燻った灰
琢彦はおもむろに自身の懐をまさぐると、がま口付きの縦長ポーチを取り出した。
「一本、吸わせてもらっても?」
「ああ、やっぱり吸うんだね。」
弥生は口の中に含んでいた米粒を飲み込み立ち上がる。そして少し離れた場所にあった、ガラスの灰皿を応接台の上に置く。
「縁高寺に行った時、こっそり吸ってたでしょう。」
「ああ、やっぱりバレてたか。鼻が良いんだな。」
琢彦はがま口を開きコンコンと底を叩くと、細い紙煙草が浮き上がってくる。それをつまみ上げ、再び懐をまさぐると、紙やすり付きのマッチ箱を取り出し、器用に火を起こした。
煙草に火が
天井に向かって、ゆったりと薄青い煙が昇っていく。
弥生は気にも止めず、箸で器用に白米の板を割っている。そしてそれを口に放り込んだ所で、琢彦は肺にタップリと含んだ煙を、弥生とは逆方向に向かって吹いた。
「調べていく内に陽純の周りには何人か女の影がある事がわかってきた。それも被害者と同年代の学生の少女ばかりだ。」
琢彦は煙草の灰をガラス皿に落とし、その場に置いてから、台に置かれた手帳のページをめくる。
「トラブルと言えば聞こえが良い方で、実際にはイジメだな。言葉に留まらず暴力、擦り傷ぐらいなら当たり前で、数人のグループで被害者を貶めていた。随分と大げさにやっていたようだ。」
手帳には大体の日付とその内容が記されていた。
そしてその羅列の最後に、日付と共に『陽純』と記されている。
「それは被害者の日記に書かれていたものを要約して書き写した。遺品整理中に出てきたらしい。そんなに長い期間じゃない。家族にも学友に相談できずに、それで湧いて出た陽純に
「裏付けをとったっていうのは?」
「運が良くてね。調査を始めてから、被害者の担任だった教師と酒や飯を食う関係になれたんだよ。流石に女生徒に直接接触するには俺は怪しすぎる。」
「運が良く、ね。」
ブロック状に固まった米を喉に流し込み、弥生は箸を置いて手帳を手に取り眺める。
見開きの反対側のページに書かれ、日付と括られたその男性らしき名前の名字につい最近、見覚えのあったような気がした。
「いつの間にか始まったイジメは、いつの間にか終わっていた。勝手に解決してしまったものの、派手だったから覚えていた。既に終わった事だから口が軽かった。少なくとも学校ではそこまでだ。」
「そのイジメっ子たちが、陽純と結びついたのは?」
「なんのこっちゃない。連中は堂々と縁高寺に入っていったのさ。女の子が遊びに行くよう場所としちゃ、異質だろう。」
再び口元に運んでいた煙草から煙を吸い上げ、それを吐き出してから、琢彦は弥生の手にある手帳を取り上げ、めくり直す。
「遺品の小学校の卒業アルバムを丁寧に調べて、それから、幾人かに、偶然を装って縁高寺が何処にあるのかを訪ねた。足を止めて丁寧に教えてくれたよ。なにせ、檀家だからな。爺さんが死んだ、婆さんが死んだ。そんな縁で、縁高寺と繋がってた。そして一軒だけ、そこから更に深い縁で繋がった子がいた。」
琢彦は手帳の新しいページを開いて、弥生に差し出した。
何人かの女性らしき名前が並んでいて、注釈の多い人物が一人だけいる。
「陽純が骨髄移植のドナーだったらしい。こいつに関しては本当に偶然だったようだ。正真正銘、命を救ってくれた王子様だったわけだ、あの坊主が。」
「憧れの王子様にお願いされたら、断れない女の子はいないよ。」
「だろうな。実際その少女がイジメの中心となっていた様だ。」
琢彦は深い溜め息をつく。そんな姿を、弁当を食べ終えた弥生は茶を口に含みながら眺めていた。
「そうして、巣の原型ができあがって、信者が産まれた。陽純がどの段階で足を踏み外したかは解らないが、最終的には人が死んだんだ。」
「さっきの引ったくりも、そういう一人、って事なのかな?」
声が届かない離れた所に置かれている肩掛けカバンを、弥生はじっと見つめる。
「で、琢彦君はうちに潜り込んで、何がしたかったのかな?」
弥生にそう問われると、琢彦は呆けていた顔を整え直す。
「だって、被害者も依頼人も、もう居ないわけでしょ。」
「そう、思っていた。でも納得がいかなかったんだ。」
煙草を吸いきったことに、煙の僅かな違いから気がついた琢彦は、それをガラス皿に押し付けて消し潰し、
「納得がいかなかった。納得がいかない内に、依頼人がぽっくりと病死した。余程の心労だったのか、世の中への失望だったのか、それもすらわからない。気づいたらここの社長さんを頼ってた。」
天井の蛍光灯を眺め、腕を組みながら、上の空に琢彦は言った。
「で、その結果、弥生さん、あんたを巻き込んだ。その責任のとり方に、今悩んでいる。」
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