にゃにゃにゃにゃにゃ


 厳かな雰囲気は円卓を囲む面々をして、その威厳に満ちた立ち姿、慈しみに柔にほほ笑む両眼と相反する畏れにひれ伏すほかなかった。

 とはいえ、有史以来、様々な争い禍に立ち向かった歴戦の古老たちが狼狽える姿を見せることはなかった。頑なな矜持がそれを簡単には赦すはずもなく。だからといって、現実から目を背けることも許されない。長く生きるとは相応に人間を重い岩の如くし易々と決断することを渋る。それを悪く言えば、問題を後回しにすることで社会を継続させようという愚かしい様を良しとしてしまう。

 場所はホログラム。発達したVR(拡張現実)空間内で極秘裏に執り行われる決断のとき。各構成員に独自に与えられているデバイスを通じてのみ開かれる秘匿性の高いチャット空間だ。

 国連の解体後、再構成された人類意思決定機関/人類持続決死線〝HDDL〟の中枢で小鳥遊夕陽教授はある重大な局面を迎えたことを報告する。それは人類――人間にとって最初にして最後の決断を擁する重要な局面だった。

 同行したケットシー――白で統一されたフォーマルなドレス、ハイヒール、あまり小物を好まないようでシンプルなデザインのダイヤのネックレスが胸の上で光を反射する。

 ケットシーの世話役としてマタタビは多忙を極めていた。彼女の好みに合わせたタキシード姿は余り様にはなっていなく、本人をして「猫に小判にゃ~」と首に巻かれたネクタイもそうだが、全身を締め付けるようなタイトな作りは奔放な性質のマタタビにはひどく窮屈に感じられるのだろう。

 主従関係に問題はなく、実はフランクな性格のケットシーとの砕けた会話を聞く限り、やんちゃな妹に手を焼きながらもそのやり取りに心地の良いものを感じているように見受けられる。

「こうして相まみえるのは初かと思います。本来ならば直接の謁見の場を設けて挨拶するべきだと思いましたが、これ程の技術であれば些末な問題かもしれませんね。夕陽教授の講義で、現在置かれている人と猫との関係というものはある程度理解しております。そして、だからこそわたしは皆さまと対話する意味があると信じています」

 円卓の木目の細部まで――五感を以てして――デザインされた拡張現実の中、言語の壁は取り払われ瞬時にそれぞれが翻訳され自然な会談を可能とする。

 円卓の前方に座すアーサー・グレン局員(現下の世界情勢を鑑みても、意思決定機関といえども独裁的な立場をとることは愚かとされる。その為に、構成員に階級というものを設けておらず、すべてが平等である。それはヒトと猫との関係を保持するものとし、全員の賛成を得られない議案は棄却される)は眉間にグランドバレーのような溝を刻み、ケットシーを睨みつけていた。その様子に氏を中央に両翼に座す面々の表情も硬い。夕陽の額を汗が一条垂れ落ちていく。

 アーサー・グレンは重たげな口を開いた。

「そう畏まる必要はない。小鳥遊教授らしくもない。ケットシー、こういう形ではあるが、お会いできたことを感謝する。こういってはなんだが、思っていたより話ができそうで私は少し安堵している」

 アーサーの厳めしいに厳めしいを重ねた表情を読み解くことは難しい。かくいう本人にはその自覚はなく、無為に他者を威圧する傾向にあることを夕陽は久しぶりに再会したことでやっと思い出した。

「相変わらず、表情とは裏腹にひらけた心をお持ちだ。正直、だんまりを決め込んでいたときには私も終わったかな? と要らぬ緊張感を強いられました」

 胃袋が五つあっても足りる気がしない、と皮肉を零すと一気に場が和んだように感じられた。

「わたしもひとりの猫愛好家としてね思うところはある。王を迎えるにあたってどのように接することが正解なのかを見極める必要があった。猫の王ともなればこちらも些か警戒をするものだ」

 猫愛好家。そうこの議場に集う面々はみな様々な嗜好があるにしろ猫を愛し、猫に癒される、世界で一二を争う猫好きの集まりであった。夕陽の感じた不安は杞憂に過ぎなかったのか? しかし、それにしても今回提案する夕陽の議題に快く頷くことは困難な事だろうという不安はでかい。

「アーサー、私は改めて貴下に問いたい。人と猫の共存関係とは果たして真実の意味で共存といえるのだろうか、と」

「と言うと?」

「私は揺らいでいる。ケットシーの存在。王の帰還はこれ限りで終わりではないと。ならば、我々――というのは人類にとって果たされるべきこととはなんであるのか。我々は選択を余儀なくされているのだよ。アーサーあなたも古の王の末裔であるのなら理解できるだろう? 持続と延命は似て非なるものだ。着々と衰退していく様子を指をくわえて見ているだけでいいのかと」

 少ししゃべり過ぎただろうか。抽象的な言い回しではっきりした答えを述べられないことに夕陽は愕然とする。マタタビは暢気なことで欠伸をしながらケットシーの髪を繕っている。アーサーの巌のような顔は威圧的だが、その様子を目の当たりにして意外なことに微笑んでいる様にすら見える。

 やがて、夕陽に応える形でアーサーはこう言った。

「私は猫が好きだ。もちろん、同程度の愛をもって人に対してもそう言えるだろう。しかしだ……、実は私はこれからこの先人類がどのような発展を遂げていくのか、あまり興味がない。薄情だとは思わないでくれ。あくまで個人的な見解だ。現状で満足してしまっているのだよ。怖ろしいウィルスに侵されたあの時から数十年。猫の言葉を理解しこれまで以上の濃密な関係で共存することが可能となった今に。これだけで十分私は満足してしまっているのだと。そして、こうしてケットシーと相まみえることで、私は納得することができた」

 小鳥遊親子の研究の成果がやっと見えてきた。私たち人類がどうあるべきなのか。衰退。確かにそうなのだろう。人類は衰退している。あとどれくらいの期間をもってして消滅するかは解らない。しかし、それを食い止める術――全人類規模の自己犠牲と引き換えに新たな道を拓けるというなら果たすべき役割にも納得できる、とまるで次代を担う若者に対するようなアーサーの言い方――諦め、とまではいはないがある種の停滞を帯びた――に、夕陽は少し考えこむ。

 夕陽の提示する選択は二択。

 ただ、あるがままに人族の消滅を待つか。

 あるいは、人間という根本概念を失ったとしても、かつて地球に人が居たという証しを受け継がせていくか、を。

「仮に、我々人類がこの地球を猫に手渡し――次代の担い手として――人はこの、拡張された超現実空間に移住することはできないだろうか?」

「断定的な答えを求めているとなれば、アーサー、私は選択を迫る必要がなくなる。肩の荷が下りて少しばかり助かる」

「しかし、わたくしども猫たちにとって人を排斥する未来というものはあまり現実的ではないのです。わたしの存在がそれを許そうとはしないでしょう」

 ケットシーは細く切れのある眼を向いて頑なな表情を崩そうとしないアーサーを見る。マタタビの髪遊びは遂にケットシーの後ろ髪で三つ編みに整え終わってひどく満足そうである。なにをやっているのだろう、呆れてものも言えないが、その脱力感は却って夕陽の口を軽くする。

「まあ、仮に猫たちに地上を任せて、私たち人間がこのVRに移り住む。それは――無理とは言えないか。ただしそれには、恒久的なエネルギーを作り出す機構と、結局は猫の手を借りることになることには留意していただきたい。あるいは、宇宙規模のネットワークを構築することで無限大のエネルギーを賄う術が見つかったとする……果たしてどれほどの時間を要する発明になることか、私には解からないね」

「ニコラ・テスラの失われた論文でも探すかね?」

「ご冗談を……フリーエネルギーが存在するなんて都市伝説ですよ。そんな都合のいい技術が存在すれば私たちはこれほどまで追いつめられることもなかった」

 永久機関なんてもの、仮に理論が証明できていたところで実現するために必要な技術面で断念するのが関の山。解っているだろうが、人類の八割以上を失った世界でそのようなフリーエネルギーの話は一度たりとて登場していない。つまりは、時間が証明している。永久機関などあり得ない、と。

「人間がVR空間に衣食住を移すっていうのは根本的に間違った選択です。それは保存であって持続ではない。この議会の理念にそもそも反した考え方だ。もっと身近に目を向けてください。私はそのためにこの場に出席することを選んだ」

「ケットシー殿か」

 深く、深くアーサーは頷く。周囲の空気をより重々しい圧力で押しつぶすような首肯だった。マタタビなどはフレーメン反応を起こしている。猫的な主観にそれを置き換えてみれば、緩慢な動作はリラックスを伴う状態なのかもしれない。この辺りの猫的心理というものは長年猫たちに付き添ってきた夕陽にすら理知外のものだった。

「ならば聞かせてもらえるかな、小鳥遊教授。ケットシーの存在とわれわれ人類の担うべき役割というものを」

 少しの講義とこれからの展望。なぜ人間は進化してきたのか。ポイントは二つ。たったの二つだ。それを口に出すのに一々まだるっこしい前説が必要なことにすでに辟易とした思いだった。父の願った人と猫の未来というものはもっと楽観的でハッピーな様相を呈したものだ。その世界を見ないまま人類が歴史上からリタイアするにはまだ早いとは思わないだろうか?

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