま現地の人間のまま流されたら終わりだ!
「……まぁいいわ、どちらにせよあなたを連れて行かなくちゃならないもの」
「へ?」
「そりゃそうでしょう———何があろうと不法侵入と覗きをした変態は」
確かに!!!
しょうがねぇなぁ!!!
彼女が服を着るのを見ないように水面を見つめ続けていた。
随分とやつれてしまったような気がする。
別に一日飲まず食わずでもここまで衰弱することはないと思うのだが———やはり、全く帰れる可能性がないのがここまで追い詰めるのだろうか?
「もういいわよ」
彼女の方を向く。
オフショルダーのワンピース。青色だから髪との対比がいい感じだ。
しかしなんだ———バカンスっぽい服装だ。
「私についてきて」
そう踵を返されるとスタスタと先に行かれる!うわ思った以上に歩くのが速い!
そのまま森の俺が来たのとは真反対の方向を行く———これが逆なら!逆だったら!
しかし不思議な点がひとつある。
———魔物が全く寄ってこない。
俺が歩いていた時はハエみたいに湧いてきてはそこら辺に吹っ飛ばすということを繰り返していたはずなのだが。
なんだ?
この人に何かしらの要因があるのか?
多分そうだろう。現に彼女が通り過ぎると魔物が俺の後ろを横切っていく。
舐めやがって!ブチ殺すぞ?
「———名前がまだだったわね」
「あ、あぁはい」
ずっと無言だったのにいきなり口を開いた。
「クロエ・リエリエッタ。それだけ」
クロエ。
いい名前だ!別に黒かないけど。
そのままザクザク森の中を抜けると、やがて大きな大きな影が前方に見られた。
綺麗な外観をしてはいるが、かなり年数が経っているのか、どこか煤けたような印象を受ける。
ガラスも完全な透明ではないし、それに何やら分厚いように見られる。相当前の時代のガラスだ。
お化け屋敷である可能性も考えられる———そんな具合だ。
「へぇ……」
「見惚れてないで、早く行くわよ」
見惚れてるわけではない!
幽霊がいるかどうか確かめてただけです。
クロエが屋敷の門前まで行く。
一体彼女何人分かと思うくらいの高い、幅のある扉だ。こんなもん開けていちいち帰るのか?小学生の時とかどうするんだよこれ。
門を両手でしっかり押して開ける。
ギギギと重い音が周囲に響き渡る。近所迷惑だろ!でもここ敷地内だったわ!
だんだんと内装がわかってくる。
もちろん外部と同じように煤けたイメージは拭えない。しかし絨毯はしっかりと敷かれているし、古びていながらもあちこちの輝きは失せてはいない。
いいもんですね!古いものもね!
「お帰りなさいませ、お嬢様」
しかもなんかメイドさんまでいる。青い髪を長髪にしているが、途中から三つ編みみたいなので一つにまとめていた。
———てか一人?
こんな広いお屋敷を———一人で?
かなりひどい労働環境だ!
「———そちらの方は、御客人ですか?」
「いいえ、不届きものよ」
「そうですか」
「そうなんです」
「私、マルタ・クロンコートと申します」
そう深々とお辞儀をされた。俺罪人だからいらないと思うんだけど。
「取り敢えず客間に案内して」
「かしこまりました」
「え?」
このまんま地下牢にでも入れられるもんだと思ってたんだけど。
そうでもないのか?
「それじゃ、また後でね」
クロエはそのまますたすたと奥の方に消えていった。
「それではご案内しますね」
「はい」
どういうつもりなのだろう?
まぁいいや、話があるなら聞くだけだ!
「こちらでございます」
そう案内されたのは、比較的小さなドアの前だった。
マルタさんが扉を開く。
机と椅子が四つずつ。
正面に何やら写真が飾ってある。
———黒髪のおっさんと、クロエによく似た女性。そしてその二人の間に、何やら満面の笑みの小さなピンク髪の子供がいる。
———そういえば、さっきからクロエ全く表情変えてないな。友達いるのか?
———待てよ?ってことはこれは昔の写真か?
ご家族はどこにいるんだろう?
「気になりますか?」
マルタさんに立ち止まってたことを指摘された!
「あ、あぁ、ご家族はどうしてるのかなって」
「えぇ……旦那様と奥様は遠い旅に出ております」
「はぁ」
「『力』を人のために使うために」
「力」
何かしら特殊な力なのだろうか?
クロエが襲われないことにも繋がってるのかもしれない。
まぁいいや!そそくさと椅子に座る。
「お茶をお持ちしますね」
そう言ってマルタさんまで消えた!
ひとんちで一人っきりって、だいぶ気まずい!気が落ち着かない!
部屋でも見回してみよう。
座ってる椅子はかなり質がいいのか、沈み込むような感覚だ。落ち着くにはいいが、勉強とかに使うとすぐ眠気に誘われるだろう。
机はやたら綺麗な模様が刻まれている。アンティークなのか?わかんねぇけど。
床には相変わらず綺麗な絨毯。とても綺麗だ。まるで全く人が来ていないようだ。
「何をキョロキョロしているのかしら」
気づいたらクロエがいた。着替えたのか、しっかりとしたドロワーズ姿。しっかりピンクだからすごく一体感。
「下品よ、やめなさい」
「あぁ、すみません」
「あらあら」
マルタさんも遅れてやってきた。おぼんにはティーポットとティーカップが乗っていた。
「準備は済んだようね」
そういうとせかせかと、しかし丁寧に椅子に座った。
「———今からひとつ質問をするわ」
そうまっすぐこちらを見据えてくる。やめてくれ!あんたの瞳鋭いんだよ!
「———あなたの取れる選択肢はふたつ、このまま牢屋に引き渡されるか、それともここで使用人として働くか」
「後者でお願いします!!!」
———なんと⁈
いやそりゃあそんなこと言われたら、選択肢はひとつしかないだろう⁈
「そう言うとは思っていたわ、あなたゴキブリみたいだものね」
「ゴキブリ!」
かなりひどい言いようだ。でもひとんちの川の水をごくごく虫みたいに飲んでたらそりゃそうかもしれん。
「あなた、なんの頼りもないでしょう」
「まぁ、そうっすね。異世界から来たんで」
「———本当よね?」
すごく怪しまれている!
「本当ですよ!ここがなんていう国のどこなのかさえ知りませんよ!」
「ここはグレーゼ帝国の辺境よ」
「そうなんですか……」
「確かにすごいアホヅラ」
「よく言われます」
「———どうやら本当のようだけど」
「ええ」
「マルタ、そんな前例はあったかしら」
「特になかったと思われます」
「ふーむ」
困ったような顔つき。
「あなた、帰りたいの?」
帰りたいか?
「そりゃそうですよ!!!いきなり飛ばされて!」
「———まぁそうよね」
マルタさんが注いだ紅茶を一口含んでから、ティーカップを置いてこちらを見つめる。
「面倒は見てあげるわ、給料も出してあげる。その合間に帰る方法を探しなさい」
はぁ。
———はぁ⁈
「そんなしてもらっていいんですか⁈」
「まぁまだ完全に雇うと決めたわけじゃないわよ、色々見させてもらう。それで何もできないなら給料も相応になるけど」
「な、なんと……」
やれるか?
俺にそんなことやれるのか?
試してみるしかないかもしれない!このビッグウェーブに!
「やらせてくださいよ、ゴキブリなんでね、やれることはやりますよ」
「流石の根性ね。虫けららしく、最後まで足掻いてみなさい」
そう言ってまたどこかに去っていった。
じゃあ見てけよ!なんなんだよ⁈
そして客間には俺とマルタさんだけになる。
「———これ、どういうことなんです?」
「ふふふ」
「いや笑ってる場合じゃなくて」
「いや、不思議で不思議で」
「不思議?」
あの子そのもの?
「———お嬢様、かなりの人見知りなんですよ、だから人前であまり笑わないですし」
人見知り?
……確かに当たりが強すぎる気がしたが……強がってるからああなるのかな?
分かりやすいぜ!
でも笑顔は見たぞ?
隣の絵でな!
「———てことは、俺をこんなに扱ってるってことが」
「ええ。かなり頑張ってるんです」
「はぁ……なんででしょう」
「ハセベ様が比較的フラットな対応をしている、というのもありますし、それに……」
すげぇ下世話なニヤケ面になった!
「え⁈何⁈なんですか⁈」
「お顔ですよ」
「お顔⁈」
へぇ、こんな奴の顔にそんな頑張る成分が含まれているのか?
「鏡見てください」
マルタさんが手鏡を俺に手渡す。
———何度も見つめてきた顔だ。病的に白い肌。なんかもう死んだ瞳。ワカメみたいにちぢれた黒髪。無駄に赤い唇。
「見たい顔ではありませんね」
「直視、という意味ではですね」
「そんな言わないでくださいよ!」
「……男女の違いという奴ですかね?」
「何が?」
「ハセベ様の思うかっこいい男とはどういうものですか?」
「はぁ……色黒で、筋肉があって、目がしっかりと開いていて、角刈りで……歯が真っ白ならますますいいですね」
「それが違うということです」
「はぁ……」
そういうもんなのかな?
俺には分かりそうにもないや。
「……分かりそうにないですね、ここいらで打ち止めにしましょう」
少し不機嫌な顔してた気がする。さっさと同意しとくんだった!
「すみません」
「謝るならお嬢様にしてください」
「確かに。これだけしてもらって」
「まぁでもいいんですよ、人見知りで私以外の使用人を正規に雇うことができなかったので」
「門番は?」
「日雇いです」
支障きたしすぎじゃないの⁈
大丈夫かよ⁈
「ですので頑張って欲しいところです」
「あ、あぁ……」
そういえば先輩だった。
今のうちにゴマすっとこうかな?
「———ところで、おそらくその様子だと何も食べていないでしょう?」
「あ、はい」
「一旦軽い食事にしましょう———そこから、あなたの適正を見ていきます」
「はい!頑張ります!」
「あなた、見た目と全然違いますね」
「よく言われますね」
「だからか」
———だから?
———あぁ!だから俺彼女いないのか!
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