暗渠《あんきょ》に流れた赤子

 弥生が箸を止めたのを興味と受け取った琢彦は口を開く。


「馬鹿な話と思うかもしれないが、そんな馬鹿な事が昨今多発してるのさ。催眠術、というのは聞いた事があるだろう。或いは洗脳という言葉。」


 弥生は応えず、箸を置いて、口元に湯呑を運ぶ。湯呑の中には白湯が湯気を立てていた。


「たった七十年前は人目をはばからずにそれを職業や飯の種にしている連中があちこちに居た。それがこの五十年、科学という裏付けによって詐欺師呼ばわりされ、淘汰されていった。」


「実際にそうだったでしょ。思い込み、誘導、みたいなもので。」


「そうだ。だからこそその一方で、目ざとい連中に分析され、体系化され、専門化され、実際に被験し、裏付けられたものもある。騙されやすいやつ、騙されやすい環境、騙されやすい言葉。極めつけは。」


 そういって琢彦は懐からそれを取り出した。


「携帯電話?」


「そう。こいつの登場で誰もがほんの数分の空き時間に、情報に触れる、情報を投稿できる時代になった。個人インターネットの登場だ。親だろうが子供だろうが、相手がどんな情報に触れてるか簡単には覗き込めない。だから、無邪気に疑わず、情報や技術を試し始める。」

 琢彦が説くそれを、弥生は白湯をすすりながら目を閉じて聞いていた。


「悪知恵が働く連中はそうやって、流した知識を手を汚さずに試し、洗練させていった。出来上がったのは科学にも裏付けられた、より確度の高い催眠術や洗脳術だ。性質たちが悪い化け物が産声を上げちまったってわけだ。」


 そういって、琢彦は一枚の写真を取り出す。写真には学生証の証明写真を思わせる少女が写っていた。


「被害者だ。悪いが名前だけは伏せさせてくれ。もう死んじまってる。父親に聞いた話になるが、悲惨な死に方をしている。」


「どんな?」

 切り出した琢彦に、弥生は淡々とした、ただ吐き出すような無表情な声で聞き返した。


「朝、出社前の父親が、部屋から起きてこない娘を気にして声をかけると、具合が悪いと返ってきた。それなら学校を休んでもいいと言って、心配ながらも出社した。夜、家に帰ってくると、真っ暗な家で、トイレだけ煌々こうこうと光が漏れていた。」


 そこまで言うと、琢彦は一度深いため息をつく。その仕草を弥生が見ながら、白湯をすする音が響く。


「トイレに娘が入っているものと思ってノックをして声をかけてみたが、返事がなかった。そのまま、心配だった娘の部屋にいくと、もぬけの殻。娘が寝ていたと思われるベッドには血が混じったような液がぐっしょりとしていたという。」


 湯呑から口を離し、弥生は凝視するように琢彦を見る。


「ただ事じゃないと感じた父親は、トイレに走ってノックを繰り返した。返事はなかったという。鍵はかかっていなかった。ドアの先に居た娘は、狭いトイレで真っ赤な赤ん坊を産み落とし、へその緒も胎盤もまだ腹に収めたそのまま、息を引き取っていた。ついでに、赤ん坊もそのまま死んでいたそうだ。娘が妊娠して、まして臨月を迎えていたことを父親は知らなかったそうだ。」


 琢彦が深いため息を再び吐き出す。応接場の机の上に先だって差し出されていた二枚の紙の内、一枚を弥生に向けて押し出す。


『死後四時間前後。破水下血と産後中毒による失血性を伴うショック死。赤ん坊の方は産後、低体温による凍死と思われる。』


 記された内容を目に、弥生は口元を覆う。


「未熟児気味だったそうだが、せめて出産時に立ち会っていれば、母子共、助かっていた可能性がある、と死亡判定をした医師が言ったそうだ。」


「父親が、陽純ってこと?」

 そう問う弥生に、琢彦は無言で頷いた。


!-- --


「陽純との縁は、妻との死別の際からだそうだ。葬儀に経を唱えたのが陽純で、法事の縁から檀家になったそうだ。」


 弥生が給湯室から湯を注いだ急須きゅうすを手に戻ってきたのを見計らって、琢彦は再び話し始めた。


「法事の縁で何回か顔を合わせて、娘が学校の帰りに陽純と会ったそうだ。それから数日後、陽純から電話があったらしい。」


 弥生は追加で持ってきた湯呑に茶を注ぎ、それを琢彦の前に差し出す。


「さっき見たいな会い方をしたって事?」

「…どうだかな。」

 酷く熱い茶碗をなんとか持ち上げ、琢彦は茶を口に含む。


「電話を受けたのは父親で、どうやら娘が学校のことで悩んでいるらしい、と言う。法事の説法にも感じ入っていたので、そのまま任せたのだそうだ。思春期の娘には、ひとり親になったばかりの父親よりもその方が良いだろうと。」


「外から聞いている分には、偶然は重なっているけど、無理はなさそうに見えるね。」

 弥生は茶碗を片手に、話を聞きながら差し出された書面の内容に目を通している。


「実際に、学校では人間関係のトラブルがあった、と言う調査をした。裏付けも取れたのでそう報告をしたよ。ただ、引っかかった。」

 そういって、琢彦はズボンのポケットから手帳を取り出して、パラパラとめくると、その一節を開いて弥生に差し出した。


『縁高寺 檀家』

 丸で括られた範囲に何人かの名前や名字が書き込まれている。そしてそのうちの一人が、矢印で別の人物に結ばれていた。


「トラブルの相手も、陽純と面識があったって事?」

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