灯台
@second_07
灯台
船内にひとつだけある喫煙所には壁に手すりがついていて、ここが確かに船の上であることを思い出させてくれた。それだけでも旅気分にさせてくれる。
大学生が夜中に汚したのだろうか。喫煙所にはストロング缶のロング缶が潰されて灰皿の周辺に肺に塗れながら乱雑に置かれていた。
喫煙所を出てすぐ脇にある甲板に出られる扉のすぐ傍に足が見えた。倒れている。大学生ではない。齢40くらいだろうか。大学生だろうかと疑っていた自分の偏狭な視野に辟易しながらも、明らかに酔っ払ってこんな姿になっているおっさんを見て哀れに思わないでもない自分が確かにそこにいた。
おっさんを跨いで甲板に出る。大学生らしい若者が朝からハイテンションだった。天気は曇り、眼前に広がる大海原は船尾の方に広がっていたが、視線を船首の方を送ると霧がかる伊豆諸島の大島が厳かに鎮座していた。
決して天気がいいとは言えない2023年9月4日。
自然の脅威を垣間見、体験するには船上は最も適した場所に思えた。昨夜から今に至るまでのほんの数時間、船の揺れに楽しんでいたものの、次第にその揺れが大きくなるにつれて軽い船酔いを覚えていた。
くねくねと曲がりながら山を登る。降ったり止んだりを繰り返す天候に参ってしまっていた。幸い、レンタルバイク屋でお婆ちゃんが雨降ったらこれ使いな、と言ってくれて渡されたタオルで何とかびしょ濡れになることを防げていた。
それでも私は「これも旅の醍醐味」なんて余裕をかますことは出来ず、私は初めて原付バイクで山を登っていた。地面が濡れているから滑りやすかった。カーブが多く登ったり降ったりを繰り返しながら目的の場所に向かう。空港が近くなってきたらしく、調布飛行場からやってきた飛行機の轟音が鳴り響く。天候が悪く時間にしては暗い山道を駆け抜けながら聴くその音に吸い込まれそうな心持ちになりながら、私はスロットルに手をかけながら風を感じた。
風化しボロボロになった道案内標識が出てきた。人工物を見て安堵する。山道の端にバイクを止め、Googleマップを確認するともうすぐそこにあると知る。駐車場の看板を見つけそこに停める。波の音が聞こえる。岩にぶつかる音だろうか、周囲に渦をつくり全てを飲み込み、収斂させる低い音と、それらが破裂したかのような高く飛沫を上げるような音が聞こえる。飛行機の音がまた聞こえる。さっきより空港が近くなったのだろう。
ボロボロになった階段を登り、生い茂った草木を手で掻き分けると、灯台がポツンと寂しげにあった。潮風に晒されているせいで塗装は一部禿げていて、ヒビも見える。それでもこの灯台はただ遠くを照らし続けている。ただそこにある。その存在があることで私は私であることを認識し、悩む。そしてほんの束の間あなたに照らされることで私は自分の立ち位置を確認することができ、安心する。またやってくる暗闇の世界に、少しだけ立ち向かう勇気と、罰から逃れるための楽しみを与えてくれるのだ。
自分の行ってきた罪の重さに煩悶する。社会の常識という範疇の中で行う自身の非常識の行為がどれだけ重い十字架になるか。
他人と自分自身への裏切りが何よりも重い罪となる。照らしてくれ。俺を。
この醜さを照らして、不動明王の如く憤怒の眼差しを。菩薩の如く慈愛の眼差しを。
太陽が沈み自信の罪に苛む夜を、涙の如く洗い流してくれ。
弾け飛ぶ飛沫を見下しながら寂寞感を覚えながら、私は笑うのである。
帰り道に夫婦の人たちにすれ違った。こんにちはと優しい挨拶をされ、驚くあまり吃ってしまい遅れて挨拶を返した。
雲が低い位置にあった。いつ雨が降ってもおかしくない天候だが、島らしく雲は早いスピードで移動していた。大きな雲が大蛇に噛まれるが如く忽然と裂け目が入り込む。刹那、光が差し込む。波濤の割れ目に照らされた闇に一羽の孔雀が大きな翼を広げていた。
スピードを上げ、船首が上がり、船そのものが浮上する。伊豆諸島の島々に寄港しながら東京竹芝に向かう。ジェット船は三時間ほどで東京と繋ぐ。二日酔いなのか船酔いなのか分からないが、体調は万全とは言えなかった。眠れないので船窓を眺め、行き交う大型船や自衛隊の軍艦に目を遣る。相模湾に入り、徐々に行き交う舟数も増えてくる。経済大国なことを否応無しに知らされる。
私はなぜここに住んでいるのか。
社会人時代、上部だけの会話に嫌気が差していた。人付き合いが下手なだけと言われたらそれまでだろうが、私はそのビジネスライクな会話に辟易していた。俺はこんなことでお金を稼ぎたくない。もっと血の通った関係を求めているんだ。仕事帰りに行く銭湯での地元の人の会話。湯に浸かった時に漏れる沁み入った声。
コスパ
効率
生産性
損得
そんな寂しい言葉で片付けられていいのだろうか。人と人の関係はこれらの関係でいいのか。しかしそのお陰で私たちは世界の中でもトップクラスのインフラが整っている国で悠々と暮らすことができる。競争の中で培ってきた物質とサービスで溢れている社会で過ごすことができている。
ここで暮らす理由。それは白々しさの連続の中でほんの一瞬でも人々の営みの中で血の通った顔が見ることができるからだ。そしてこんな俺と一緒に酒を飲んでくれる友達がいるから。
タラップを降り、地に足を着ける。
少し先には高層ビルがいくつも並んでいるのが見える。そこに向かいながら駅に行く。ビルの隙間から明かりが差し込む。
外回りの最中なのだろうか、汗を拭いながら歩いているスーツ姿の男性は辛そうな顔をしていた。信号を待ちながら顰めながらスマホを操作している女性。手を繋いで嬉しそうにしているカップル。みんなそれぞれの生活を歩んでいて、どれも嘘がなかった。
灯台、誰も照らそうとするな。
ただそこで光っていろ。
灯台 @second_07
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