にゃにゃにゃにゃ
祠――ヒノキ材で作られた切妻屋根の極ありふれた作りの祠――どのような神を祀っているかは今は知り様もない。坑道を少し進むと道は二股に別れその中央に、ちょこんと居座るような形で据えられていた。轟轟とした唸りにも似た響きは空気の流れによって発生するものだと夕陽には理解できた。奥からか細く吹いてくる風は猫たちの聴覚をもってすれば、あるいは深淵なるものの響きになるのかもしれない。あいにく、夕陽の聴覚は普通だったためにその唸りを感じることができなかったことを少し残念に思う。
各々の猫の証言によって得たイメージを元に造形された『にゃボット』をそこに安置する。『ブラックボックス』は空のまま。これから行われる祭りの主役としてここに居なくてはならない。
エルフ、というより猫のような尖がり耳。色白。淡い青の着物は呉服店を営むオシズによって見繕われた代物だ。ツユクサ柄の単衣は素朴な趣ではあるが、季節的にもこの方がよい、とオシズは言っていた。親しみやすい心がけも猫的な風潮だとか……。
白銀に煌めく長い髪は滑らかで触れれば蕩けてしまいそうな繊細さを持ち、着物にあわせてシニヨンに結い上げられている。そこから覗く細い首筋はぞっとするような色気を帯び畏敬の念を夕陽ですら抱く。それでいて、すーと細められた瞼の隙間から覗く碧眼はまだ見ぬ我が子を慈愛で包み込むような優しい微笑とともに、見るものに温かな安心感を芽生えさせる。
天の岩戸の伝説の再現。というとあまりにも大仰ながら、その様相はサバト――黒猫たちの集会?――ではなく巷の猫会議に迷い込んだかのような賑々しい喧騒を全身に浴びて無性な感動を覚えた。
物見やぐらは大工のゲンさん率いる丸ゲン組の仕事。その頂きで猪皮を張った太鼓を叩く法被に鉢巻きふんどし姿のゴンゾウさん。お囃子を指揮する老翁、鴻巣快は九十過ぎても現役の人族だ。和音階? にしては鋭く硬質な印象を笛の音と太鼓のリズムに感じる。鴻巣はむかしロックバンドで勇名をはせていたと記憶している。昔日の熱い血が騒ぐのか、意図せず伝統的な旋律はアドリブの入り乱れるちょっとしたカオスを呈していた。
またたび香の焚かれた開けた平地に所狭しと露店が軒を連ねる。この日の為に山すそを整備して大々的な催しとなる祭りのために――それは神代の御代に伝わる伝説の再現のつもり――商工会の長の鶴の一声で、急ピッチで用意された広場。ここまで大事になるとは思いもしなかった夕陽は結果が伴わなかった時のことを思う……周囲を見渡せば露店ではしゃぐ子猫たち――まだ『にゃボット』に搭乗するような年齢ではない――や隅に用意された飲食スペースで談話している猫族と人族の団欒。ちょっとした口論からどつき合っている者もいるが、片眼が潰れた黒猫が厳然と両者の間を割って入る。手を出し合っていた若者もこの迫力に息を呑む。しばらく経たぬうちに両者は肩を組んで笑い始めた。
「相変わらずの凄味ですね。ちょっとしたエンターテインメントですよ」
夕陽は喧嘩の仲裁に出たボス猫然とした黒猫に近付いていった。
「猫も人も肩寄せ合って頑張ってる。ときにそれは諍いも生むものかもしれないが、元気なうちわ可愛いもんだ」
塩辛色のしわがれた声。且つて恋敵と決して失った片目――いやもう、その話を聞くだけで夕陽にとって極上のエンタメだった――老いて今尚健在の豪傑。それが、商工会の長たるマルキチの在り方だった。
「相変わらず生身で。私の調節したにゃボットは余りに窮屈ですか?」
「いいや、あれはあれで素晴らしい寝心地。しかしなんだ……この年まで生きると在るがままって現実をしっかりと受け止めていきたいものだ」
ごろごろ、と喉を鳴らして黒猫マルキチは夕陽の足首に顔をこすり付け甘鳴きする。老いても猫は猫。その愛くるしい姿には抗いがたい衝動があり、夕陽の両手は無意識にマルキチの艶やかな黒毛を撫でつけて顔をがしがし揉んでしまう。
猫族の長老たる存在にあまりに不敬ではなかろうか、とふと疑問に感じるものの。
「こうして愛でてもらえるのも猫の特権。悪くないんだよ、猫と人の関係ってものは」
温かいよな、と呟き呟き撫でられ満足げに前足で伸びをして、にゃーとあいさつもそこそこにマルキチは煌々と照る軒軒へ、人と猫たちの輪の中に肉球を向けた。あちこちで長老長老とマルキチを慕うもの達の声の中を悠々と歩いていく。
そんな猫族のことを見ていて解ったのは結果が伴わなくとも、あえて、そのことから思考を遠ざけてこの賑わいを愉しむことが重要な事のようだと悟った。
祭り屋台の活気の中に一歩踏み出す。この目抜き通りと化した洞窟から流れるように均された山裾を幽かな光をたよりにゆらゆら進む。猫のきもちを感じながら、幼少期にわずかな間一緒であった父のことを思いながら。淡い、手を繋いだ記憶の中の力強い手の形。それを、いまは肉球のまろやかな弾力に置き換えて夕陽の胸の内でぱちぱちと瞬いていく。
やがて、屋台の並びが途切れると別に区画された大きなステージが見えてきた。
神楽殿を彷彿とする入母屋造りの大きな屋根を持つ、杉材を基に組まれた渋い造りのステージ。かがり火にまたたび香をまぶして焚いて、あたりは薄っすらとした幽玄へと誘う不思議と好奇心に胸がざわつく。マタタビにはアメノウズメの役割を大任した手前、このメインステージで行われる神憑りを見逃すわけにはいかない。ともすると、私はオモイカネといったところだろうか。少なくとも天の岩戸の伝説を模倣できているのなら良しとする。厳密性が重要なのではなく、そこそれによって働きかける集合知、一つにまとまる協調性が必要だと、夕陽は仮定している。
ステージ前方に見える大筒から爆音の花火が打ちあがる。それを合図に列をなす屋台の灯が落ちていく。濃密なスモークが木目のステージ上に溢れて、隠す。次の瞬間、激しいレーザービームの極彩色が会場を照らし出す。わっと歓声が上がる。周囲に意識が向くとそこには今日を愉しみにしていた大勢の猫と人とが犇めいていた。
「にゃー! 今日はみんな集まってくれてありがとーにゃ! 今宵は特別。誰の心にも一生忘れない歓喜とLOVEに胸をきゅんきゅんさせて眠らせないにゃーーー!」
巫女服、にしてはフリルがふんだんにあしらわれた白衣と緋袴――袴に至っては超ミニスカートに、生地の裏にふわふわのパニエがニーソックスと太ももの絶対領域を死守している。神楽鈴に見立てたマイクを握って腕を突き上げるマタタビの姿が。両翼に同じようんでいて色違いの巫女さん達が呼応して腕を突き上げる。
「スーパーアイドルマタタビキャッツがヒトネコ繁栄と五穀豊穣を祈って歌います」
ステージ中央後方にDjとして楽曲を提供する存在。特別ゲストの〝煙の上の水〟。ああ、彼女のことはよく知っている。なにを隠そう夕陽の実験に一時期協力を仰いだ超人気EDMアーティストなのだから。きっと、彼女のコネを使って遠いところわざわざお越し願ったに違いない。そう言うことは自分の上を跨ぐように決めないでもらいたい。これでも一応、人と猫の間で重要なポストに居座る末席。ケチだと言われようと、プライドはある。
擦り切れたキャップを被って自ら生み出すビートに身をくねらせ、夕陽に――かなりの距離があるはずとはいえ――ウインクしたのは、ああ、紛れもなく〝煙の上の水〟その猫だった。
ビートは加速し、プレリュードは最高潮。マタタビの前口上もそこそこに、彼女たちは今まさにこの瞬間、アイドルとして爆誕した。
『ねこねこパンチラッシュ流星群』
――作詞・マタタビ 作曲・煙の上の水 編曲・マタタビキャッツ
音速光速つきぬけて(てい!)
ねこねこ(ねこねこ)ねこねこパンチラッシュ
ネコも杓子も流星群 ぱんちラッシュ(ラッシュ)ぱんちラッシュ(ラッシュ)
Oh NO ねこねこ(ねこねこ)ねこねこパンチラッシュ
遥か仰ぎ見る深淵の(Oh)巨大クジラを追い求める(ラッシュ)
我ら太古の狩人は(Oh)馳せ駈け大地を大海原(らい!)
夢を狩る(狩る)猫は狩る(狩る)
目にもとまらぬ必殺の ぱんち ぱんち ねこパンチ(ぱんち!)
音速光速つきぬけて(てい!)
ねこねこ(ねこねこ)ねこねこパンチラッシュ
ネコも杓子も流星群 ぱんちラッシュ(ラッシュ)ぱんちラッシュ(ラッシュ)
Oh Oh Oh(NO)ねこねこ(ねこねこ)ねこねこパンチラッシュ
くねっくねっ、と腰を捻ってぎりぎりの丈のスカートを翻して、あわやパンチラと見せかけて、ぐるっ、と猫的流動性で背面にジャンプ。くしゃっ、とした愛嬌に満ちた笑みを決めて、にゃんにゃんポーズで悩殺、あざといウインクがスパーク、その向こうに愛LOVEユーがエーテルの輝きを伴って駆け巡る。
度肝を抜く光景に夕陽は頭を抱えた。やれとは言った、しかし、ここまでやれとは言っていない。厳かな雰囲気に圧されては元も子もないからと適度にリラックスした神楽舞を見せてくれと頼んだ。その結果がこれか⁉ 目がひっくり返るとか以前に頭の中は真っ白だった。
とはいえ、唖然とする夕陽を置き去りにするかのような熱狂が群衆の中から湧き上がって湧き上がって留まることを知らないようだ。人猫一体になったグルーブは途轍もない生の躍動を見せ、束の間、確かにこの場所でわれわれは一つとなっていた。
ナイトメアならいざ知らず確かにこれは現実夢うつつ。此岸と彼岸を隔てる認識の限界を突破して、熱暴走するマインドの乱雑さが信じられないエネルギーを以て、爆発。
エクスプロージョン。
それは山向こうから轟いた稲光。落雷が、どんッ、ドンっ、どんッ、都合三回地上を穿つ。
凪。
熱狂のステージは一転、計り知れない静寂が辺りを包み込む。沸騰した頭が急速に冷却されて、いささか取り乱した群衆とアイドルたちはあたりをきょろきょろ、ややもすると、すべての瞳がある一点で止まる。
幻想の後光を背陣に洞窟の奥から姿を顕した、それはまさしく集合知。稲穂の精にして豊穣の神と崇められるはるか遠い存在。
だれかが王の帰還と嘯く。決して誇張などではなく、有史以来歴史の霞に没された精霊郷の王だった。ケットシー、彼女を端的に表現すれば、紛れもない繁栄を約束する御姿にこそ偽りはなかった。
「我はケットシー! カオスに霞んだ幻想郷はいま、コスモスの叡智によって開かれた。我はケットシー、豊穣の神にして猫の王。ケットシーは帰ったぞ!」
弛緩した空気はふつふつと熱を帯び始めて、ボルテージは一瞬にして限界を突破する。
鬨の声に呼応して、すべての猫とすべての人は歓喜を叫ぶ。
地平線が割れ、払暁の茜空がみんなを赤く染める。祭りは終わらない。マタタビ率いるスーパーアイドルは王にかしずき王は応える。
永遠なる繁栄を。共に歩むべき道の指標を示して。
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