火中に潜む

 翌日、弥生は縁高寺の玄関の前に立っていた。


「これはどうも、細川の弥生さん、でしたか。」

 玄関に立った陽純は、弥生に軽く会釈する。


「昨晩は、どうもありがとうございました。こちらを。」

 そういって、弥生は持参した菓子折りを陽純へと差し出す。ここへ来る途中に和菓子屋で用立てたものであった。


「そんな、お気遣いいただかなくとも。返って恐縮です。」

 陽純は目を細め、改めて深く会釈をする。


「甘いもので恐縮ですが、よろしければ檀家さん方とお召し上がりください。それと。」

 そう言って、弥生は一枚の封筒を差し出す。


「ははは。しっかりしていらっしゃる。」

 陽純は差し出された封筒の表書きを見て、口元を緩ませる。


「先日の作業の請求書になります。」

「両方とも、有り難く頂戴いたしましょう。どうぞ上がっていってください。お暑いでしょう。立ち話もなんですから。」


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 事前に用向きも伝えず訪れた弥生に対し、陽純は応接間へと案内をする。これはある程度、双方にとって想定されていたことだったのだろう。

 弥生はここに来る前に、社長の昭男と請求書内容も交えながら、縁高寺への到着予定時刻と、事後の予定をしきりに口にしていた。

 陽純側にも何らかのアプローチがあるだろうという想定があり、その上で明確な時間が事前に知れたのであれば、身の置き方にも余裕があったのだろう。

 弥生側もまた、琢彦が事前に行っていた縁高寺の調査も加味し、無理のない、かつ直近の時間設定を立てていた。


 今、駐車場に停車しているライトバンの中で、細川の作業着に身を包んだ琢彦が、携帯電話を片手に通話している体で耳を澄ませ、周囲に目を配っている。これは琢彦が買って出た、一つの保険であり、調査の一環でもある。


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「仔細承知いたしました。」

 応接場で弥生の対面に座し、封筒の中身を一読した陽純はその場を立つ。


「直ぐにご用意できますので、この場でお支払いさせて頂く形でも宜しいでしょうか?」

 陽純の申し出に弥生が頷いたのを確認すると、それを笑顔で頷き返し、彼は離れていく。


 外の油蝉あぶらぜみが、静かな屋内にまでその鳴き声を届かせている。

 ここ数日は日々、最高気温を更新しているが、その陽射は弱まる気配を見せない。その外気も相まってか、弥生の前に差し出された冷茶の中の氷が、高い音を立てた。


 弥生はそれとなく周囲を見回す。縁高寺には陽純以外の駐在者は居ない。それは琢彦が言った事であった。そしてそれは、どうやら今の所事実のようだ。

 誰か来客の気配や、敷地内への往来があれば、外のライトバンに居る琢彦から電話がかかる手筈になっていた。


 弥生は、応接場含め、顔の向き、目の届く範囲で座ったまま辺りを見回す。

 その限りでは、床や細部に埃が溜まっている様子もない。

 書院造しょいんづくりを思わせるその場には、陶器の花瓶に花が添えられているのまで見受けられる。弥生にとって気になる事があるならば、それが瑞々しさすら感じる紫陽花あじさいであった事だろうか。


「お待たせいたしました。」

 花瓶を見つめる弥生の不意に、陽純の声が響く。


「剥き出しで申し訳ないですが。」

 つり銭皿に数枚の札と小銭が添えられている。陽純が対に座り、それが弥生に差し出される。


「確認させていただきますね。」

 弥生は指で小銭を爪弾つまびき、足早に数える。額面を確認し終えると、札数を数え、双方間違いがない事に頷く。


「確かに、頂戴いたしました。」

 陽純にそう伝えると、事前に用意していた領収書に、金額と宛名を書き添える。


「ああ、そう言えば。」

 領収書に向いている弥生の頭の先で、陽純は見計らっていた様に発す。


「先日も少しお話を致しましたが、檀家の皆様と夏祭りを催すのですが、宜しければいらっしゃいませんか?」

 領収書を束から千切り、弥生がそれを差し出したのと入れ違う形で、陽純は一枚のチラシを押し出す。

 つり銭皿の下に二つ折りにして持っていたのだろう。丁度真ん中に折り目が入ったそれが、弥生の目に入る。


「折角駐車場も綺麗にしていただきましたし、水回りもその後良好な様です。是非ご招待とご紹介をさせてください。」

 差し出された領収書を袖の内側へと仕舞いながら、陽純は弥生に向かってそう微笑んだ。


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「おまたせ、琢彦君。」

 戻ってきた弥生を見て、ライトバンの助手席に座っていた琢彦は顔を綻ばせる。


「空調服がなければ蒸し焼きも良いところだった。」

 キーが回されエンジンが掛かった事で、車内の空調が回り、琢彦が最初に発した言葉がそれだった。

 服に取り付けられたファンの音は未だ止まる事はなく、動き出したばかりの空調もまだ、生暖かい風を送り出している。


「特に変わったことは?」

 ゆっくりとアクセルを踏み込み、砂利道をかき分ける車の音に耳を傾けながら、助手席で日差しに目を細めている琢彦に弥生が問う。



「離れに誰か居た様子で、何も出来なかった。逆にこちらにも何も起こっても居ないが。」

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