第三十六話  レオ・メディチエールの処刑? ①

 サン・ソルボンス修道院長室の窓硝子からは、同じ敷地内に点在するソルボンス修道騎士団の寄宿舎が眺められる。


 そんな修道騎士団の寄宿舎の屋上にはローレザンヌの修道騎士団を示す、漆黒の獅子が長剣を咥えている旗が風になびいていた。


(そろそろ始末がついた頃合か)


 両腕を後ろ手に組んだまま、ジョルジュは寄宿舎の地下牢獄に囚われた〈黒獅子〉ことレオ・メディチエールの姿を思い浮かべた。


 今頃は暗殺の指示を与えたマルクスがレオを始末しているだろう。


 格闘術を極めたレオとて拘束された状態では修道騎士団の剣に抵抗できない。


 思えばレオを自分専用の暗殺者に仕立て上げて五年も経過している。


 まさか海港都市コンサルティエで連勝記録を塗り替えた若き少年がこうも立派な暗殺者に育つとは思わなかったが、結果的にレオ・メディチエールという人間は大いに役に立ってくれた。


 他の都市ではクレストから離反した異端者が多く現われ、新たな新興宗教として組織するという前代未聞な事件が多発している。


 教皇庁でも独自に傭兵を雇い、異端者が設立した宗教団体の活動を停止させるよう苦肉の策を講じているのが昨今の現状だ。


 にもかかわらず、自分が統治しているローレザンヌでは人口の規模や都市の発達から考えても異端者が独自に宗教団体を設立するという自体は未だ起こっていない。


 当然だった。


 無知な民衆やクレスト教の信徒により新興宗教団体が勃発する前に、自分が〈黒獅子〉に扮したレオに異端者の暗殺を指示していたからだ。


 お陰でローレザンヌはクレスト教の頂点に立つ教皇にも名前を覚えられ、こうして自分は五十代で大司教に就任するという異例な出世を遂げることができた。


 すべてはレオが目の上の瘤だった異端者を一度の失敗もなく葬ってくれたお陰だ。


「だからこそ、お前には消えて貰わなければならなかったのだ」


 ジョルジュは地下牢獄がある場所を窓硝子越しに注視していると、第三者に聞こえるか否かという小さな声量で呟いた。


 クレスト教には出世する度に都市を移動するという制約が課せられていた。


 今回、大司教の就任が決定したジョルジュも一週間後に他の都市へ移れという指示が教皇庁から手紙により通達された。


 聖都オルセイア。


 フランベル皇国の中枢都市であり、教皇庁の総本山である都市への異動であった。


「お父様、私の話を聞いていらっしゃいますか!」


 聖人クレストの聖遺骨が収められている聖都への異動に期待を膨らませていると、先ほどから室内に憤然と佇んでいた少女の口から怒声が発せられた。


 ジョルジュは窓硝子から室内のほぼ中央にいた少女に顔を向ける。


「ちゃんと聞いているよ、クラウディア。だが、何度も言ったようにレオ・メディチエールの処刑は変わらない。私の命を狙った暗殺集団を手引きした男であり、数々の人間を暗殺してきた男を生かしておくわけにはいかんのだ」


 激しい怒りで目眉を吊り上げていたクラウディアは清楚な修道服に身を包んでいた。


 実の娘とはいえ何を着ても似合う娘である。


「ですが私には今でも信じられません。彼は医者として多くの病人や怪我人を治療してきたのですよ。同僚である修道騎士団内にも彼に治療を受けた人間は少なくありません」


「ならば尚更にレオ・メディチエールの罪を軽減させるわけにはいかん。施療院で多くの人間を治療してきた医者が実は暗殺者でしたなど世間にどう公表するのだ? ましてやレオ・メディチエールはローレザンヌの治安を担っていた修道騎士団の所属でもある。ありのまま世間に事情を公表すれば一部の住民が混乱するのは火を見るよりも明らかだ」


 続けてジョルジュは頑として自分の意志を口にした。


「お前の気持ちも分からなくはない……しかし、レオ・メディチエールが〈黒獅子〉だったという事実は変わらないのだ。それはお前も聞かされただろう? 暗殺集団が潜んでいた拠点で〈黒獅子〉の衣装に身を包んだレオが発見されたことを」


「それは……」


 うつむいたクラウディアにジョルジュは宥めるような優しい口調で言う。


「私も悲しいのだ。まさか自分の修道院に属していた騎士であり医者が暗殺者だったという事実は今でも信じられない。獅子身中の虫とはまさにこのことだ」


 ジョルジュは目元を右手で覆い隠し、役者顔負けの演技を淡々と続けた。


「分かってくれるな、クラウディア。市民の混乱を避けるためにもレオ・メディチエールの処刑は極秘裏に行い、一方で私の命を狙った暗殺集団の人間は大々的に広場で処刑を公開する。公開処刑はクレスト教の大司教を狙った人間がどうなるかということを地元民ならず異国民にも知らしめる絶好の機会になるからな」


 公開処刑は異国民からすると人命を冒涜する行為と罵られることが多いものの、古来より血と娯楽を好んできたフランベル人にすれば日頃の鬱憤と好奇を満たす絶好の催し物に他ならなかった。


 しかも現在は夏市の真っ最中である。


 観光客の数は日増しに増加し、ここで大司教の命を狙った集団の公開処刑が見物できるとなれば大衆の熱気は最高潮に達するだろう。


「さあ、分かったら宿坊に戻りなさい。救出されてまだ一日しか経っていないのだ。今は心身ともに休息が必要な――」


「結構です! 私は施療院へ戻って仕事を続けます!」


 温厚な普段の態度からは想像できない血相振りである。


 やはりレオの処刑が決まったことが相当に衝撃的だったのだろう。


 しかし、こればかりは覆らない。いや、誰に頼まれようとも覆してはならないのだ。


 ジョルジュの思惑など露も知らずにクラウディアは颯爽と振り返ると、修道服の裾を翻しながら出入り口の扉へと足早に駆けていく。


 そして、真鍮製のドアノブに手を掛けようとしたときである。


 通路側から誰かが扉をノックした。


クラウディアは思わず手を引っ込め、数歩だけ扉から離れた。


「入りなさい」


 ジョルジュが訪問客の入室を許可するなり、ノックの主は「失礼します」と丁寧なお辞儀とともに部屋に入ってきた。


 先客であるクラウディアの前を通り過ぎて部屋の中央へと歩み寄った人物は、レオの暗殺を指示したマルクス・ドットリーニだ。


 亜麻色の髪や背丈、果ては体格までもがレオと似ている修道騎士団の一人である。


「大事なご報告を伝えに来たのですが……お邪魔でしたかな?」


 マルクスは退室の機を逃したクラウディアをちらりと一瞥した。


「いや、それで大事な報告とは何かね?」


 ジョルジュは颯爽と姿を現したマルクスに続きを話すよう促す。


 するとマルクスは再び目線をジョルジュに戻した唇を動かした。


「レオ・メディチエールの処刑が終了致しましたので報告に上がりました。遺体は数人の騎士により共同墓地へ移される予定です」

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