絡みついた糸

 それは一寸の事だった。


 地元のスーパーから夕飯の弁当を買って出てきたばかりの弥生の肩掛けカバンを、ひったくって逃げていく女の姿が、彼女の目に入ったのは。


 女。少女と言っても差し支えはないだろう。


 そして、数分後、弥生の目の前には縁高寺の陽純が立っていた。


「奇遇ですね。」

 そういって、陽純は取られたばかりのカバンを弥生に差し出す。


「ありがとうございます。」

 取り乱すでもなく、起こった事の全容が掴めぬといった様子のまま、弥生はカバンを受け取った。


「お檀家さんの娘さんでしてね。親御さんにも相談をされていたのです。どうか、事を荒立てぬよう、してくだされば幸いです。」

カバンの中身を確認する弥生が落ち着き、顔を上げるのを待って、その場に立ったままの陽純がそう述べる。


「特になくなっているものも無い様ですし、構いませんが。」

 弥生は、少しだけ顔を歪め、そして陽純に背を向けた。


 反対側の手にぶら下げた、弁当の入ったビニール袋がカサリと音を立てる。

 弥生は疲れた様に、家路をとぼとぼと歩いている。


!-- --


「それで、貴方は何の用事ですか?」

 暫くと夜道を歩き、いくつか過ぎた街灯の明かりの下で、足を止めた弥生は、ふと、誰ぞへと宛てて、そう声を上げた。


 振り返った弥生と同じ明かりの下に、もう一人、潜り込んでくる。

 人物は、深く被った黒のパーカーのフードを脱ぎ、物静かに手を差し出した。


 手には無造作に折られた紙が握られている。それは弥生に差し出されたようだった。

 もう片方の手は、自身の唇の前に指を一本立てて添えられている。


『 盗聴器 が、ある かも 』


 人物の顔を見て、それから弥生が受け取り、目を落とした紙にはそう書かれていた。


!-- --


「それで、これはどういう事なのかな?」

 弥生は誰も居ない事務所の応接場で、夕飯の弁当の蓋を開ける。


「話せば、長くなるんですけどね。」

 機嫌を伺うように、琢彦が上目遣いに弥生を見る。


「丁度、私も、琢彦君に聞いておきたかった事もあるんだけどね。」

 そういって、弥生は自分の机へと足を運び、引き出しから何かを取り出す。琢彦は何気なくそれを見ていた。


「これ、見覚えあるかな?」

 しかし、応接場の机に弥生がコトリと置いたそれを見て、苦虫を噛み潰したような評定をする。


「覚えがあるんだね。話ぐらいは聞いてあげるけど。」


「一体どこで?」

 片手で顔を抑えながら、琢彦はそれを尋ねる。それを聞く弥生は、携帯電話を取り出し時間を確認してから、白米を口に運んでいた。


「…縁高寺の玄関の御堂に通じる側の机の裏。」

 頬張った米を飲み込んでから、弥生が言い淀むことなく答える。


「実は、本業が別にあるんです。興信所をやってましてね。」


「縁高寺を調べるためだけに、うちに来たってこと?」

 あの出張業務の翌々日、琢彦は無理そうだと言って、弥生に頭を下げた。そしてその翌日には仕事に出てこなかった。


「ウチの社長も、知ってるんだよね、その感じだと。」

 弁当を咀嚼しながら、合間合間に弥生がそう尋ねると、琢彦は首を縦に振った。


「でも一体いつ、それを回収したんです?盗聴は出来てたはずなんですが。」


「見覚えがあるか、だけしか聞いてないよ、私。」

 表情を変えずに、弥生は箸を口に運んでいく。


「有効期間は4日から7日。プリペイド式の使い捨てにもできるsimカードを差し込んで、稼働している限り、ペアレンタルしてある携帯電話のアプリから、盗聴内容を視聴できる。回収できればよし、回収できなくてもsimの課金や契約が切れればそのまま足取りも切れる。受け側の携帯からもペアレンタルを切ってアプリを消せばいいし、一応、流通品だから手に入れようと思えば、ガワだけはほぼ同じものが手に入る。」


「昭男さんの所、いい人材が居るな。ウチで働きません?」

 琢彦が顔を崩し、弁当を食べている弥生にそう問うが、その箸を止める事はできそうになかった。


「依頼人は、被害者の父親。本人も、先日無念の内に亡くなっている。」


 明らかに口調を変えた琢彦はそういうと、自分のカバンから二枚の紙を出す。


「死人に守秘義務も何もない。それを咎める者も居いないからね。ただそれ以上に陽純はいただけない。個人的にも依頼料も前払いで貰ってしまっている。社会正義だとかそういう崇高な目的でもなく、慙悔ざんかいと未練で追っている相手だ。」


 箸を止めて、弥生は差し出された紙を持ち上げ目を向ける。

 その仕草を見て、琢彦は口元に手を当て、少し考え込み、そして口を開く。


「どこから話したものか。ネスト犯罪、というのを知っているか?」

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