淀んだ水
水道水が勢いよく流れる。
「やっぱり奥で何か詰まってますね。流れないわけじゃないみたいですけど。」
排水溝を流れない水が、洗い場に水かさを作っている。
「どうにかなりますか?」
排水溝をじっと眺めた弥生に、陽純が尋ねる。弥生は即答せずに、水道を止め、流れていく水を見つめている。
「専門の業者ではないので、断定はできませんけれど。生活排水をどの程度流してらっしゃるかに依りますね。離れの方と排水が合流してるなら、結構深い場所で排水が滞っているのかも。」
近い場所に原因がないのであれば、この場に逆圧をかけても、詰まりの原因を解消はできない、そう弥生は考えていた。
それに実際に流れているのだから、異物が排水を止めている全ての要因とは断言できない。
「確かに、離れでも水の流れが悪いとは感じています。」
一拍を置いて、陽純がそう言い添える。
「なら、次亜塩素酸を一応入れておきますか。解消するという保証はないですけれど。車に用具がありますので、取ってきますね。」
作業カバンを片手に、弥生は水場を出る。
玄関を出ると、誰も乗って居ない脚立と剪定ばさみが植木の前に放置されているのが弥生の目に留まる。
「あ、すいません、トイレをお借りしてました。」
玄関の内側から、琢彦が慌てて飛び出してくる。
「剪定ばさみ、危ないよ。」
刃は閉じられているものの、脚立に立てかけられたそれを弥生が指摘すると、琢彦が頭を
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流れきれずに水が溜まっている台所の
ゴム手袋をつけ作業をしている弥生を、陽純が後ろから見ていた。
「便利屋さんというのを今回、初めて頼みましたが、色々とお詳しいのですね。」
じっと水槽を眺めて水が流れていくのを見ている弥生に、陽純がそう話しかける。
「お客様にご相談いただいて、それから覚える事も多いですよ。それから経験を積んで、失敗もして、成功もして。」
深い息をついて、それからゆっくりと話し始めた弥生を見て、陽純は頷く。
「法事も、修行も同様ですね。成程。」
「まだ暫く流れないとは思いますが、このまま流れきるまで置いておいてください。その後で素手で触らないように気をつけながら、一度、水槽を水洗いしてください。」
「畏まりました。その様に致します。」
「それで、詰まりが改善するようならば、一応、応急処置にはなったと思います。それでも、再び悪化する前に、ちゃんと本業の方に見て貰ってください。」
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日が傾きだしていた。
「これ程、良くしていただき大変助かりました。」
待合場でテーブルを挟んで接する二人に、陽純がそう述べる。
「除草作業の方は終わっておりますし、剪定もできる範囲では済ませておきました。水回りの方はまだわかりませんが。」
正座し、社用書類のチェック事項を記入しながら、弥生は応える。
隣で、琢彦は差し出されたルイボスティーを飲んでいた。
「作業は完了しておりますが、代金につきましては、弊社に一度持ち帰り、改めて請求書をお持ち致します。先刻お伝えいたしました概算から逸脱したものにはならないと思いますが。」
「それで結構です。その場でのお支払いが宜しいでしょうか?」
「いえ、こちらとしてはお振込みいただく方が助かります。」
「ではその通りに。」
「最後に、立ち入った場所の確認をさせていただいて、引き上げさせていただきます。本日はご用命ありがとうございました。」
そう言うと、弥生は立ち上がり、カバンを手にする。それに釣られて、慌てて琢彦も立ち上がる。手から下ろされたコップの中で氷がカラリと音を立てる。
飲み干されたコップと、手を付けられていないコップが並んだのを
それを返すように、弥生と、遅れて琢彦も軽く頭を下げる。
「琢彦君は先に車に戻ってて。」
そういうと、弥生は琢彦に車の鍵を託した。
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「それでは、失礼致します。」
玄関を出た弥生が、見送りに来た陽純に頭を下げる。
薄暗くなり始めた周囲に、足早と車へと戻っていく。油蝉だけは来たときと変わらず泣き続けていた。
「お疲れ様です。」
助手席に座った琢彦が、戻ってきてハンドル前のシートに座った弥生に話しかける。
「お疲れ様、琢彦君。忘れ物はない?」
暗い車内で、はっきりとお互いの表情が見えない中、確認を取る。
「大丈夫です。」
琢彦の返事を受けて、弥生は鍵を回して車にエンジンをかける。ヘッドライトが点灯し、周囲を照らす。
「事務所に帰りましょう。」
ギアの音、そしてアクセルが踏み込まれ、二人を乗せたミニバンが砂利をかき分けゆっくりと動き出す。
「今日の仕事はどうでしたか?」
幹線道路に出る頃には、日はすっかり沈んでいた。弥生の問いかけに、琢彦は即答をせず、間を置いた。
「単純な作業なのに、かなり疲れた気がします。」
赤信号で止まる暗い車内に、琢彦がそれを返す。
「どうかな、続けられそう?」
同じ様に、暫く間が置かれ、再び弥生が問う。琢彦は問にすぐ答えず、再び間を置く。
「ゆっくり考えていいよ。ウチとしては、続けてくれると助かるのだけれど。」
暗い車内で、琢彦の返答を待たず、弥生の声だけが先に投げかけられた。
対向車のハイビームだけが時折、車内を駆け抜けていく。
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